
能登の入口、宝達志水町にある村昭繊維興業株式会社は、今年で創業74年を迎える歴史ある会社です。かつてこの地域で繊維産業が盛んだった頃から、村昭繊維興業は時代の流れに合わせて事業の姿を変えてきました。
市村昭代史(いちむらあきよし)社長(※2026年1月より会長に就任)は、先代から受け継いだ歴史を大切にしながらも、挑戦することを止めない熱い想いを語ってくださいました。この記事では、その技術力の秘密、能登半島地震を経ての地域への想い、そして未来への希望をお届けします。
Contents
能登の地で進化し続ける糸のプロフェッショナル
最初は織物工場としてスタートした村昭繊維興業ですが、今では帝人や東レのような大手メーカーの原糸を、さらに優れた機能を持つ糸に加工するプロ集団に進化しています。仮よりと呼ばれる加工を施すことで、風合い、強度、染色性などを安定させた特別な糸を生み出す技術が、村昭繊維興業の大きな強みです。
その想いが、HPに大きく書かれているこの文字に表されているようです。
糸を極める。造語のようですが、村昭繊維興業の職人としての誇りを見事に表しています。

織物から糸加工へと舵を切った技術立社のDNA
村昭繊維興業が大きな転機を迎えたのは、オイルショックが起こった昭和48年(1973年)頃のことでした。それまでは、ヨーロッパ製の最新鋭織機を導入するなど、進んだ織物づくりに取り組んでいたそうです。
ところが、生産性の高いウォータージェット織機が登場すると、従来の織機では競争に勝てなくなってしまいました。この大きな変化を前に、先代の社長は大胆な決断を下します。織物づくりから、糸の加工に事業の軸を完全に移したのです。
「生産性が悪くなってしまうと、やはり続けるのは難しい。それで、糸の加工の方に切り替わったのです」と、市村社長は当時の状況を教えてくださいました。この決断があったからこそ、今、自動車シートの裏地やスポーツウェア、衣料、資材など、多岐にわたる分野で村昭繊維興業の技術が活かされているのです。常に新しい機械や技術を積極的に取り入れる姿勢が、会社の成長を支えてきたのです。

コンフォーマ加工秘話
村昭繊維興業さんの技術力がどれだけすごいかを示すエピソードとして、住友化学が開発した特別な温調素材コンフォーマ入りの糸加工があります。これは、大阪・関西万博への出展を目指す中で、住友化学が加工に困リ果てていた難題中の難題でした。
この糸はコンフォーマを芯にしてポリエステルを鞘で包んでいる構造をしています。これをTシャツなどに使える細い糸に加工しようとすると、すぐに糸が切れてしまったり、摩擦で芯が外に出てきて白い粉が発生してしまったりするのです。
「普通だったら、途中で諦めてしまうでしょうね」というほどの難しさだったそうですが、村昭繊維興業は長年の経験と独自の技術を駆使し、見事にこの難題をクリアし、万博での販売に間に合わせました。「使いやすいように加工するということ、これが一番難しい」と社長は笑います。
今はまだ量産化には課題が残るというものの、こうした特殊な分野で、この技術を持っているのは、この会社だけという存在になること、量や値段ではなく真の品質で勝負する姿勢こそが、村昭繊維興業の誇りなのです。

理念と挑戦を支える心の経営
社長に就任された市村社長が真っ先に考えたのは、社員さんをどう大切にするかということでした。特に大卒者を採用できる、魅力的な企業になりたいという思いから、働く環境と、社員一人ひとりの成長に力を注いできました。
その経営の根っこには、倫理法人会で学んだ精神が活きています。会社の企業理念は、「質を高めること 心のこもった仕事を通して、お客様の満足、そして社員の幸せを追求して、地域社会に貢献します」。これを毎朝、みんなで唱和しているそうです。
その結果、今では社員全員が5S活動にも積極的に取り組むようになり、質の高い、心のこもった仕事という理念の実践に繋がっているようです。
そして、社長が特に大切にしているのが、社員さんとの心の繋がりです。社長は「自分がアンテナを上げていることが大切」とおっしゃいます。例えば、給与明細を手渡しする時に、社員さんの体調や元気のない様子を察知し、「最近何かあったか」「この前残業、頑張っていたね」と声をかけるための、大切なコミュニケーションの機会としていたこともあったそうです。この温かい心の経営が、村昭繊維興業のチームワークと生産性を支えているのですね。
創業の精神を次代へ:倫理法人会での学びと地域貢献活動
市村社長は、倫理法人会で学んだことを、経営だけでなく地域社会への貢献にも積極的に活かされています。その一環として、会社で得た利益を、ただの寄付ではなく、使い道まで考えた具体的な形で地域に還元しようとされています。来年で10年になるという、中学生向けの講演会開催がその一つです。
講演会には、半身不随から復活し命の授業の講演家として活躍する腰塚勇人氏や、エベレストに登頂して、母親に「産んでくれてありがとう」を伝えた木元正均氏など、人生をかけて何かを成し遂げた一流の方々を招いています。
「300人の生徒さんの中で、たった一人か二人にでも、心に響くものがあれば嬉しい」という社長の願いが込められたこの活動は、未来を担う子どもたちにとって、かけがえのない学びの場となっていることでしょう。
能登の未来を担う若者へ
市村社長の教育への熱い思いは、能登の未来を担う高校生への支援にも繋がっています。社長が今注目しているのは、DX校に指定された羽咋高校が行っているMITメソッドの学びです。これは、生徒たちが地元の課題を解決するためのアプリを作り、世界的な場で発表するチャンスを得るというものです。
社長は「能登にいる子どもたちにも、世界へ繋がるチャンスがあるんだよ、ということを示したい」と、羽咋高校の生徒さんをこの活動へ送り出す応援をされています。
優秀な人材が都会へ出ていってしまう傾向がある中で、地域を愛し、ここをルーツとして誇りに思ってくれる未来の担い手を育てる教育支援こそが、能登全体の希望になると考えているのです。
震災を乗り越えて
2024年1月1日の能登半島地震発生時、市村社長は地域の神社で奉仕活動中でした。激しい揺れで目の前の灯籠が倒れるのを見て、大変なことが起きたと悟ったそうです。幸い、宝達志水町の会社やご自宅は地盤が強かったこともあり、大きな被害は免れました。従業員さんにも怪我人は出ませんでした。
しかし、中能登町の倉庫に預けていた商品が崩れてしまい、すべての商品を再検品し直すという大変な作業が発生しました。
社長は「私はいいので、支援は被災されたところに回してください」と、支援を受ける立場は辞退。その一方で、奥能登の友人や知人への支援の必要性を強く感じています。地域に存在する企業として、できる限りの役割を果たそうとする、その責任感が伝わってきます。
復興への提言
能登の復興については、行政の動き方にもっと積極性が必要だとお考えです。宝達志水町の商工会会長を務めたご経験から、「職員をやる気にさせる」「組織を動かす」ことは、トップの責任であると痛感されています。
社長は「動かないのを、動かすのがトップの責任」と、リーダーの姿勢が全てを決めると断言します。
また、支援のあり方についても提言されています。世界的な時計ブランドリシャール・ミルが能登支援のためにゴルフのチャリティトーナメントを開催した際のエピソードから、一流のブランドが地域を支援することで、能登の価値が上がっていくという、長期的な視点での支援の重要性も感じていらっしゃいます。
お金の支援だけでなく、教育や文化といった形で能登の未来を育むこと。そして、行政や企業が連携し、トップが率先して地域を動かすこと。それらが復興を加速させる鍵だと考えているのです。
経営哲学を継ぐ未来の展望
創業74年の村昭繊維興業は、いよいよ次の世代、息子さんである専務への事業承継を考えているところです。これからは大手の仕事だけでなく、自分たちで積極的に開発し、営業して仕事を取ってくる攻めの経営が必要になると見ています。
そこでは、市村社長が築き上げた、最先端の技術と設備、そして心の経営という土台が活かされることでしょう。さらに、専務には海外経験があり、貿易実務にも詳しいそうで、心強い限りですね。
社長は最後に、企業が地域にあることの深い意義を改めて語ってくださいました。
「今の時代、本当に価値のある会社じゃないと、地域のお役には立てませんから」。
そう語る市村社長の言葉には、経営者としての覚悟と、地元への深い愛情が込められていました。

世界を驚かせるような技術を磨きながら、同時に、働く人やこの町を大切に想う。そんな村昭繊維興業の温かいバトンは、しっかりと次の世代へと受け継がれていきます。
これからもこの能登の地で、どんな素敵な「糸」と「希望」を紡いでいってくれるのか。その未来を、これからも楽しみに見つめさせていただきたい。そんな温かい気持ちをいただいた取材でした。
【画像提供:村昭繊維興業株式会社様】
企業詳細
村昭繊維興業株式会社
住所:石川県羽咋郡宝達志水町北川尻ワ3
TEL :0767-28-2421
【電車】JR免田駅から徒歩15分
【お車】JR免田駅から車で3分/JR羽咋駅から車で16分

















