加賀藩が七尾港の出崎に作った七尾軍艦所の記念碑「七尾軍艦所跡(ななおぐんかんじょあと)」【七尾市】

のとルネアンバサダー、観光担当のっちです!

加賀藩が七尾港の出崎に作った七尾軍艦所の記念碑が残る場所。

 

七尾に以前あった「七尾軍艦所」

七尾軍艦所は文久2年(1862)、七尾港の出崎(現在の矢田新町と万行町の境にある海岸)に作られました。
そして、明治4年(1871年)に閉鎖された場所になります。

その「七尾軍艦所」はすでに建物は無くなっていますが、記念碑は今でもその場所にひっそりと残っています。

七尾軍艦所の記念碑である「七尾軍艦所跡」

現在、建物はありませんが、立派な石碑が今でもしっかりと残っています。

 

場所は少しわかりづらい場所にありますが、目印として北鉄能登バス「矢田新東」と七尾市内循環バスマリン号「七尾軍艦所跡」のバス停を見つけてもらえれば、そのバス停の真後ろにあります。

「七尾軍艦所跡」についての説明もある

「七尾軍艦所跡」の横には、どのような場所なのかの説明が書かれた看板もあります。

【「七尾軍艦所跡」についての説明】
七尾軍艦所は、文久2年(1862年)から明治明治4年(1871)まで加賀藩により梅鉢海軍の根拠地及び艦船実習地として設置されました。敷地は当場所を中心として約65000平方メートルあり、この中には造船所、製鉄所など多くの施設が造られ、造船はもちろん機械、船具等の製作修理が行われました。明治2年(1869)の軍艦所内に七尾語学所が併設され、教師には英国人パーシバル・オズボーンが招かれて英語、西洋事情の教育に当たりました。教育を受けた人々の中から高峰譲吉、桜井錠二博士、瓜生外吉海軍大将など著名な人達が多くでました。語学所は、その後わずか1年で閉鎖されましたが、近代日本の躍進に果たした役割は大きいと評価されています。

七尾市の歴史の中で、海防の拠点ともなっていた七尾。
その歴史を読み取れる重要な場所の1つです。ぜひ、足を運んでみてくださいね。

【「七尾軍艦所跡」施設詳細】
住所:〒926-0015 石川県七尾市矢田新町
※北鉄能登バス「矢田新東」と七尾市内循環バスマリン号「七尾軍艦所跡」のバス停後ろ
電話番号:0767-53-8424(七尾市観光交流課)
料金:無料
駐車場:なし


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