日本五大山城「七尾城」史跡【七尾市】

のとルネアンバサダー、観光担当のっちです。

山全体を城とし、難攻不落とされた巨大山城・七尾城。

その城跡を、巡っていきます。

七尾には、こんなに素晴らしい史跡があるのです!

日本五大山城のひとつ「七尾城」

七尾市の「七尾」の名称の由来は、七尾城のあった山(通称・城山(じょうやま))の7つの尾根(菊尾、亀尾、松尾、虎尾、竹尾、梅尾、龍尾)からと言われています。

七尾城は普通のお城ではなく、山の地形を活かして築かれた城でした。とても壮大で、地形をいかして屋敷がたくさん建てられ、その遺跡が数多く存在しています。

日本中世五大山城のひとつに数えられる、強固な城であったということです。

※日本中世五大山城について
滋賀県の小谷城・上杉謙信の春日山城・島根の月山富田城・近江の観音寺城・そしてこの七尾城をいいます。

国指定史跡 七尾城跡

山城の歴史に関するとても重要な史跡として、昭和9年に、国指定史跡となっています。このような山城の遺跡は、他には若狭の後瀬山城しかなく、全国でも貴重な場所となっています。

上杉謙信も絶賛した七尾城

山の地形を最大限に活かした見事な山城は、上杉謙信も城攻めに苦戦したといいます。

あの上杉謙信をもっても武力で攻め落とすことができず、七尾城内で謀反を引き起こし、落城させたということです。

天宮と称された七尾城

山麓に城下町が広く連なり、山頂にそびえる七尾城は「天宮」とまで称されたと記録に残っています。

「天宮」と称したのは、京都の文化人・東福寺の禅僧「彭淑守仙(ほうふくしゅせん)」です。

当時の七尾城主である畠山氏の家臣・温井(ぬくい)氏が「独楽亭(どくらくてい」を建設し、その素晴らしさの記録を彭淑守仙に依頼し「独楽亭記」という書を作りました。

独楽亭記は、七尾城からの絶景や城下町の七尾の様子なども書かれている貴重な文書です。中でも七尾城については、「梯空架雲」(空にはしごをかけて雲に架かる)や「覩史之天宮云々」(きっとこの御殿は天帝の住む宮殿であろう)という絶賛の文言が記されています。

七尾城の眺望は素晴らしかったのでしょう。目に浮かぶようです。
現在もその景色は映えスポットとして有名です。
七尾を舞台にしたアニメ「君は放課後インソムニア」でもこの本丸跡が登場していますよ。

七尾城の歴史

今から約600年前の室町時代に、畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶が、この地に城を築いたと言われています。その後、八代当主畠山義続・九代当主畠山義綱の頃に、能登で戦乱が続いたために増築された七尾城は、この頃に最大の縄張りとなったと言われています。

1576年(天正4年)に能登国に侵攻した上杉謙信に攻め入られ、七尾城は一年にわたって持ちこたえるも、開城派の家臣と開城反対派の家臣の内部対立の末に孤立し、最終的には開城派の遊佐(ゆさ)氏の内反により開城されてしまいます。
この際、開城反対派の家臣・長(ちょう)氏とその一族は遊佐氏に皆殺しにされています。長一族で生き残ったのは、七尾城保守のために織田信長に援軍を求めに行っていた長連龍など、2人のみだったそうです。
七尾城はこうして開城となりましたが、その後上杉謙信の急死により、ふたたび情勢が変わります。生き残り、長氏の家督を継いだ長連龍が、織田信長の家臣となって能登に攻め入り、一族の仇である遊佐続光らを打ち、恨みをはらすのです。
七尾城は、これにより織田信長の支配下となり、そこで、かの有名な前田利家が入城することになります。しかし前田利家は既に山城の時代ではないとし、拠点を平地の小丸山城(現在、小丸山城址は七尾市小丸山公園となっています。)に移したため、七尾城は廃城となり、その歴史に幕を降ろしました。

上杉謙信の「九月十三夜陣中作」が詠まれた七尾城

七尾城が上杉謙信によって兵糧攻めにあった際に、川に白米を流した「白米城伝説」は有名なエピソードとなっています。

エピソードの詳細をこちらから漫画でご覧いただけます。

また、上杉謙信が七尾城に攻め入った日は9月13日。この日の月は仲秋の名月に次ぐ明月であり、この日、上杉謙信が七尾城で詠んだ漢詩「九月十三夜陣中作」は非常に素晴らしい詩だと有名で、現在も詩吟と言えばこの詩というようにたくさんの人々に詠まれています。
そんな素晴らしい詩を生み出すほどの素晴らしいところであった七尾城です。

七尾城跡 散策コース

この城山は、地元市民には散歩コースや、遠足コース、トレッキングコースとして人気があります。
城山全体が山城となっていたため、史跡は所々に点在します。
その史跡を巡りながら、山道をゆく散策コースが設定されています。

【徒歩で】

A.制覇コース(所要時間約150分)
七尾城史資料館→沓掛→寺屋敷→調度丸→本丸→桜馬場→九尺石・温井屋敷跡→二の丸→三の丸→安寧寺→七尾城史資料館

B.中心部コース(所要時間約50分)
本丸駐車場→調度丸→本丸→桜馬場→二の丸→三の丸→安寧寺→樋(とよ)の水→寺屋敷→調度丸→本丸駐車場

となっています。

七尾城跡中心部散策コース(所要時間約50分)に挑戦!

近年の山城人気から、秘かに人気上昇している七尾城跡。
その中心部散策コースに挑戦するため、本丸駐車場まで車で行くことにします。
七尾市街、七尾駅前から車で15分。「史跡・七尾城跡」という案内看板があります。

麓から道を進んでいくと、

七尾城跡2.2km

展望台登り口3.5km

と目安の案内があります。

こうして途中途中に距離の目安案内看板がたっています。
一本道で迷うことはあまりないと思いますが、山道は長く感じるものです。こうした案内看板を見ると安心しますね。

七尾城本丸駐車場に到着です。

本丸駐車場よりさらに先へ車を進めると「城山展望台」へと続きます。
「城山展望台」詳細はこちら

今回は、本丸駐車場で車を降り、七尾城本丸跡へは徒歩で行くことになります。

 

駐車場には案内看板があり、看板下には史跡七尾城跡案内パンフレットが設置してあります。

こちらのパンフレットは散策するには是非持っていくことをオススメします。

七尾城址を巡るための必要なコース案内、歴史の案内が記載されていますので、このパンフレットと合わせて歩いて見て欲しいと思います。

歴史の面影を感じることのできる「七尾戦国のみち」の案内があります。
散策に、トレッキングに適しています。

橋がかかっていたといわれる堀切

さて、駐車場から本丸跡に向かう際に、左手を見上げてみてください。

本丸と、その隣には城主の重要家臣である長(ちょう)氏の屋敷があったとされる曲輪(くるわ)があります。
その間は深く掘りこまれ、こういった形を「堀切(ほりきり)といいます。

堀切がはっきりと見てとれます。そしてこの上部には橋がかかっていたとのことです。
かつて本丸と長氏の屋敷があったところの間には、橋が架かっており行き来できましたが、
何か有事があった際、いざという時は橋を落とし遮断することができたとのことです。
これも防衛の策なのですね。

駐車場から七尾城本丸跡への道はウッドチップで整備されています。
履物は、スニーカーや、少なくとも踵のない靴を選んだ方がいいでしょう。

七尾城本丸跡からこの看板に描かれている二の丸・三の丸、安寧時跡、寺屋敷跡などすべて歩いて見てまわると一時間程度かかりました。

所要時間約50分と案内にあった通りです。

 

駐車場を後に、徒歩ですすむとすぐに調度丸跡となります。早速荘厳な石垣が現れます。
こちらの石垣は桜馬場の石垣でこちらを登ると七尾城本丸跡の石垣となります。

 

高く積まれた石垣に圧倒されます。
間近で見ると、本当に息を飲んでしまうほど迫力があるんですよ!

戦国時代から遺る「野面積み」石垣

これらの石垣は当時の物で、野面(のづら)積みと言われる工法で作られたものです。
当時の七尾の海にあった石も使われているとのことです。

七尾城本丸跡へは、まるで天に続く道!

野面積みの石垣を登り、桜馬場という、当時馬がつながれていた屋敷があった跡に出ます。
そこから左へ行くと本丸跡へ。
右へ行くと二の丸へ向かいます。
まずは本丸跡へ行きましょう。
晴れた日に登ったのですが、本丸跡に行くためのこの石垣の階段は、まるで天宮の城に続く階段のように思えました。

本丸跡の真下の石垣。こちらは昭和38年に再現されたものだそうです。

天宮の城からの絶景!

登り切ると、広く、気持ちよく開けた七尾城本丸跡に着きました。

七尾城本丸跡からの景色です。
ここ、七尾城本丸跡の標高は305mあります。七尾市街、七尾湾、能登島と遠くまで見渡すことができますよ。

七尾城本丸跡から見下ろす石垣。切り立っており、少し足がすくみます。 

七尾城本丸跡には鳥居、社があります。昭和17年に建てられた城山神社です。
城山開山式の折にも、こちらで安全祈願がされていました。

お社から見た風景です。まさに、天宮の城です!
昔、当時の七尾城主もこの同じ海、空を見たのでしょうか。

本丸跡は七尾城跡の中心となる曲輪(くるわ)で、東西の長さが50m、南北の長さが40mあります。

さて、本丸跡から先ほどの桜馬場へ戻ります。
そのまま桜馬場を通り抜けるように進むと、二の丸へ向かうのですが、その少し手前に「九尺石」があります。

大手門にあった?九尺石

訪れた時は整備中でした。
九尺石とは、石の大きさにちなんで名づけられた石。
九尺とは2.727mです。大きいですね!

写真の正面に見える少し横に長細い苔むした石です。
当時巨石は権力の象徴とも言え、目立つところに置かれたと思われますのでここはかつて城下から七尾城につながるメインの道「大手道」の門だったと考えられています。

七尾城二の丸

七尾城二の丸は、本丸に次ぐ第二の拠点となった曲輪で、生活の場であり軍事拠点でもありました。

山の形をいかした天然の砦となっており、生活の場でありながら城下の様子を見ることができ、また敵の侵入を見張ることのできる場所です。
木々の間から町の景色が見えるのがわかりますか?

秋には紅葉の名所として人々を喜ばせています。

歩いて巡ることのできるコースには「本丸跡」「遊佐屋敷(ゆさやしき)」「二の丸」「三の丸」「寺屋敷」「桜馬場跡」「調度丸」「安寧寺(あんねいじ)跡」など、広きにわたって案内がされており、一つ一つゆっくり見て、学びながら巡ることができます。

かなり急な階段もありますが、手すりに掴まりながらゆっくり降りていくことができます。

途中、「樋(とよ)の水」がありました。
この下流は「蹴落川(けおとしがわ)」となります。悲しい歴史エピソードのある川です。
その詳細は、七尾城史資料館の記事内にあります。

樋の水は戦国時代からある湧水(ゆうすい)です。畠山氏の時代から懇々と湧き出ており、戦国時代の七尾城の水としてとても重宝した湧水だったそうです。
年々、水量は減っているそうです。
触ってみるととても冷たかったです!飲水出来るとは書いてありませんでしたが、あえて飲水してみました。3口ほど飲みましたが、私はおなかはこわしませんでした。

この樋の水にはヒダサンショウウオが住んでいるそうですよ。

一時間程度の散策でしたが、山の澄んだ空気に素敵な景色も眺めることができ、歴史の勉強以外でもまた訪れたいと思いました。
市民の散策コースと言われているのも理解できました。
七尾城跡では、様々なイベントが開催されています。
特にトレッキングコースとして人気があり、毎年県内外からたくさんの方が参加し七尾城のあった山を満喫しています。

七尾城跡へのアクセス

自家用車、タクシーだと本丸駐車場までいけますが、公共機関ですとバスで七尾城史資料館までとなります。
七尾城史資料館から本丸駐車場までは徒歩となります。

七尾城史資料館から本丸跡までの道のりは、先にも挙げました「七尾城山開山式」の際にそのコースを歩いていますので、参考までにご覧くださいね。

七尾城の歴史について学べる七尾城史資料館にも是非お立ち寄りくださいね。

七尾にはこんなに深い歴史があったのですね!七尾城本丸跡を歩いていみて、初めて知る歴史もありました。
素敵な風景も見ることができました。
能登にいらした際には、必ず寄ってほしいオススメの場所です!

「七尾出世城ARクイズ」アプリ誕生

キャラクターとの撮影や歴史クイズが楽しめるアプリが公開されます。是非、ダウンロードして、七尾城跡をさらに楽しんでください。2023年11月25日公開予定です。詳細はこちらからご確認ください。

【七尾城跡 詳細】

所在地:七尾市古府町 古屋敷町 竹町入会字大塚14番の1・2・4、15番の2ほか

交通案内:

・JR七尾駅→ 車で →七尾城跡本丸駐車場まで 約7km 所要時間15分

・JR七尾駅→ バスで(市内循環バス「まりん号」七尾城ルート順回り) →七尾城史資料館まで 所要時間15分

・七尾城史資料館 → 徒歩で → 七尾城本丸跡 所要時間150分(往復)

(史跡七尾城跡パンフレットより)

 


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