国重要文化財の五重塔がある「日蓮宗本山妙成寺(みょうじょうじ)」【羽咋市】
のとルネアンバサダー、観光担当のっちです。
石川県羽咋市にある日蓮宗本山 妙成寺(みょうじょうじ)をご紹介します。
初めて妙成寺を訪れたのは2022年の1月。
入口に入りすぐに目に飛び込んできたのは、素晴らしい五重塔‼︎
そこまでたどり着くまでの石段にも風情を感じます。
颯爽と高く聳え立つ五重塔は、ほんとうに心に強く残る塔でした。
2回目の訪問時に、お話を伺う事ができました。
光栄山善住寺の住職 本山妙成寺の執事長でいらっしゃいます山川知則さんに伺いました。

さざれ石(さざれいし)

石が固まって一つの岩になっています。
家族で言うと、一人一人が心を合わせていこうと言う象徴を石で表したのがこのさざれ石。
岐阜県の揖斐川(いびがわ)地方からやってきました。
同じところから出た物が皇室に献上されているそうです。
縁あって妙成寺にきたこちらの石は、夫婦岩のように置かれていますよ。

浄行堂(浄行菩薩)

法華経(お経)に出てくるお一人で、水に関係する四菩薩のお一人。
四菩薩とは、お釈迦様が亡くなって2000年の後に人間界に現れ法華経の教えを広めるとお経に書かれています。
日像上人はこの浄行菩薩の垂迹とされています。

日像上人が妙成寺開山

妙成寺は日蓮宗の本山です。
今から700有余年前の永仁2年(1294)、日蓮聖人の弟子日像上人が師命により妙法を京都に広めんとして佐渡から都上りの途中船中で、能登石動山天平寺座主満蔵法印(日乗上人)を教化改宗し一寺を健立したのが妙成寺のはじめです。
※当山由緒である
当、金栄山川妙成寺は日蓮宗の本山で日蓮聖人の孫弟子、日像上人の開山したものである。
今の堂塔伽藍は旧藩主前田家第三代利常公の御生母壽福院殿の菩提寺として造営し第五代綱紀公に至って完備したもので、本堂、祖師堂、五重塔などの十塔は重要文化財に指定される。
水をかけて痛いところを擦り治りますようにと願掛けをしお参りすると良いとされています。

ニ王門・国重要文化財

二つの王尊(阿行・吽行)
向かい合ってるのは珍しく、奈良の東大寺の南大門、善光寺と同じ形式です。
江戸時代に造られました。

経堂・国重要文化財

お釈迦様のお経(天界版)を江戸から金沢に持ってきて、披露してから妙成寺に納められたとされています。
仏様のお経一切経(八万四千の種類がある)それらが全部納められた経堂です。
真ん中の人は門番で中国の人、傅大士と二童子(お経を守る人)。

五重塔・国重要文化財

高さは34.18m。
日本木造の当時京都の54mからは中規模の建物です。
江戸時代初期のもので、日光東照宮と同じ時期に建てられていて寸法もだいたい同じです。
階段下から仰ぎ見ると、聳え立つ様子が素晴らしい!
青空だと、なお綺麗に見えます。
遠くからはもちろん、近くから見ても綺麗なようにと屋根の反りやバランスを考えられています。
当時日本で一番の腕を持っている人が棟梁となって建てられました。
斜めから見ても真っ直ぐです。
扉の裏表に彫刻がされていて見事です。
塔の土台は石の上に芯柱を置いて造られていて、振動を吸収する造りでです。
スカイツリーにも塔の技術が応用されていますよ。
法華経では、塔を中心にする信仰があり、塔が仏そのもので、塔そのものをあがめます。
正面の五重塔と御堂本堂で特徴的な伽藍配置になっています。
鐘楼堂は袴腰になっています。袴を履いたような美しい形ですよ。
軒の長さ、屋根の大きさが絶妙で、バランスよく綺麗に見えます。装飾を施さないが建物自体が建築美です。

浩妙院

 

浩妙院は前田家三代利常公の長女で、十八歳で亡くなりました。利常公の母である寿福院(浩妙院にとっては祖母)と共に江戸屋敷で育ちました。
利家公の側室、寿福院は、江戸屋敷にて前田利家公の正室まつと代わって人質となり江戸屋敷で亡くなりました。
まつは金沢城に帰り、金沢城で亡くなりました。

寿福院の影響を受けたとされる浩妙院

熱心な法華ほっけ信者寿福院が居なければ、妙成寺はここまで立派に残っていないであろうと言われています。
息子である三代藩主利常公はとても出来た人で、加賀藩の礎を築いた方です。
江戸城では鼻毛を生やして馬鹿なふりをしていた「鼻毛の殿様」で有名です。

釈迦堂

妙成寺の奥にある一番のパワースポットです。

一丈六尺のお釈迦魔4.8m(釈迦立像)

この釈迦立像の首の部分は柴垣海岸に流れ着いたと言います。
漁師がそれを持ってきて、その後体の部分を創りここに納められました。

閻魔堂

閻魔様は一番最初に死んだ人と言われています。
亡くなった後、閻魔様の裁きを受けて行く先が決まります。

三光堂・国重要文化財

日天・月天・明星天
三光の信仰。
能登では昔からこの信仰が盛んであったといいます。
ここでは国家の安全が祈られていました。

三十番神堂拝殿(番人堂)

一日一日古来の神々が順番に日本の国を守るとされていました。
三十日間あり、神体30体が守られています。
本殿と拝殿があり、三代利常公が、大阪冬の陣夏の陣出陣の際に戦勝祈願で建てられたお堂です。
※明治政府により神社と寺を分けることになり、拝殿だけ羽咋市内の神社に移築されました。
その後時を経て神社の拝殿を建て替えるにあたり平成3年、またここに返された経緯があります。

本堂・国重要文化財

前田家の寄進で最初に建てられた、妙成寺の中心的お堂。
三堂横並びと言い、本堂・祖師堂・三光堂が並び一体で設計されたものです。
建てられた当時の姿で残る、国内でも貴重な様式です。

年3回、大きなお参りがあり本堂では2回、祖師堂で1回執り行われ、三大会と呼ばれます。

毎年7月26日に、三大会の一つ、寄合会(きごうえ)があります。
第二祖日乗上人のご法事で、昔は盛大で、出店もありました。
金沢からも電車に乗り沢山お参りに来たそうです。

寿福院の肖像画が奉納されています。

とても柔らかな優しいお顔をされています。
加賀藩を支えていた本当の母とも言われます。
もちろんまつが居てこその前田家。
まつは太陽で、それに照らされて皆んなを陰で支えてきたと言われるのが寿福院です。

祖師堂・国重要文化財

日蓮聖人像が祀られています。
特別にお参りするときでないと開帳しません。
普段は閉じたままです。
・他のお堂と比べて装飾が多く、欄間の彫刻や手が込んだ建築です。
・日蓮聖人の御命日10月13日です。
妙成寺では1ヶ月遅れのお逮夜(たいや)の11月12(日)にお参りされます。

客殿

普段の御祈願、ご法事がされます。

書院・国重要文化財

殿様が来た時にお休みになる御座の間。
五七桐紋の襖で、これは公家の人しか使えない紋です。雲母を使用しています。
利常公の娘が公家に嫁ぎ、五代藩主綱紀公も天皇家から家紋と位をもらっています。
なので、ここで使われています。
欄間の透し彫りは一枚板で、江戸初期のものとは思えないくらい綺麗な柄です。

庭・県指定名勝庭園

鶴と亀が石で表されていて鶴亀の庭園とされています。
鶴は千年、亀は万年という長寿の象徴でもあります。
お寺の繁栄と前田家の繁栄をとされています。
縁側で休むことができます。
ここに腰かけて、庭園をご覧ください。
素晴らしい庭園で、さらに五重塔を見ることが出来ます!
間近で見る五重塔も素敵ですが、庭園から見る五重塔もとても素敵です。

庫裡(くり)・国重要文化財

お寺の居住スペースで、お坊さんが寝泊まりしていたところです。

妙成寺参拝順序

このように、入口には拝観順序の案内がありますので順にまわってみてくださいね。
加賀百万石前田家ゆかりの寺・妙成寺は能登に来たならばぜひ見ていただきたい代表的な場所です。

元日奉納揮毫 元旦午前10時

書家 阿部豊寿さんによる「元旦奉納揮毫」

国宝指定の期待が高まる、本山妙成寺。
令和6年度も元日奉納揮毫を行います。僧による寒水大荒行後、長さ10Mの和紙に謹賀新年を揮毫します。
続いて、干支「辰」も金文字にて特大の書で揮毫します。

日時:令和6年度1月1日 午前10時から 無料

場所:本山妙成寺(石川県羽咋市滝谷町ヨ-1)

阿部豊寿 略歴
書道家/石川県書美術連盟理事
伝統的な書道を追求しながら、大筆による奉納揮毫まで力強さを特徴とする活動を行う。現在、石川県書美術連盟理事を務めながら県内書展審査も行う。2020年本山妙成寺客殿に扁額書奉納(寿福院生誕450年)
2023
年国民文化祭の開幕セレモニーにて文化絢爛を揮毫する
過去の様子の写真を、阿部豊寿さんより提供いただきました。

 

【日蓮宗本山 妙成寺 詳細】

石川県羽咋市滝谷町ヨの1番地
0767-27-1226(代)
年中無休
●拝観時間
4月~10月 8時00分~17時00分
11月~3月 8時00分~16時30分
●拝観料
大人(高校生)500円
小・中学生 300円
●駐車場
専用駐車場あり
●アクセス
・車/ 金沢からのと里山海道柳田ICまで50分
柳田ICを下りて約10分
・バス/金沢駅から北鉄バスの羽咋中で約70分 
柴垣で下車して徒歩約25分
・列車/JR金沢駅から羽咋駅まで約60分
北鉄バス富来行に乗り換え
妙成寺口まで約19分 下車して徒歩約15分


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