宮内庁管理・北陸随一の大きさ「小田中親王塚古墳・亀塚古墳」【中能登町】

のとルネアンバサダー、観光担当のっちです。

能登にはたくさんの古墳があります。

中能登町には北陸最大級の前方後方墳があることで有名な「雨の宮古墳群」があります。

そしてもう一つ、重要な古墳があります。

それは、「小田中親王塚古墳」です。

宮内庁管轄の古墳

中能登町にある小田中親王塚古墳。こだなかしんのうづかこふん、と読みます。

古墳のある地域は「小田中(こだなか)」といいます。

七尾市から羽咋市へ続く国道159号線より少し山側に沿った旧街道沿いに佇まいしています。

写真は小田中親王塚古墳正面です。

古墳の形状は円墳で、周囲に濠があります。

頂径20メートル、底辺67メートル、高さ14.5メートルと北陸随一の大きさです。

見上げると、木が茂っていますが確かに円墳のようです。

樹木も周囲も手が入っており、とてもきれいに管理されていると思いました。

正面に立つと、空気が澄んだような、凛とした雰囲気がありました。

不思議な感覚になった場所でした。

崇神天皇の皇子が眠る小田中親王塚古墳

小田中親王塚古墳 は、宮内庁により

第10代 崇神天皇の皇子「大入杵命墓 (おおいりきのみことのはか)」

として定められています。

案内板にも、しっかりと「宮内庁」と書かれており、

みだりに立ち入らないこと、濠の鳥、魚類をとらないこと、竹木等を切らないこと

とあります。

第10代 崇神天皇は、考古学上実在したとすれば3世紀後半から4世紀前半(弥生時代末期から古墳時代あたり)の天皇とされています。

その皇子である大入杵命(おおいりきのみこと)の墓とされているのが小田中親王塚古墳です。

造られたのは4世紀後半とされています。

天皇の系譜の方ですので、宮内庁管轄なのですね。

平家物語に記されている小田中親王塚

有名な鎌倉時代の書、「平家物語」には「小田中のシンノウヅカ」との記載があります。

この小田中親王塚のことです。そんな時代から有名な古墳であったことがわかります。

古墳周囲の濠

古墳の周りにめぐらされている濠を見てまわっていると、一羽の真っ白なサギがいましたよ。

羽根を広げた様子がお濠の水面に綺麗に映っています。

偶然ですが、美しいものを見ました。

古墳横の大きな木

古墳のすぐ横に、大きな木がありました。

まるでご神木のようです。

大きな伐採があったようですね。

それでも木は枯渇しておらず、今も大きな枝振りがありました。

木の中に空洞が!

向こうの景色が見えますよ。

苔も美しく神秘的です。

小田中親王塚古墳の向かいに亀塚古墳

小田中親王塚の陵墓不属地として、こちらも宮内庁が管理しています。

小田中親王塚古墳の、道を挟んで真向かいにあります。

こちらは亀塚古墳と呼ばれ、小田中親王塚古墳とともに中能登町指定史跡に指定されています。

こちらも小田中親王塚古墳と同様に、とても美しく管理されているのがわかります。

邑知地溝帯を挟んで雨の宮古墳群

大型の古墳群である「雨の宮古墳群」は国指定史跡とされており、同じ中能登町にあります。

小田中親王塚古墳との位置関係は、邑知地溝帯を挟んで向かい側となっています。

上記の写真は、「雨の宮古墳群」から撮ったものです。

邑知平野を挟んで、向かい側に小田中親王塚古墳が見えるんですよ。

ちょっと写真では判別しづらいかもしれませんね。

でも実際にその場に立ってみると雨の宮古墳からしっかり小田中親王塚古墳が見えました。

きっと小田中親王塚古墳からも雨の宮古墳が見えるのでしょう。

しかし小田中親王塚古墳は雨の宮古墳と違って立ち入ることはできませんので、確認はできません。

邑知地溝帯は、昔はとても盛んな交易の場であったそうです。

それを見守ることのできる場所にある、古墳です。

【小田中親王塚古墳・亀塚古墳 詳細】
鹿島郡中能登町小田中井部111番地外
 JR能登部駅から車で10分
小田中バス停から徒歩10分


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