のとルネアンバサダー、観光担当のっちです。
七尾市の住宅街に突然あらわれる広々とした土地。
そこはなんと国に指定されている史跡なのです。
地元民でも知らない方もいらっしゃるかっもしれません。
どういったものか、見ていきましょう。
古墳時代の史跡 万行遺跡
万行遺跡、と書いて「まんぎょう」と読みます。
七尾市には「万行町」という町がありますし、「万行さん」という苗字の方もいます。
いずれも「まんぎょう」と読みます。
すこし珍しい苗字、地名ではないかと思います。
何か建物や目立つ跡があるわけではなく、広々とした草原があるだけの場所ですが、
こちらは国に指定された「国指定史跡」です。
国指定史跡は、
「歴史上または学術上価値が高いと認められ、保護が必要なものについて、 国 が指定を行ったものである。」とあります。
複合遺跡の万行遺跡
ここ万行遺跡では、縄文時代から古墳時代にかけて、
竪穴建物跡や天目茶碗など、遺構・遺物が数多く発見されています。
縄文時代と古墳時代は、何百年もの差があります。
同じ範囲の土地内に、複数の時代の、複数の遺構が残るものを「複合遺跡」といいます。
国内最大級の大型建物群
万行遺跡は、
平成8年、この周辺の土地区画整備に伴い、調査したところ、遺跡が発掘されたという場所です。
ですので遺跡とわかったのはそんなに昔のことではありません。
平成10年から発掘調査されはじめました。
発掘されて話題になったのは、柱の直径が40センチもある大型の建物の跡があったことです。
古墳時代初頭では国内最大級とされています。
床㎡は150~320㎡とされており、他に類を見ない巨大であったことが想像されます。
この広い土地に、当時は能登を象徴するような巨大な建物があったのでしょうか!
万行遺跡の場所の重要さ
万行遺跡は七尾湾のすぐそばにあります。
七尾湾は、古代・能登の国の「国津」がおかれていました。
国津、とはその国の船着き場のことです。
能登の国において重要な海運の拠点であったことは容易に想像できます。
何百年もの間、この場所がいかに重要であったか。
そしてその拠点に巨大な建物を造る高い技術をもった人々が集まっていたと考えられます。
この草原の下には、古代からの遺構が眠っています。
現在は地域の人により草刈りをし整備されています。
現在70~80歳代の方が子供の頃、ここでヤリや土器を掘り出して遊んでいたそうです!
なんと、贅沢と言いますか、驚きの遊びです。
発掘していたのは、縄文土器だったそうです!!
万行遺跡への行き方
JR七尾駅からタクシー・車で約10分程度です。
七尾駅からまっすぐ国道160号線をすすみ、「報国町」信号を越えて、クリニックを右折します。
国道160号線沿いに、大きな現地案内看板があります。
【万行遺跡 詳細】
●指定区分・・国指定史跡
●名称・・万行遺跡
●指定年月日・・平成15年8月27日/平成16年2月27日(追加指定)
●所在地・・七尾市万行地区土地区画整理事業地 仮換地地番57街区5号公園
●面積・・22872.00㎡
57街区(宅地)20590.00㎡
5号公園(公園)2282.00㎡
●所有者・・七尾市
(七尾市リーフレットより)