気多の鵜祭の習俗・鵜様道中の宿「鵜様道中ミュージアム」【中能登町】

のとルネアンバサダー、観光担当のっちです。

平安時代から続く「気多の鵜祭の習俗」は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

神の化身とされているる鳥の「鵜(う)」。

その「鵜」様をお運びするその道中についてご紹介します。

国の重要無形民俗文化財「気多の鵜祭の習俗」

「気多の鵜祭の習俗」けたのうまつりのしゅうぞく、と読みます。

「気多の鵜祭の習俗」とは

能登の一の宮である「気多大社(けたたいしゃ)」で、鵜捕部(うっとりべ)という古来より存続される祭祀集団により行われています。

七尾市鵜浦町の鹿渡島という地区で捕獲した海鵜を、七尾市から羽咋市にある気多大社までお運びし、

気多大社にて鵜を神前で放し、その鵜の動きで翌年の豊凶を占います。

全国でも類を見ない奇祭とされています。

鵜捕部について

七尾市の中でも崎山半島という七尾市の端っこの鵜浦(うのうら)町。

その鵜浦町の鹿渡島(かどしま)という地区にある断崖絶壁の鵜捕崖で、一子相伝の技で鵜が捕獲されます。

鵜を捕獲し、鵜様をお運びする籠を作り、決まった日にちに鵜様を気多大社までお運びする。

この一連を担うのはこの地域に住むごく一部の家で、「鵜捕部」と呼ばれています。

平安時代より続いていると伝わっています。「鵜捕部」の「部」は、今でいう国の省庁のような位置を指します。

国より認められていたお役目であると言えます。

町名にもなっている「鵜」。

捕獲された鵜は「鵜様(うさま)」と呼ばれます。

この地区には伝説があります。

神の時代、大国主神(おおくにぬしのみこと)が初めて七尾市鵜浦町の鹿渡島に辿り着いた際、同地の御門主比古神が鵜を捕らえて捧げた、

また、同地の櫛八玉神が鵜に化身した、などの諸説があります。

大国主神は、能登一宮である気多大社(羽咋市)の祭神です。

由来はあきらではないのですが、この故事により、この地で鵜を捕り、羽咋市にある気多大社までお運びし、気多大社で鵜様による占事をしたのちに、鵜様を放つという「鵜祭り」とされているとのことです。

気多大社まで運ばれた鵜様は、未明に神事として神前にあがり、鵜様の動きを神職が見て翌年の吉凶を占います。

2021年の鵜祭り出発を取材しましたよ。その記事はこちらです。

↓↓↓

鵜様を運ぶ道中

七尾市鵜浦町を出発した「鵜様」は、3日間かけて羽咋市にある気多大社へ向かいます。

その距離40キロ。

古来は車なんてありません。鵜様を籠に入れて、歩いてお運びするのです。

ですので途中、夜は御宿に泊まって、翌朝出立されます。

その道中、2日目の夜に立ち寄るのが、

鹿島郡中能登町良川にある「鵜家」さん宅です。

鵜様道中の日程については後述いたします。

まずは、こちらのミュージアムのご案内をいたしますね。

鵜様道中ミュージアムとは

12月12日に出立した鵜様は、鵜捕部に担がれて道を進みます。

鵜捕部が行く道中を「鵜様道中」と呼びます。

2日目である12月13日に、鵜捕部が鵜様と共に宿泊されるのが「鵜家」さん宅です。

鵜家さん宅は、現在「鵜様道中ミュージアム」として鵜様道中の歴史や伝統、様子を詳しく展示しており、一般公開しています。

記載にあるように、日にちは12月13日と決まっており、宿泊も必ずこの家です。

※鵜様道中ミュージアムは、鵜様道中の宿、ともよばれています。もし、検索して向かうとしても、どちらの名前でも検索可能です。

その昔、鵜浦町を出発した鵜様道中は、石動山付近(現在の中能登町)にさしかかると休息する宿場が見つからなかったと。

しかし薄暗闇の中で灯が見え、そこに向うと一軒の家があり、そこで休ませてもらうことになったということです。

その家が、後に「鵜家」という姓をうけたそうです。

鵜様道中ミュージアムへ行くには

県道2号線を走り、山手沿いに大きな看板があるのが目印です。

住宅と畑の間を進むと、大きな家がありますよ。

鵜様道中ミュージアム 開館日時

家には「鵜家」という表札が掲げられています。

そして「鵜様道中ミュージアム」オープン日時の案内です。

偶数月の11~15日

午前9時~午後5時

となっています。

いつも開いているのではありませんのでご注意下さいね。

鵜様道中ミュージアム管理者 島さん

今回、案内をしていただいたのは、ここ中能登町で「おり姫の宿 くつろぎ」を営んでいる女将・島 喜久子さんです。

初対面の方でもすぐに安心して打ち解けることのできる温かな人柄の島さんです。

玄関から入ってすぐにある、鵜様のはく製です。

おもったより大きくで艶やかな姿に驚く方も多いと思います。

神のつかいと言われているのも頷けます。

鵜家さんのお宅は、現在常に在宅はしておらず、通常は富山県に在住している「道端さん」が時々帰省しているとのこと。

道端さんは、鵜家さんの娘さんです。

鵜家宅は、生活住居部分と、ミュージアム部分とに分かれています。

ミュージアム部分では、鵜様道中についての伝説やこれまでの歴史、残されている写真などが展示されています。

ここにくれば、鵜様道中のすべてがわかりますよ!

館内は、記録に残る鵜様道中の様子、歴史など関連したものが掲げられています。

鵜が描かれた着物、そして中能登町の古代よりの産業、「能登上布」の着物も展示されています。

こちらのお部屋は、鵜様が鵜家家に到着した際に鵜様が置かれる間です。

この窓際に鵜様がいらっしゃり、近所の方々がこの窓から鵜様を拝むのだそうです。

鵜かご体験

鵜様道中ミュージアムでは、鵜様道中を身近に体験することのできる「鵜かご体験」ができるんですよ。

奥の間に、鵜様をお入れする籠があります。

籠は、実際に鵜様をお運びした本物の籠です。茅と藁と竹で鵜捕部が作ったものです。

鵜かごだけでも5kgあります。

そして中に入る鵜様は3~4kg。そして生きている鵜様は籠の中を動き回るので、

担ぐ人にとっては重心が定まらなく、さぞかし歩きにくいことと思います。

約8~9kgを担いで、七尾~羽咋の40kmを歩くのです!

そう知ると、なんと大変なことかわかりますね!

籠のすき間から鵜様が!!

とおもったらこちらは作りものの鵜様です。

重さも見かけもリアルです!

のとルネアンバサダーの北山が、担いでみましたよ!

大きいかごです。重い!だそうです。

これを担いで歩くのは・・・本当に大変です。

実際に見かけたら、拝みたくなっちゃいますね。

鵜家総本家 墓地

鵜様道中ミュージアムの外には、鵜家総本家の古くからのお墓があります。

いらした際には、是非こちらもお参りしていただければと思います。

後世に残したい習俗「鵜様道中」

2000年に登録された、国重要無形民俗文化財「気多の鵜祭の習俗」。

その道中にあり、一晩を過ごす鵜宿。

保存会により管理されている鵜様道中ミュージアム。

たくさんの方に伝わり、また体験していただくことでこの大切な習俗が後世に続くことを心から願っています。

【鵜様道中ミュージアム 詳細】

住所 〒929-1717 石川県鹿島郡中能登町良川 ト部54

偶数月の11~15日

午前9時~午後5時

入場無料

駐車場 15台

 JR七尾線 良川駅下車 徒歩約12分


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