のとルネアンバサダー、観光担当のっちです。
輪島市門前町にある黒島地区は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
黒島地区の建物は「黒瓦」「格子」「下見板張り」という共通要素によって統一感があり、美しい町並みを保っています。
Contents
天領地であった黒島
ここ、黒島地区は「天領地」でした。
天領とはなんでしょう?
天領とは
徳川幕府の直轄地 のことをいいます。
普通は加賀藩など、地区は「藩」が管轄するのですが、この黒島は徳川幕府が直接支配する土地だったのです。
では、なぜここ黒島が天領地だったのでしょう?
黒島がなぜ天領に?
黒島は元々加賀藩主・前田利家のものでしたが、利家のいとこにあたる陸奥 (福島県) 窪田藩主・土方雄久 に与えていた土地が重要な場所になったため、能登に散在する 6 1ヶ村・一万三 千石と交換しました。
そのひとつに黒島がありました。
後々、窪田藩主・土方雄久は御家騒動に触れ罰せられることになり、領地は幕府によって取り上げられました。ですので、幕府の直轄地となってしまったのです。
これは、豊臣秀吉に忠誠を尽くし尚且つ大きな藩を持つ前田利家を、徳川幕府が警戒していたため何かしらの理由をつけて前田家の地に幕府直轄の地を置いたという説があるのだそうです。
ここ黒島にある「黒島天領北前船資料館」の説明にありました。
北前船で栄えた黒島
黒島は日本海を目の前にして当然の如く漁業が中心に行われていた地です。
能登の海運業が盛んになり、江戸中期からの北前船の時代には廻船問屋がどんどん隆盛していきました。
それに伴い、北前船に関わる船頭や船員、船大工がこの黒島に移住し、勢いのある集落となります。
近隣の村々が加賀藩領であったのに対し、 黒島は明治元年までずっと「天領地」であったため、自由な経済活動ができたことも隆盛を極める一因でした。
明治後期になると、陸路が発達し廻船業が廃れていきました。それと同時に黒島は衰退していきましたが、現在も当時の栄華を感じることができる美しい町並みを保っています。
黒島の旧角海家住宅
この黒島の中でも一際立派な住宅があります。それは重要文化財に指定されている旧角海家住宅です。
江戸時代の物流の要であった北前船で財を成した廻船問屋・角海家には貴重な資料や記録が多数残されています。
黒島の若宮八幡神社
旧角海家の前の石段を上がると若宮八幡神社があり、高台になっています。
鳥居をくぐり、長い石段を登ると黒島を一望できます。
そこから見下ろす町並みは、旧角海家を含め黒々とした瓦葺の家が立ち並ぶとても美しい景色です。
黒島の総鎮守である若宮八幡神社には、海上安全を祈願した船絵馬が 奉納されています。
重要伝統的建造物群保存地区
黒島地区には、角海家をはじめ独特の様式を持つ 伝統的な建物が数多く残っています。
かつての船主をはじめ、船頭や船員のかつての住宅が数多く残されており、美しい町並みを形成しています。
能登地方を代表する町並みとして黒島は「伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持している」 と して、 平成21年6月30日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
伝統的な建物の特徴として、「黒瓦」「格子」「下見板張り」という共通要素によって統一感があります。
特に黒瓦は真っ黒でツヤツヤです。太陽の光にあたると海の輝きに負けないくらい光っています。
黒島地区では、平成19年の能登半島地震によって多くの建 物が被害を受け、美しい町並みは危機的状況を迎えました。これに対して美しい町並みを後世に残していくために、町並み保 全型のまちづくりが始められ、その一環として伝統的建造物 群保存地区の活用を目指したという経緯があります。
黒島地区散策の注意事項
黒島地区には、旧角海家住宅、黒島天領北前船資料館、若宮八幡神社、他見所がありますのでゆっくりと散策をしていただきたいとおもいます。
黒島地区全体が文化財に指定されていますが、地区内は住民の生活の場ですので最低限のマナーを守っていただくようお願いいたします。
また、個人宅はほとんど非公開です。プライバシーにご配慮を願いします。
そして、文化財指定地区ですので全面禁煙です!
黒島地区散策マップ
旧角海家住宅に見学に行きますと、こういった散策マップがありますので是非ご覧くださいね。眺望スポットや散策のモデルコースなどが記載されていますよ。
【重要伝統的建造物群保存地区 黒島地区】
※旧・角海家住宅の住所を記載します。
石川県輪島市門前町黒島町ロ94