室町時代に造られた「大島諸願堂」【志賀町】

のとルネアンバサダー、観光担当のっちです。

海の景色が美しい志賀町。

海の思い出は美しく楽しくのこる方も多いでしょう。

しかしそこには悲しい物語もありました。

大島海岸の大島諸願堂をご案内します。

大島と書いて「おしま」

志賀町にある大島。おしま、と読みますよ。

ですので大島諸願堂も、「おしましょがんどう」と読みます。

「能登ふるさと博」が行っている「シン・能登スマホスタンンプラリー」の、志賀町のチェックポイントとして掲載されていたので初めて行ってみました。

カーナビで案内通りにすすみますが、細い道で少し不安になりました。

写真の意冨志麻神社に向かって右側の道をすすみます。この辺からすでに波の音が聞こえてきました。

ちなみにこちらの神社は意冨志麻神社と書いて「おおしまじんじゃ」と読むそうです!

道を進むと、このように車両侵入禁止の看板とロープがありました。

これ以上車では進めないので、車はその場で駐車させていただいて、歩きました。

駐車場はとくにありませんでした。

ロープの向こうは広く、観光シーズンには開放されているかもしれませんね。

車を降りて歩くとすぐに左手に見えました。「大島諸願堂」の案内看板です。

志賀町指定文化財 石積六角地蔵塔 

何やら、石積が見えます。

こちらは、六角形の地蔵塔、六角地蔵塔と呼ばれるものです。

石積六角地蔵塔は室町時代に造塔されたそうで、昭和48年に志賀町指定文化財となっています。

近くに行ってみました。
確かに!六角形です。面には地蔵菩薩が彫られています。
高さ3.06mですもあります。

大島海岸の悲しい物語

今から約500年前の室町時代。今の長崎県大村市である肥前大村の船持・武太夫(ぶだゆう)の息子が乗った船が、
離れたここ石川県の大島の沖で難破し、乗っていた息子や乗組員たちは亡くなったという言い伝えがあります。
悲しみにくれた武太夫は、息子や乗組員たちを何とかして供養したいと考え、
故郷の肥前(長崎県)の石を使用し地蔵塔を建てたとのことです。
この石は遥か遠い長崎県から運ばれて、積まれたものなのですね。親の武太夫の悲しい気持ちが伝わってきます。
大島諸願堂は今も大島で潮風に吹かれ、武太夫の悲しい思いを伝え続けているとのことです。

この日は静かな波の日でした。より一層悲しい思いが伝わってきます。

大島海岸を一望!

六角地蔵塔のすぐ横には高台につながる階段がありました。

階段を登りきると、こういった景色でした。
とくに景色があるというわけでもないのですが、ここから海方向を見ますと・・・!

 

綺麗な景色!日本海の水平線が眺望できます。

眼下に六角地蔵塔が見えますよ。

【大島諸願堂 詳細】

石川県羽咋郡志賀町大島

 


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