
2021年に總持寺開創700年を迎えた曹洞宗大本山總持寺祖院。
2024年能登半島地震による被災と復旧状況
2024年1月に発生した能登半島地震で甚大な被害を受けた輪島市門前町。
この地にある曹洞宗の大本山、總持寺祖院もまた、大きな傷を負いました。
しかし、幾度となく災害を乗り越えてきたこの地は、また力強く立ち上がろうとしています。
開創し700年間の中で7度の火災に遭っています。明治時代の大火災では焼失し、鶴見に移転した歴史を持つ總持寺祖院。
しかし、そのたびに門前町の人々と共に復活を果たしてきました。
2007年の能登半島地震では、約15年の歳月と40億円の費用をかけて修繕が完了したばかりでしたが、わずか3年後に今回の地震に遭いました。
「何度も被災しても、總持寺祖院はその度に復活している。門前町には復活の力がある。今回も再建可能だと前向きに思っています」
そう語るのは、禅の里交流館の宮下杏里さんです。
今、總持寺祖院は復興計画の途中段階にありながら、未来へ向かう力強い歩みを始めています。

總持寺祖院は2025年4月1日から拝観を再開しています。
売店があった長屋は倒壊・解体されましたが、お土産やグッズは拝観受付の建物に移り、「応援のために」と購入していく人も多いそうです。


一つひとつの建物に刻まれた被災の傷跡は、今回の地震の激しさと、先人たちの高い技術、そして未来へ向かう強い意志を物語っています。
三樹松関(さんじゅしょうかん)


總持寺祖院の入口にあたる国重要文化財の門は、一見して被災していることがわかります。柱元から浮き上がり危険な状態ですが、入口ということもあり、特別に早急な仮処置が施されました。
芳春院(ほうしゅんいん)
前田利家公の正室・お松の方を祀っていた芳春院は、全壊となりました。現在は解体されています。
山門
2007年の能登半島地震で被災し、令和3年に修繕が完了したばかりの山門。地盤がしっかり補強されていたため、今回の地震では倒壊を免れました。一部破損はあるものの、その圧倒的存在感は健在です。
禅悦廊(ぜんえつろう)
一部で地盤が下がり、回廊がドミノ式に崩れました。国登録有形文化財であるため、簡単に再建できるものではありませんが、解体した部材は細かくナンバリングされ、再建に備えて大切に保管されています。今回の地震が「長く揺れ、右回転するような揺れ」であったことが、この回廊の倒壊から見て取れます。
僧堂(そうどう)
修行僧が坐禅や食事、生活を行う場所です。損傷がひどく、特に屋根の被害によって雨ざらしの状態が続きました。現在、修行僧はここにはいません。寺院内の管理をする人がいなくなったため、地域住民の有志が草むしりをするなど、復興を支えています。


僧堂のそばにある句碑は、地震の揺れによって180度回転していました。あまりにもきれいに裏表になっていたため、最初は誰も気が付かなかったとのことです。
実際に見ると句が刻まれている側は、裏になっています。
伝燈院(でんとういん)
建物自体が右前に飛び出しており、地震が回転するように揺れていたことがよくわかる場所です。
大祖堂(だいそどう)
2007年の地震では地滑りと沈下で大きな被害があったため、堅固な耐震工事が施されていました。そのおかげで倒壊は免れましたが、本尊が安置される須弥壇(しゅみだん)は20cmほど前に飛び出していました。
仏殿(ぶつでん)

御本尊を祀る伽藍です。山門と同じく耐震の基礎工事がされていましたが、四隅に付属していた建物や回廊と共に揺られたため、被害が大きくなりました。
建物が歪み、屋根が下がってきたため、丸太でつっかえ棒がされています。瓦も落ちてひどい雨漏りが半年以上続きましたが、解体された禅悦廊の瓦を文化庁の許可を得て使用し、応急処置が完了しました。特注の瓦は制作に一年以上かかるため、全国的にも珍しいこの応急処置は、復興への並々ならぬ意志を物語っています。禅悦廊が再建される際はこの瓦を使えるように、こちらもひとつひとつナンバリングされ管理されています。
内部の壁は落ちていますが、壁が割れ落ちることによって建物本体が護られるという、左官職人の高い技術が建物の倒壊を防ぎました。
慧心廊(えしんろう)
大祖堂と仏殿をつなぐ回廊です。大きな建造物である大祖堂と仏殿から強い力がかかり、行き場のない力が回廊の柱にかかったため、大祖堂に向かって左側の柱はすべて折れました。
国重要文化財へ
總持寺祖院の16棟の建造物は、国重要文化財に新規指定されることが答申されました。
これは、總持寺祖院の歴史的・文化的価値が改めて評価された証であり、復興への大きな追い風となるでしょう。
今だからこそ見られる、復興へ向かう力強い姿を、ぜひ現地で見ていただきたいと思います。
復興祈願特別御朱印

總持寺祖院では、復興祈願の印が押された、今だけの特別な御朱印をいただくことができます。
復興を応援する人々の思いが込められています。
以下は、震災前の2021年当時の記事です。
曹洞宗 大本山 總持寺祖院(そうじじそいん)震災前の様子
總持寺祖院の歴史
鎌倉時代に、道元(どうげん)という僧侶が、中国に渡り修行をし、悟りを得ました。
その後帰国し、日本で仏法を伝え、福井県の永平寺(えいへいじ)を開きました。
永平寺では、今も道元が定めた厳しい作法に従い、修行僧が禅の修行を営んでいます。
この道元が伝えた教えが、現在の曹洞宗(そうとうしゅう)で、道元は曹洞宗の開祖で、高祖大師と称されています。
その道元と並び称され、両祖の一人、大祖大師と仰がれているのが四代目の瑩山です。
瑩山のもとから、能登の永光寺(ようこうじ)を継いだ明峰素哲(めいほう そてつ)をはじめ、すぐれた弟子が多く輩出したことで、全国に曹洞宗の教えが広まったとされています。
その瑩山が1321年に開創したのが、輪島市門前町にある大本山總持寺祖院(だいほんざんそうじじそいん)で、正しくは諸嶽山總持寺(しょがくざんそうじじ)といいます。
總持寺は、道元が開いた永平寺と並ぶ日本曹洞宗の二大中心寺の一つとして、全国に末寺1万6千余を数えるまでに繁栄しました。
しかし、残念なことに、1898年(明治31年)の大火により、七堂伽藍の大部分を焼失してしまい、それをきっかけに、布教伝道の中心は神奈川県横浜市鶴見に移転しました。
それ以降こちらは「總持寺祖院」と改称され、別院扱いとなりましたが、今も一大聖地として多くの参詣者を集めています。
2021年 開創700年を迎える總持寺祖院
境内には焼失をまぬがれた伝燈院、慈雲閣、経蔵などのほかに七堂伽藍も再建され、開創700年に向けて改修工事が進められてきました。
2021年、その改修工事は終了し、荘厳な總持寺祖院の全貌を見ることができます。そして、晴れて總持寺開創700年を迎えます。
總持寺祖院は国の登録有形文化財
山門や法堂など、伽藍の多くが国登録有形文化財となっているほか、絹本十六羅漢図や金銅五鈷鈴などの石川県指定有形文化財も多数あります。
(2025年現在、總持寺祖院の16棟の建造物は、国重要文化財に新規指定されることが答申されました。)

優雅にそびえ立つ山門
焼失し再建され、その後能登沖地震で被災するなど数多の困難に遭いながらも雄大さを保つ山門は總持寺祖院の象徴的存在とも言えます。

こちらの赤い橋がトレードマークになっており、とても写真が映えるスポットとなっていますね。
この朱塗りの橋ですが、「白字橋」とありました。
結構傾斜の強い橋ですよ。
見上げて、その存在感に圧倒される山門。
どの角度から見ても素晴らしい。

のとルネアンバサダーの木戸奈諸美さんもその姿に感銘し、一生懸命撮影しています。
けれどカメラにおさまりきらないとのこと。
確かに、こうして写真を掲載していますがその素晴らしさは伝わりきれないでしょう。
こちらは是非実際に足を運んで、山門の麓に立ってご覧になってみて下さいね。必ず、感動しますよ!
そして、山門をくぐってさらに拝観してきました。




總持寺祖院境内には様々な花、樹が植えられており、どの季節にも楽しむことができます。
この日は春を告げるように咲く桜も見ることができました。

ドイツ人僧侶 ゲッペルト昭元さん

偶然にも、ドイツ人僧侶 ゲッペルト昭元さんにお会いすることができました。
快く写真を撮らせていただきました。ありがとうございます。
ゲッペルト昭元さんは、ドイツ出身です。
ドイツの大学で日本の哲学を学び、出家するために来日したとのこと。
總持寺祖院で10年修行をされています。
よく通る声でお話ししてくださいました。
仏殿
大正元年に再建された仏殿です。



客殿の間の奥の襖にある書は、山岡鉄舟の書です。
山岡鉄舟は、幕末から明治時代に活躍した幕臣で、剣の達人でもありました。剣の達人らしく、とっても力強い書です。
経蔵(きょうぞう)
経蔵とは、お経等が収められている倉庫のような建物です。
こちらは明治の大火による焼失をまぬがれているので、当時からある貴重な歴史的建造物と言えます。

能登の古道、峨山道(がざんどう)

總持寺祖院の見どころとして、「峨山道」があげられます。
山門に向って右横にその道が案内されています。
「峨山道」とは、ここ輪島市門前町の總持寺祖院から羽咋市にある同じく曹洞宗永光寺(ようこうじ)までの約50㎞にわたる難路と言われる道です。
「峨山往来」とも称し、總持寺二祖峨山韶碩禅師が、輪島市門前町の總持寺と羽咋市にある永光寺の住職を兼ねていた際に、20数年間毎朝往来した道と伝えられています。
とてつもない距離を毎日往来されていたとは!
その道のはじまりを案内する立て看板がこちらです。
峨山韶碩禅師を偲び、その足跡を踏む「峨山越え」。昭和61年から開催されている「峨山道巡行」は現代の峨山越えとして多くの参加者を集めているそうです。


大火の折に類焼を防いだ「火伏せの松」

この表面が焦げ付いた松は、明治31年の大火の折に、この松の木の奥の類焼を防いだといわれる貴重な名木です。
不滅の象徴としていると案内立て看板にあります。
とても力強い存在の木ですね。

稲荷神社のスタイルの良い狐
山門の手前左手の小道を入ったところに稲荷神社があります。
稲荷大神様の使いは狐です。
ここに鎮座している狐がとてもスタイルがいいのです。日本一スタイルの良い狐と謳ってもよいのではと思うほどでした。


さて、總持寺祖院の入口です。
この門をくぐってすぐ左手に拝観受付があります。


總持寺祖院拝観料は、以下のとおりです。
個人
拝観料金
大人 500円
高校生 400円
中学生 400円
小学生 200円
拝観料を納め、そのまままっすぐ進むとすぐにかの山門が見えてきます。
売店がありました。昔ながらのお土産屋さんという感じです。
お菓子や、民芸品。そしてちょっと面白そうなものもありましたよ・・・。

總持寺祖院に瓦志納(しのう)を
幸せを願う志を瓦に込めて、志納瓦を總持寺祖院に捧げることができます。
總持寺祖院では、2007年の能登沖地震被災からの復興工事を10年以上かけて行われています。
そこで、瓦志納が求められています。
備え付けの御志納袋と瓦に「願い事」と住所、氏名を書き、志納金を納めることで志納できます。
受け付けは拝観受付で納めることができます。
一口1000円となっています。

總持寺祖院年間行事としての案内がありました。
1月1日から3日 参朝祈願会
3月10日 涅槃会(戌の子祭り)
3月18日から24日 彼岸会
4月29日 稲荷祭
5月8日 降誕会
9月12日より15日 御征忌
12月1日より8日 臘八大摂心会
12月8日 釋尊成道会

總持寺祖院拝観前には是非「禅の里交流館」へ!
すぐそばにある「輪島市櫛比の庄 禅の里交流館」にはこの總持寺祖院の貴重な所蔵品や、歴史がわかりやすく学べる資料が展示されています。
總持寺祖院を100倍楽しむために、拝観前には是非こちらに寄ることをオススメいたします。
2021年開創700年を迎える総持寺祖院。
必ず訪れたい能登の観光名所です。
【曹洞宗大本山 總持寺祖院 詳細】
・石川県輪島市門前町門前1-18甲
・0768-42-0005
・拝観時間
通常 8:00 ~ 17:00
短縮 9:00 ~ 15:00
短縮期間 令和3年1月7日 ~ 令和3年3月19日(状況を見て変更になる場合もございます)
・拝観料
個人
大人 500円
高校生 400円
中学生 400円
小学生 200円
団体
団体(30人~)
大人 450円
高校生 360円
中学生 360円
小学生 180円



仏殿
経蔵(きょうぞう)














