希望の一粒を未来へ繋ぐ「有限会社和倉炊飯」| 七尾市

能登半島地震からの復興は、単に建物を元に戻すだけでなく、能登の文化と生活を支える事業者たちの活動を守り抜くという挑戦でもあります。

七尾市で30年以上にわたり、学校給食や和倉温泉の旅館、地域スーパーなどに美味しいご飯を届けてきた有限会社 和倉炊飯もまた、甚大な被害に見舞われた事業者です。

しかし、細川修代表取締役と仁八慶純専務取締役を中心とした和倉炊飯のチームは、発災直後から水が途絶えるという最も厳しい状況下で、水があればご飯が炊けるという強い信念のもと、被災地への炊き出し・弁当供給を続けました。

本記事では、能登の食を支える和倉炊飯が直面した困難と、震災から立ち上がるためのこれまでの歩み、そして持続可能な未来に向けたビジョンをご紹介します。

創業以来、お客様に喜んでもらうことを一筋に


有限会社 和倉炊飯は、平成2年(1990年)10月設立され、和倉温泉の旅館向けに白飯の販売を始めました。以来、地域に根差した炊飯事業、米販売事業、弁当・加工品卸販売事業を展開されています。

当初は和倉温泉が主な取引先でしたが、1993年には地元スーパー「どんたく」への酢飯供給を開始し、地域での存在感を高めました。2002年には七尾市、2013年には羽咋市の学校給食委託事業を受注するなど、事業の多角化と規模拡大を進め、能登の子どもたちの成長を「食」で支える重要な役割を担ってきました。2014年にはIH炊飯ラインを導入した新工場を新築移転するなど、常に品質と供給体制の強化に努めています。

細川代表が大切にする企業理念は、シンプルかつ強い思いであるお客様に喜んでもらうという一言に集約されます。能登の米を使い、能登の水で炊く美味しいご飯は、細川代表が能登の食文化に貢献する上で譲れない信念です。

202411日工場も自宅も、全てが被災した瞬間

2024年1月1日。和倉炊飯は、年末の大仕事(2023年12月30日)を終え、仁八専務はその片付けにきていました。この片付けが終わって帰路につこうとした直前に、本震に遭います。細川代表は、矢田町の自宅で被災し、自宅は半壊。現在(2025年11月時点)は解体を終え、かほく市へ移住しています。


会社は甚大な被害が出ました。米倉庫、作業場、事務所など、コメ販売、精米、炊飯、給食事業に関わる全てが影響を受けたそうです。とくに事務所は、天井が落ち、壁が崩れ、床が傾斜しました。

「この事務所の天井も壁も床も、自分たちでできる範囲で応急処置してそのまま仕事をしている。今後の本格復旧工事は未定です」(細川代表)

さらに深刻だったのは、ライフラインの途絶です。特に、炊飯という事業の根幹である「水」が、和倉地域では3月半ばまで出ないという長期的な断水に見舞われました。

発災直後の最大の困難と、事業継続への不撓不屈の対応

発災後、事業継続のために和倉炊飯が直面した最大の困難は、やはり水の確保でした。炊飯は水がなければ成り立ちません。

しかし、細川代表と仁八専務は諦めませんでした。

断水の中、地元企業であるみやけ食品さんが提供してくれた井戸水を頼りに、毎日水を汲みに行く作業が始まりました。

毎日18リットルのタンクに100個。2時間はかかりました。とにかく水の調達が毎日大変でした。」(細川代表)

毎日、計1,800リットルの水を汲むという重労働にも関わらず、和倉炊飯の火は絶えませんでした。

この水を使って炊かれたご飯は、輪島市の学校給食、田鶴浜、七尾市内、能登島、中島町西岸など、被災地や避難所の拠点、ボランティアの炊き出し拠点へと届けられました。特に輪島市の学校へは、能登里山里海街道のひどい渋滞の中、何時間もかけて、吹雪の日も休まず毎日弁当を届け続けたといいます。

困難を打破した「水があればご飯が炊ける」という発信

物資が不足し、情報も途絶えがちだった発災直後、和倉炊飯が炊飯を継続できたのは、まさに人との繋がり支援の連鎖のおかげでした。

七尾市議会議員のSNSで「食べ物、水がない!」という悲痛な声を見た仁八専務は、すぐさま「水があれば毎日ご飯が炊けます!」と発信。この訴えを汲み上げた知人の協力により、支援の水が届けられます。

さらに支援の輪は広がり、七尾青年会議所がポリタンク200個、約4トンの水を届けてくれたのは、発災3日後の1月4日のことでした。この水の供給により、避難所向けの炊飯を本格的に始めることができたのです。

水に苦労したので、水の供給は本当に助かりました。名古屋市の水道局がタンクローリーで供給に来てくれたのもありがたかったです。」(細川代表)

この水の力で、震災翌日から泊まり込みで働く従業員たち(中には自宅が倒壊した人もいました)も支えられました。また、関連会社から提供されたレトルト食品は、寝泊まりする従業員の食料となり、細川代表自身も、自宅が半壊しながら、みなし仮設で生活し、毎日会社に立ち続けました。

資金が尽きても、止まらない「助け合い」の連鎖

毎日何千食もご飯を炊き続けた和倉炊飯でしたが、1月中頃には支援いただいていた資金が尽きてしまいます。それでも、七尾市内のシェフが自己資金で行っていた炊き出しを手伝い、火を絶やしませんでした。

この強い思いが伝わり、その後、金沢のチャリティレストランが資金を出してくれることになり、炊き出しを継続することができたのです。

震災で七尾、中能登、羽咋の給食が停止し、仕事が激減した状況下だからこそ、和倉炊飯は輪島市やあらゆる拠点にご飯を届ける助け合いの役割を果たすことができたのです。仁八専務は休日に、他の被災した家屋のタンス運びや、ブロックを会社のトラックで運ぶなど、地域の片付けのボランティアにも精を出しました。

 

 次の災害への教訓

当時を振り返り、「備えとして、これをしておけば良かった」と感じることはあるかという質問に対し、細川代表は「思うことはない」と断言します。それは、発災直後から水汲みという途方もない努力と、地域・全国からの人道的な支援によって、危機を乗り越えることができたという自負があるからです。

あえて次の災害への教訓を挙げるならば、身をもって知った、水が事業継続の生命線であるということでしょう。

復興への課題と未来を担う人材の必要性

現在の和倉炊飯は、震災当時のまま応急処置を施した状態で、懸命に事業を継続しています。

しかし、直面する課題は深刻です。

一つは米の価格高騰です。2024年の発災時で前年比135%に高騰した玄米価格は、2025年には前年比166%にも達し、まさに令和の米騒動が続いています。

もう一つは従業員の不足です。震災後に能登を離れた人もおり、人手不足は深刻です。

とにかく人が欲しい。従業員が欲しい。私(細川)の次を任すことができる若い人がおらず、憂慮しています」(細川代表)

細川代表は、能登の復興はインフラだけでなく、にかかっていると痛感しています。今後、復旧・復興を進めていく上で、本当に助かる、事業の未来に繋がる支援は、何よりも細川代表の事業への想いを継ぎ、能登で働くことを選んでくれる、若く熱意ある人材であると強く思っています。

能登の食の可能性を広げる

今回の震災という大きな困難を経験した上で、細川代表は、今後もこの能登でを通して地域に貢献していくという強い決意を語ります。

現状、七尾、和倉の人口があっという間に減ったことを憂いながらも、事業を通して、能登の賑わいを創出する新たな取り組みに目を向けています。

それは、震災以前に行っていた、イベント向け弁当の供給事業の再活性化です。以前は平日には学校給食、休日には和倉をはじめ志賀町、宝達志水町などのサッカー合宿施設向けに、年間ピーク時には4万食もの弁当を届けていました。

今の事業で、弁当をイベントに出していきたい。以前のように500食くらいのたくさんの注文に応じたい」(細川代表)

能登に人を呼び戻し、イベントや交流を活性化させることで、地域経済の循環を促すこと。それが和倉炊飯が果たすべき能登の復興への貢献だと考えています。

全国へのメッセージ:恩返しを胸に、前進あるのみ

最後に、この記事を読んでくださる全国の皆様へ、細川代表は力強いメッセージを寄せました。

全国の皆様からの温かい支援、本当に心から感謝しています。おかげで、私たちは水がない中でも火を絶やすことなく、被災地にご飯を届けることができました。

私たちは、能登で事業を続けることで、恩返しをしていきたいと思っています。もし全国のどこかで災害があったら、今度は私たちが手伝いに駆けつけます。

能登はまだ道半ばですが、私たちは必ず立ち上がります。皆様の温かいご支援を、これからもよろしくお願いいたします

水が途絶えても、希望の一粒を未来へ繋ごうと努力を続ける和倉炊飯。彼らの炊き続けるご飯は、能登の復興へのエネルギーとなり、私たちに「食」の持つ力を再認識させてくれます。

企業情報

有限会社 和倉炊飯

代表者:代表取締役 細川 修

所在地:石川県)石崎町ヨ-17-2

事業内容:炊飯事業、米販売事業、弁当・加工品卸販売事業等


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