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源氏の勇将長谷部信連(はせべのぶつら)公を祀る「長谷部神社」【穴水町】
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のとルネアンバサダー、観光担当のっちです!

長谷部祭りで有名な、穴水町にある長谷部神社をご紹介します。

 

穴水港が目の前にある長谷部神社

長谷部神社は、穴水の街中から宝山マリーナや潮騒の道、ボラ町やぐらの方へ向かう途中左手にあります。目の前に穴水港があります。潮騒の道の案内板のすぐ手前になります。

御祭神は長谷部信連(のぶつら)公

御祭神として祀られている長谷部信連公は、奥能登六水の開発・発展に尽力された鎌倉時代の武士で、長谷部神社は地域の産土神としとしてあがめられています。

狛犬ではなく神狐が鎮座

長谷部神社は稲荷社ではありませんが、狛犬ではなく神狐が社殿の前に鎮座しています。

これは、御祭神である長谷部信連公が、苦境において狐に助けられた事があり、その恩を忘れず狐を大切にしてきた故事に基づき、二〇一四年社殿新築の際建てられたようです。新しくて、なかなか迫力のある神狐です。ちなみに以前は狛犬がいたそうです。

今はコロナの収束を願って、マスクをしています。

長谷部神社 御由緒

長谷部神社の歴史が書かれたご由緒が社殿の左側にありました。長谷部神社の御神体は長谷部信連公の自作であると伝えられているとあります。ご由緒の上の円形のオブジェは、九曜紋といわれる長谷部家の家紋のようです。

(全文書き出し)

当社は、奥能登六水の開発・発展に尽力された、鎌倉武士の長谷部信連公を御祭神に祀り、地域の産土神として尊崇されてきた。 信連公は、源平争乱の時代に、平氏の討伐を各地の源氏に呼びかけた高倉宮以仁王(後白河法皇の第二皇子)に仕えた、 武勇の士として知られる。公は討伐の全てが発覚した際、以 仁王を密かに逃し、独り三条高倉の御所に踏みとどまって、 王の捕縛に来襲した軍兵を相手に奮戦した。やがて捕らえられたが、平氏の詮議に対する毅然とした態度が、「弓矢をとるものの手本」と賞嘆され、死罪を免れ禁獄に処せられた。 この間の模様は、『平家物語』に詳しい。

 その後、平家が都落ちすると赦免され、伯耆国日野郡に移り住んだが、平氏の滅亡後、源頼朝は以仁王の遺臣であった信連公を捜しだし、文治二年(一一八六)六月、鎌倉御家人の列に加え、能登国大屋荘の地頭に補任した。公は荘内の穴水保に居住し、建保六年(一二一八)十月二十七日、同荘河原田の地で七十二歳の生涯を閉じた。やがて子孫は長氏と称し、全国各地に勢力を拡げた。

信連公自作と伝える当社の御神体は、寄木造の御影像で 公の菩提所であった当地穴水の来迎寺に安置されていたが、 寛永二十一年(一六四四)五月、後裔の加賀藩年寄の長連頼が、 同寺の寺地を割いて信連社堂(現当社本殿)を建立し、御影像 を奉祀したのが、当社の創建である。宝暦五年(一七五五)十 二月、京都の神祇管領長上の吉田家より武健霊神の号を賜っ て武健霊社と称し、文政五年(一八二二)八月、明神の号を受け、同七年七月には、大明神に昇階し、武健大明神と称した。 明治六年(一八七三) 七月、長谷部神社と改称。同十六年 七月には郷社に昇格し、明治四十一年四月、神饌幣帛料供進神社に指定された。 昭和十年(一九三五)十月、御祭神信連公の居城であった、穴水城跡山麓の現在地に遷座した。 当社の七月の例大祭は、長谷部祭として多彩な行事で賑わう。 

『長谷部信連記』によれば、信連公が京都を離れ石見国に流浪の折、女性に変化した孤が、公の直衣の菊綴を食いちぎり走り去ったため、不思議に思って後を追うと、新祭礼に供えた枕付の御飯の脇に孤が座り、菊綴を置いて招き寄せた。 そこでこれを食するに、甘露の如き美味で、飢えを満たし力を得たとある。この狐は、後に船に来て、穴水近辺に住んだという。 信連公はこの狐の思を生涯忘れず、公の子孫の長家では、末世に至るまで狐を大切にし稲荷を祭った。当社の社前に神狐を安置するのは、御祭神信連公の故事に因むものである。

平成二十六年五月吉日

長谷部神社社殿造営の趣意

こちらには、長谷部神社の新築や修復・整備についてのいきさつが書かれています。平成24年から工事が始まり、26年に完成したとあります。

(本文書き出し)

 当社は、能登国大屋荘の地頭であった、鎌倉御家人の長谷部信連公を御祭神に奉斎申し上げ、 地域の歴史に深い由緒ある神社であります。 三百五十年前の江戸時代前期に建築された社 殿は、永きに渡り風雪に耐えてまいりましたが、 昨今、屋根や床の老朽化が著しく、雨漏りなどが頻発する事態となっていました。 そこで当社と 末社の氏子崇敬者で構成する長谷部十社会の役員が、協議検討を重ねた結果、当社奉賛会と協力して、長谷部神社御社殿造営委員会を結成し、平成二十四年十一月二 十四日、拝殿・幣殿の新築並びに、本殿修復社頭整備の事業に着工しました。 

以来、多くの方々の御奉賛を賜り、翌二十五 年十月二十日、上棟祭を執行し、一年半の事業期間を経て、 同二十六年五月三十一日、完成の運びとなりました。

長年に渡り地域の繁栄を祈念してまいりました歴史と伝統をもつ当社が、人々の尊崇をうけ末永く護持されることを願うものであります。

子寶(こだから)石

「子宝石」もありました。御祭神の信連公が子宝に恵まれ、子孫が末永く繫栄したという故事に因み、豊穣多産を記念して陰陽の自然石を安置してあるそうです。隕石は越中八尾産、陽石は能登珠洲産とあります。

長谷部まつり

毎年7月に、長谷部神社の御祭神である長谷部信連公をしのんで盛大に行われる祭りが長谷部まつりです。

メインは穴水町にゆかりの方々が当時の姿に紛して、役場から商店街を練り歩く武者行列を含むパレードですが、それ以外にも花火大会や灯篭流しなど様々なイベントが町内各地で行われます。

2020年、2021年と新型コロナ感染拡大により中止となっていますが、2022年までには収束して無事開催されることを祈願したいと思います。

また長谷部神社の隣には、「穴水町歴史民俗資料館」もありますので、ぜひこちらにもお立ち寄りください。

【「長谷部神社」施設詳細】

住所:〒927-0027 石川県鳳珠郡穴水町川島ウ29-1

電話番号:0768-52-3010

営業時間/期間:8時00分〜17時00分

定休日:無し

駐車場:10台 無料


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