横綱がお参りに来る顕彰碑がある浄土宗西光寺【七尾市】

のとルネアンバサダー、観光担当のっちです。

山門に立派な家紋が刻まれていたり、柱に何気に可愛いハート型の木の洞があったりなど、

見所満載の西光寺を詳しくご紹介いたします。

 

七尾城山の麓にあった西光寺

西光寺は浄土宗のお寺です。

前田利家が小丸山城を築城する際に、元々七尾城の周辺にあった各宗派のお寺が七尾の港近くに移築されました。
西光寺は、前田利家の菩提寺である宝円寺が金沢に移った際に空いた広い敷地に建てられたそうです。
現在の西光寺は、明治の大火で焼失した後、再建立されたものです。

約100年経過しています。
見所のひとつとして加賀藩主・前田利常の御用釜師、初代宮﨑寒雉の作の梵鐘があります。
侘びの趣が深く、数々の名品を作り出した初代宮﨑寒雉作の梵鐘。
七尾市には3つ残されていますよ。

そのうちのひとつが西光寺にある梵鐘です。
戦時中、広く金属回収されましたがこちらの梵鐘は初代宮崎寒雉作であったため供出を免れたそうです。
そして 昭和30年に建立された鐘楼堂は、総欅で、釘は一切使用されておりません。

西光寺は念仏の元祖 法然上人 (1133年~1212年) を宗祖とする 「浄土宗」 の寺院です。
正しくは宇賀山 (稲荷山) 徳岸院 西光寺といいます。
西光寺の裏には、京都伏見の正一位稲荷大明神の分身を祀る稲荷堂がありますよ。

西光寺の由緒

開山上人 (西光寺を開いた僧のこと)は、 奥州平泉 藤原秀衡3世の曾孫に当たり 感叡上人 (かんねいしょうにん)という方です。
西光寺は700有余年の歴史を有し今日に至っています。

時の七尾城主・畠山氏より寺地を城下(現在の七尾市古屋敷町周辺)に 賜り、西光寺を創建したといわれています。

天正年間の頃 (16世紀後半)、前田利家公より現在の地を拝領し今日に至っています。

七尾城下に西光寺があった当時の門です。
現在は七尾城史資料館に寄贈され、拝見することができます。当時の人々が大勢通った門です。

ご本尊は阿弥陀如来 (来迎相)です。
こちらは本堂です。

西光寺 寺宝

西光寺37代目住職、高僧 英淳(こうそう えいじゅん)様より、西光寺の歴史、由緒についてわかりやすくお話いただきました。
寺宝については、以下の通りです。

・西光寺鐘楼堂 (昭和30年建立)
釘一つ使用されていない、総欅の鐘楼堂です。
・西光寺梵鐘(貞享元年1684年 宮崎彦九郎義一 初代寒稚の作 市指定文化財)
先述しました通り、素晴らしい価値故、戦時中の供出を免れた鐘です。


・西光寺双盤(元禄11.15年作)
・西光寺鉦(江戸中期)

・徳本上人 (1758 ~ 1818) 名号碑
・祐天上人 (1637 ~ 1718) 名号碑
・稲荷堂 (京都伏見の正一位稲荷大明神の分身を祀る)
・乳貰い地蔵尊
母乳が不足している母親がお地蔵さまを参ると乳が出、そのお礼参りにまたお訪ねするといういわれのあるお地蔵様です。


・法然上人御自作の木枕の像など
・多羅葉(たらよう)樹 
はがきの元となったといわれる大きな葉がつく木です。
棒などで葉の裏をなぞると文字が書け、消えません。葉もとても丈夫であり、時間がたっても崩れません。

・西光寺山門


もとは七尾城の城門で天正10年 (1582) 前田利家公が小丸山に 城を築く時に山門を現在の西光寺に移築。
屋根は明治初期まで茅葺き。 昭和46年に修理している。

書道師範でもある高僧住職

高僧住職は、書道師範でもあり、お寺内で書道を教えていらっしゃいます。
そしてお寺には数々の書の作品があります。

さりげなくかかっているこんなところにも、高僧住職の書が!
「あやまちは人生を決めない あやまちのあとが人生を決める!!」
素晴らしいお言葉と、そして優しい書です。

小丸山城址公園のすぐ下にある西光寺

寺宝のひとつである多羅葉の木は、西光寺の裏庭にあり、後ろ側に回ると稲荷堂とともに拝見することができます。
しかし!西光寺のすぐ後ろには小丸山城址公園があり、第二公園の一番端にある「乾の展望台」の真下になります。

見上げると小丸山城址公園・乾の展望台が見えます。ここは公園一番の絶景ポイントとなる場所です。

乾の展望台から西光寺を見下ろすと・・・こんなに近くにありますよ。

小丸山城址公園についてはこちら↓↓

ハートの映えスポット

西光寺には、とても可愛い映えスポットがあるんですよ。

こちらは山門の柱の一部なのですが、木の洞がちょうどハート型になっているんです!

是非記念写真スポットしてどうぞ♪

阿武松の顕彰碑

西光寺には、歴代の力士がお参りするという「阿武松緑之介(おうのまつみどりのすけ)」の顕彰碑があります。


阿武松緑之介とは、
江戸時代に大活躍した能登国出身の元大相撲力士です。第6代横綱です。
調べてみたところ、現在の石川県出身で横綱であったのは、第6代横綱・阿武松緑之介と第54代横綱輪島大士のみです。
しかも、二人とも能登出身ですよ!
その阿武松緑之介の顕彰碑が西光寺にあります。

見てください、土台が土俵になっているんですよ!
輪島力士が初めての場所の初日。七尾市内に住む輪島力士の父親が、息子の健闘を祈り毎日お参りにきていたとのことです。
その後の輪島大士の活躍は言わずもがなです。
どんどん昇進していっても、輪島大士の父親のお参りは続いたそうですよ。

横綱・大鵬も来た!

なんと、あの第48代横綱・大鵬もこの地を訪れてお参りしたそうです!!
強い力士はここにお参りしにきているのですね。ある意味力士達のパワースポットでは?!
他にも、柏戸、玉の海、前乃山もお参りにいらしたそうです。

芥川賞作家 西村賢太氏の墓碑

西光寺には、芥川賞作家・西村賢太氏のお墓があります。
西村氏は、七尾出身の作家である藤沢清造(1889〜1932年)の作品に共鳴し、藤沢清造の菩提寺であるこの西光寺にたびたび訪れてはお参りしていたとのことです。藤沢清造の命日の1月29日を「清造忌」とし、月命日の墓参を欠かさなかったそうです。
2002年に藤沢清造の墓の隣に西村氏の生前墓を建てました。
そして2022年2月5日に西村氏は急逝され、現在は西光寺の藤沢清造のお墓の隣で眠っています。
西村氏の月命日にはたくさんのお酒とたばこが並べられます。
週末になると県外の方もいらっしゃるとか。年間を通して300人は来たと住職はおっしゃいます。
たくさんの方に愛され、今も愛されている西村賢太氏です。

「士農工商」の墓

西光寺にあるお墓。
よく見ると、階段状になっているのがわかりますか?高い位置にあるお墓、低い位置にあるお墓。
なんと、昔は亡くなってからも「士農工商」の身分により、お墓の位置がきめられていたとのことです。
位の高い方が上段の方、低い方が下の方、とういうように。
しかし!
現在は水汲み場のある低い場所に移動してくる方が多く、身分関係なく位置しているようですよ。

ちなみに、水汲み場は井戸水だそうです。夏でもとっても冷たくてきれいな水です。
昔ながらの手押しポンプで汲み上げますよ。ちょっとやってみたくなりました(笑)

見所満載の西光寺。山門の横の、とっても背が高い大銀杏も見所なんです。
歴史あり、由緒あり、文化財ありの西光寺です。

【浄土宗西光寺 詳細】

石川県七尾市小島町ハ148
0767-52-2695

七尾駅から徒歩約10分


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