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田鶴浜建具発祥の地・長連龍菩提寺「東嶺寺」【七尾市田鶴浜町】

のとルネアンバサダー、観光担当のっちです。

七尾市の「建具の町」田鶴浜町にある曹洞宗のお寺です。

田鶴浜町が建具の町といわれるようになったルーツがここにありますよ。

大変興味深い歴史がつまったお寺です。

曹洞宗 龍松山 東嶺寺(とうれいじ)

七尾市田鶴浜町にある曹洞宗のお寺、東嶺寺は、室町時代後期である永正17年(1520年)に開山されました。

元は七尾市の七尾城下にあり、実相院と称していました。約50年後の天正5年(1577年)七尾城主畠山家の重臣長通連の夫人(長連龍の生母)を弔い、花渓寺と改称しました。

その後、長家中興の祖である長連龍(ちょう つらたつ)が元和5年(1619年)に亡くなった後、慶安3年(1650年)に第23代長連頼が父の菩提を弔うために堂宇を改築しました。その際に、連龍の法号「東嶺寺庵主」から東嶺寺と名付けました。

以来、長氏の菩提寺として保護されています。

田鶴浜建具発症の寺

東嶺寺は、田鶴浜建具の発祥の寺でもあります。

田鶴浜建具とは、能登地方で発展した伝統的な建具工芸です。

東嶺寺では、改築の際に尾張から指物師を呼んで戸障子や欄間を制作させました。その当時の建具が今も残っています。

その現存している建具は後述しご紹介しますね。

長連龍(ちょう つらたつ)とは?

長家はかつて能登半島を治めた豪族で、加賀藩重臣の一つになりました。

長家は、平家物語にも語られている長谷部信連を始祖として、鳳至郡大屋荘を源頼朝より拝領しています。室町時代には能登・畠山氏重臣として穴水城に拠って七尾城にも屋敷を構え、能登・畠山氏を支えていました。

長連龍は、七尾城落城後、織田信長に仕え、後に前田家に仕えています。

主家・畠山家の滅亡の後に、長家も一族のほぼ全員が謀殺されて滅亡しましたが、連龍は織田信長に仕えて再興を果たしました。

有名なエピソードとしては、天正5年(1577年)10月22日、上杉謙信による七尾城攻めの際、七尾城主・畠山家に仕える長連龍は、織田信長に助けを求めるため、包囲されていた城を脱出しました。

織田軍勢の助力を得て、加賀松任の倉部浜に着くと、父・続連、兄・綱連を含め一族の首が並べられているのを見、七尾城の落城を知ります。

(七尾城は上杉謙信の攻めにも落ちず、畠山氏の家臣であった遊佐、温井氏が内応し落城することになりました。)

織田軍は撤退することにしましたが、上杉軍が織田軍に襲い掛かり、手取川の戦いでは織田軍の多くが溺死者を出して敗走しました。

(信長公記には、このことはわずかに北国の軍が帰ってきたのみと記されています。)

長連龍も安土に戻り、信長の武将としていろいろな戦いに臨みました。

天正6年(1578年)、上杉謙信が死亡すると、上杉家の内紛(御館の乱)があり、景勝が勝利しますが、勢力は弱まります。

このため七尾城に拠った遊佐、温井氏等は上杉方武将を追い出し、信長側に就いていきます。

これに対し長連龍は、遊佐・温井氏が父や兄の仇であることから敵対が続きます。これに対し天正8年(1580年)織田信長は、長連龍に鹿島半郡(59ケ村、3万1千石)を与え抑えようとしますが、結果的には遊佐父子を捕らえて首を取り、上杉方に拠った温井、三宅氏は前田利家との戦いで石動山に出陣しましたが、応援に駆けつけた佐久間盛政軍に敗れ、石動山の堂宇は全て燃やされてしまいます。温井。三宅氏はここで討死にしました。

長連龍は、長家唯一の生き残りとなったあと能登地方において織田信長の勢力が拡大する中で、織田信長に仕えて再興を果たしました。

ですので、一旦滅亡した長家を再興させたということで、長連龍は「長家中興の祖」なのです。

ちなみに、長連龍は若い頃に出家しており、お坊さんだったのですよ。「孝恩寺」と称していました。

七尾城の戦いの際もお坊さんでした。

その後織田信長に仕え、還俗しお坊さんではなくなった、という経緯があります。

ますます興味深い人物です!

織田信長の死後、前田家の家臣となり、数々の戦に参戦し功績を上げました。

前田家を支えた重臣として「加賀八家」の一人とされ、3万3千石を与えられました。

前田利家の遺言で、長連龍は「役に立つ人物」と評しています。

まるで大河ドラマのようなエピソード満載の長連龍です。

東嶺寺 山門

さて、建物を拝見していきましょう。

まず、現在の大工さんも唸るという扇垂木の山門です。

総欅です。屋根の下の垂木が放射状になっているのがわかりますか?

この技術は大変高いもので、見学に来た大工さんは感嘆の声をあげたそうです。

この高い技術で造られた山門や他建物は、長家の勢いや文化を伝える貴重なものです。

築300年以上の東嶺寺

東嶺寺は曹洞宗で禅寺です。

昔は修行堂があり、修行僧がいたそうです。

寺の前に立つのは樹齢500年以上といわれるラカンマキです。

今回はありがたいことに長田住職さんのご案内で中も拝見することができました。

中に入ると綺麗に苔蒸している三和土が。美しいですね!

修行僧がいた頃、実際に修行堂で使用されていた掛け札です。

「座禅」の「禅」の字は昔の字体で、少し違うのがわかりますか?「ム」になっています。
「放参」というのは「休み」ということだそうです。

御本堂です。

あちらこちらに見えるこの家紋。長家の家紋ですが、めずらしい「銭九曜」です。

「銭」が真ん中に大きなものが一つ、周りに八つで合計九つありますよ。

本堂にある天蓋。

こちらもよく見るとひとつひとつが銭九曜の家紋できています。

東嶺寺は長家なくしては語れないお寺ですので、家紋の数が長家の大きな存在感を醸し出しています。

現代アートにも通用する様なデザインだと思いました。銭九曜の形がとても可愛く見えてきました!

さて、さらに奥に案内していただきました。

禅寺には必ず達磨大師がいます。東嶺寺にもいらっしゃいました。

この像はなかなかなイケメン・・・!!

御本堂の奥にある、長家の位牌堂です。
真ん中んお一番大きいものは長連龍のもので、なんと1m20㎝あると。
位牌の周りにはたくさん家紋が表記されています。

向って右は長家の開祖・信連の位牌といわれています。

東嶺寺開山当時からある貴人台です。

こちらもやはり銭九曜の家紋がしっかりと入っています。

こちらも当時からある花器です。いずれも七尾市の指定文化財に登録されています。


位牌堂のとなりには、東嶺寺歴代の住職の位牌があります。

「私もいずれここに並ぶんですよ」と長田住職さんはおっしゃいました。

これだけの方が、これまでの東嶺寺を守ってこられたのですね。

田鶴浜建具発祥となる東嶺寺

東嶺寺は慶安3年(1650年)の大改修の際、尾張から指物師を呼び寄せました。

その技術が大変優れており、村人が次々と弟子入りしたことがこの町の「田鶴浜建具」の起源となったそうです。

高い技術で美しい田鶴浜建具は、東嶺寺あってこそ!なのですね。

当時の人々が感嘆した建具が現存していますよ。

本来は御本堂の正面に入っていた扉ですが、老朽化し、傷んできたことから現在は枠組みだけその場に残され、建具はこのように保存され、拝見することができます。

この扉は当時のもので、一枚板をノミで打ち抜いたもの。途中でひとつ折れてしまうと台無しになってしまうという。今は年月を経たので一部欠損してますが、当時の完璧な姿は見事だったのでしょう。
これぞ尾張の技術!当時の町民は見惚れたここでしょう。ここから田鶴浜建具ははじまったのですね。

奥の庫裏も案内していただきました。

こちらの戸も、当時からあるものです。

木の年輪の柾目が細くまっすぐで綺麗です。この年輪の数ですと、ものすごい樹齢の木だっったことがうかがえます。

こちらは魚の形をした鳴らし物です。腹部をたたいて音ならすことで時を告げます。

座禅の時は一切の会話がありませんので、音で合図をするそうです。

腹部が窪んでいますね!長年の使用によるものでしょう。

建物内にある鐘

お寺にある鐘。たいていは外に鐘楼堂があります。

しかし東嶺寺の鐘は、寺の中にあります。

建物の中にあり、下から階段を昇っていき、座った状態で鐘を突きます。

座ったまま、というのは珍しいですね。

除夜の鐘はもちろんこの鐘を突きますよ。機会があれば是非お越しになってみてくださいね。

椿の木の大廊下

東嶺寺の見もののひとつ、椿の厚板が貼られている大廊下。

茶褐色の部分は近年補修した部分ですが、奥の灰色の部分は建立当時のままの廊下です。

椿の木の板で貼られており、長く続く大廊下となっています。

その昔、禅僧が毎日通ったであろう足跡がうかがえそうです。

「不許葷酒入山門」

さて、境内の入口です。

石碑には「不許葷酒入山門」という文字が刻まれています。

「くんしゅ さんもんに いるを ゆるさず」と読みます。

生臭い物(肉や魚など)、香りの強い野菜(ニラ、ネギ等)を食べた者、酒を飲んだ者は寺に入らないで、という意味です。

修行中の僧がおり、座禅をしています。その僧たちを惑わすようなものは境内に入れない、ということです。

現在修行堂はありませんが、私たちも参拝時には守りたいですね。

長家代々の墓所

本堂に向かって左手に、銭九曜の家紋がついた門があります。その先は長家代々のお墓があります。

この先は許可なく立ち入り禁止、とあります。この日は住職にお声掛けして、入らせていただきました。

墓所へ続く階段も、苔蒸していて美しい緑です。

墓所は丘陵にあり、階段を登った先、林の中に長家代々の墓があります。

真ん中は、長連龍その人の墓です。

とても大きいですね。

墓の正面の景色は、木々で少し見えにくいのですが、七尾西湾がみえます。

その先は穴水町があります。

お墓は、長家の城、穴水城に向かって建っているのではないでしょうか。

東嶺寺第32代住職 長田さん

長連龍の菩提寺・東嶺寺の現住職である長田さんです。

拝観の折は電話で一報くだされば、予定が合えばご案内してくださるそうです。

今回は取材ということで大変丁寧に、そして愉しく案内してくださいました。

語り口が優しく且つ明るくて、お寺の歴史が面白いように理解できました。

【東嶺寺 詳細】

七尾市田鶴浜町二部253甲
0767-68-3501
拝観には事前に連絡を御願いします。


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