
2024年1月1日に発生した能登半島地震は、奥能登の美しい町並みと、そこで営まれる人々の生活を奪い去りました。
しかし、その逆境の中でも、能登の未来を見据え、一歩ずつ力強く歩みを進める人々がいます。
今回は、輪島市の朝市通りで海鮮丼屋「海幸」と「整体院かいこう」という二足の草鞋で事業を営んでいた、整体師の木村吉隆さんにお話を伺いました。
店舗は全焼という甚大な被害に遭いながらも、「身一つでできる」整体の仕事を軸に金沢で再出発を果たし、今は能登の復興を見据える木村さんの、静かなる闘志と未来へのメッセージをお届けします。
Contents
輪島で育まれた「食」と「癒し」の原点
木村吉隆さんは、能登・輪島で長く事業を営んでこられました。もともとご両親と妹さんが始められた飲食店に加わる形で、2003年に輪島市の「工房長屋」で「漁師の店こだわり」をスタート。さらに、2015年には輪島朝市通りにも海鮮丼屋「海幸(かいこう)」を構え、地元で獲れた新鮮な海鮮丼を提供する店として親しまれていました。

「父が漁師だったんです。父が獲ってきた魚を、できるだけ手を加えず『とれたものそのまま』の美味しさでお客様に食べていただきたかった。それが能登の魅力を一番伝える方法だと信じていました。」
木村さんの海鮮丼は、能登の豊かな自然が育んだ最高の素材に、余計な手を加えないシンプルさが支持され、観光客や地元の方々に愛されていました。

そして、事業の転機となったのが、世界中を覆った新型コロナウイルスのパンデミックでした。観光客の激減で飲食店経営が苦しくなる中、「何か別の柱が必要だ」と感じた木村さんは、整体の技術を身につけます。
「コロナ禍では飲食店だけではやっていけなかった。身一つでできる整体の仕事は、場所を選ばず、技術さえあればどこでも再開できる。そう考え、夕方からは『整体院かいこう』として整体の仕事も始めました。結果的に、この時の決断が、後に大きな困難を乗り越える上での生命線となりました。」
震災直後の心境:「なくなっちゃったなー」
2024年1月1日16時10分。木村さんは、奥様のご実家がある野々市市で被災しました。ご自身、ご家族、従業員は幸いにもご無事でした。しかし、輪島の店舗は全焼。甚大な被害を受けました。

全焼の報を聞いた時の心境について、木村さんは驚くほどに淡々と語ります。
「『なくなっちゃったなー』という、どこか他人事のような、ひょうひょうとした気持ちでした。お店が中途半端に残っていたら、また再建のことで悩んだかもしれません。でも、何も残っていなかった、ゼロになったからこそ、逆にスッと受け止めることができました。」
震災直後は、通信手段の途絶や道路の寸断など、奥能登全域で深刻な問題に直面しましたが、木村さんはすぐに「整体師として生きていく」と決断しました。身一つでできる整体の仕事は、この未曽有の災害において、最も強く、柔軟な事業でした。
事業継続の備え:割り切れたからこそ
当時のことを冷静に振り返り、「事業継続の備えとして、これをしておけば良かった」と感じる点について尋ねると、木村さんからは意外な答えが返ってきました。

「もちろん、データのバックアップや緊急時の連絡網は重要ですが、私自身は『ゼロになったからこそ割り切れた』という思いが強いです。中途半端に残っていたら、また違った心境だったかもしれません。全てを失ったことで、『もう一度、やりたいことをやろう!』と、かえって前向きな気持ちになれました。実際、整体の仕事は面白くて好きなんです。」
この「割り切り」と「好きなことをやる」という決意が、木村さんの復興への原動力となっています。
支えとなった「人の繋がり」
発災直後、木村さんを支えたのは、全国からの温かい支援と、地元や仲間の「人の繋がり」でした。
「炊き出しや物資をたくさんいただきました。そして何より、皆に気にかけてもらったことが心に深く残っています。」
木村さんは、自身も被災者でありながら、発災後の3ヶ月間、輪島の工房長屋で行われた炊き出しチームに積極的に参加しました。自分が助けられる側でありながら、人を助ける側に回ることで、心の平静と立ち直る力を得たと言います。
そして、木村さんが特に感謝の念を口にしたのは、「実践倫理法人会」の仲間、いわゆる「倫友」からの支援でした。
「一番弱っている心の部分で、本当に助けられました。被災後もモーニングセミナーには出席していましたが、半年間は話を聞くたびに共感して涙がにじみました。倫友のおかげで、自分一人ではないと思えたし、みんなと一緒にいるだけで元気になりました。そこから、能登のためにできることを、という気持ちがわいてきたんです。」

金沢で現在の整体院を開業するまでの間も、倫友の職場の一部で整体の仕事をさせてもらい、生活の基盤を築くことができたそうです。物資や金銭的な支援もさることながら、「心のケア」と「具体的な仕事の場」の提供という、温かい「人の助け」が、木村さんの再起を力強く後押ししたのです。
復興への課題:「旗振り役」の不在
現在(取材時点)、木村さんは奥様のご実家近くである金沢市で「みなし仮設」にて生活し、2025年4月からは金沢市に拠点を移し「整体院かいこう」を再開されています。
しかし、能登の復興状況について尋ねると、その口調は一転して真剣になります。
「正直に言って、復興は『おそい』と感じています。先週、南三陸町に視察に行ってきたのですが、仮設商店街ができるスピードなど、全然違う。あちらは1年経たずに仮設商店街ができ、避難所も5ヶ月で閉鎖されている。輪島は行政がとまっているように感じる。民間から働きかけないと動かないのが現状です。」
木村さんは、この遅さの一因として、奥能登が場所によって被災状況に大きな差があり、「被害にあっていない人とあった人の格差が大きい」ため、意見が一つにまとまりにくい構造を指摘します。そして、復興を加速させるために今最も必要とされているのは、「指導者、旗振り役が必要」という点だと強調します。
「行政は一度、外に視察に行ってほしい。他の地域と見比べてみて、初めてわかることもあるはずです。俯瞰して、能登全体の復興を加速させるためのリーダーシップが必要です。」
金沢で見つめ直す「能登の良さ」
海鮮丼屋「海幸」の再開を望む声も多いそうですが、店舗の再開には多額の資金が必要です。身軽に動ける整体師をメインの仕事としたことで、木村さんはやっと自身の生活を立て直すところまで来ました。
「生活は苦しかったですが、今やっと整体だけで食っていけるようになりました。整体は身一つでできるから、拠点を変えたり自分が動いたりすることができる。この身軽さが、今の能登では強みです。」
金沢に拠点を移したことで、木村さんは改めて「能登は良い」と実感しています。金沢に出てきたからこそ分かる能登の魅力、能登の可能性を、改めて見つめ直すことができたと言います。
能登へのコミットメント:地域復興への貢献
自身の生活の基盤が整い、「やっと自身のことが落ちついた」と言う今、木村さんの視線は再び能登へと向いています。「やっと地域のことに目を向けることができた」と語る木村さんは、今後、整体師としてのスキルと、被災経験から得た知見を活かし、能登の復興に貢献していくことを決意しています。
「今回の震災という大きな困難を経験した上で、能登の復興に貢献することが私の役割だと感じています。整体という形で、肉体的・精神的なケアを通して地域の方々を支えていきたい。」
具体的には、整体の仕事を通して地域の方の健康をサポートするとともに、自身の経験から得た知見を活かして、次の災害に向けた備えや、同業者への防災対策アドバイスなどにも積極的に取り組んでいきたいと考えています。
木村さんの持つ「食」と「癒し」の二つの才能は、形を変えながらも、能登の未来を支える力となっていきます。
全国の皆様へ:感謝と未来へのメッセージ

最後に、この記事を読んでくださる全国の皆様へ、木村さんから感謝と未来へのメッセージをいただきました。
「発災してから、特に倫理法人会の仲間には、一番弱っている心の部分で本当に助けられました。みんなといることで元気になり、『自分一人ではないから、能登のためにできることを』という気持ちが湧いてきました。この場を借りて、改めて全国からの温かいご支援に心より感謝申し上げます。
能登は今、大変な状況にありますが、私たち事業者は、未来を見据えて着実に歩みを進めています。能登の復興には、時間がかかります。長期的な目線でのご支援が不可欠です。ぜひ、能登の事業者の取り組みに注目し、金銭的な支援だけでなく、私たち事業を継続していくための商品購入や、能登を訪れることで『心の支援』をいただけると幸いです。」
飄々と語る木村さんの言葉の端々には、「能登で培った技術で、必ず能登に貢献する」という、静かでありながら揺るぎない決意が込められていました。
企業情報
木村さんが金沢で再出発された「整体院かいこう」は、能登の復興を目指す木村さんの新たな拠点です。この新たな一歩が、能登の未来へとつながるよう、皆さまの温かいご支援をお願いいたします。
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企業名: 整体院かいこう(旧:海幸)
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代表者名: 整体師 木村 吉隆
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住所: 金沢市古府1-135
- 電話:090-7717-7574
- メールアドレス:kim198760809@gmail.com


















