
能登半島地震からの復興を一歩一歩進めている企業を紹介する本企画。
今回は七尾市古府町で、地域のデジタルライフを長年支えている「ぱそこん屋ししど」の代表取締役社長、宍戸 紀文(ししど のりふみ)様にお話を伺いました。
創業以来、「専門的なことをわかりやすく」をモットーに地域のお客様に寄り添ってきた宍戸さんは、いかに激震を乗り越え、地域の復興を担おうとしているのでしょうか。
宍戸さんの未来への熱い展望に迫ります。
Contents
地域の「困った」を解消し続けた25年

「ぱそこん屋ししど」は、1997年の創業以来、七尾市を拠点に地域密着型のPCサポート事業を展開してきました。
PC販売・修理・設定、そしてトラブルサポートを主要な事業としています。法人化は2006年、その後七尾駅前を経て、2015年に現在の七尾市古府町へ移転されました。
この道一筋で歩んできた宍戸さんが何よりも大切にしているのは、「お客様に極力わかりやすく伝える」ことです。
「私たちの扱うPCは、どうしても専門的な知識や用語が多い分野です。お客様にとっては『何が起きているかわからない』『どうすれば直るのかわからない』という不安が大きい。だからこそ、私たちは専門用語を使わず、お客様の目線に立って、誰にでも理解できる言葉で説明することを徹底しています。地域の皆様のデジタルライフの『困った』を解消することが私たちの使命です」と、その企業理念を語ってくださいました。
皿一枚割れなかった「奇跡の自宅」と、地域支援への奔走

2024年1月1日の大地震発生の瞬間、宍戸さんはご自宅で被災されましたが、ご自身、奥様、娘さん、ご家族全員が無事でした。そして、驚くべきことに、震度6強の激しい揺れに見舞われながらも、ご自宅には一切の破損がなく、なんと皿一枚すら割れなかったといいます。
この「奇跡」は、決して偶然ではありませんでした。20年以上前にご自宅を建てた時から、奥様が耐震構造に徹底的にこだわり、日頃から防災対策を万全に講じていた賜物でした。
重いものを下に、軽いものを上に配置し、揺れで棚の扉が開かないように工夫するなど、日常生活の中で弛まぬ備えを続けていたのです。
「あの強烈な揺れでも家も家族も無事だったのは、妻の備えのおかげです。ただ、私は個人的に、亡き祖父が神社の神主だったこともあり、『いつもどこかで守られている』と感じる瞬間があります。きっと祖父が護ってくれているのだろうか、とも思いますね」と、安堵と感謝の気持ちを滲ませます。
一方、会社の方も、建物やPCなどの機械に大きな損傷はなく、被害は書類が崩れた程度で済みました。しかし、すぐに「パソコンを修理してほしい」という依頼が殺到したわけではありませんでした。
「発災直後は、誰もが生活の再建に必死で、『パソコンどころではない』というのが正直な状況でした。事業としては年度末がピークですが、売上は全くなく、経営的には大変厳しい状況に直面しました」
まともに仕事を再開できたのは3月から4月頃。この「仕事にならない」期間に、宍戸さんはITのプロとしてではなく、地域の一員として立ち上がります。
全国からの支援を困っている人へ直接届ける
被災時にはパソコン関係の仕事は優先度が下がるため、宍戸さんの仕事は必然的に減少。仕事にあてていた時間が空くことになり、「せっかくなら有意義に使いたい」と今出来る活動を模索することに。そんな時に頼まれたのが、全国から倫理法人会に届いた支援物資の「つなぎ役」でした。
宍戸さんは、「つなぎ役」を引き受けた経緯と当時の心境を次のように語ります。
「七尾市は震度6強の揺れに見舞われ、1階部分が潰れたり、全壊・半壊したりする家屋が続出しました。しかし、私自身の家は地盤が固かったことや、妻が日頃から地震対策を講じていたおかげで、お皿一枚割れなかったのです。 地震の翌日、秋元幹事長から電話があり、全国からの支援物資を受け入れる地元の役目を依頼されました。その時、内心『あ~なるほど、被災が軽かったのはこのためだ!みんなのために頑張ろう!』と合点がいき、引き受けることにしたのです。 能登里山海道の壊滅により、奥能登への道は国道249号線のみとなり、七尾市内は大渋滞。しかし、地元民である強みを活かし、裏道を使って自由に移動できたことが、支援物資の配送において大いに役立ちました」

届いた支援物資は大型トラック何台分にも及ぶ大量のもの。仕分けのための場所も人手も時間も足りない中、宍戸さんは奔走します。 金沢に集積された物資を仕分けし、能登各地の避難所や困窮者へ分配する作業は、想像を絶する困難を伴うものでした。
明らかに物資が必要とされているにもかかわらず、自治体によっては様々なルールや手順を理由に受け取りを拒否されるケースも発生します。
「最初に県議会議員の方を通じて中能登町へ支援物資を持っていくと、後続の物資があるため受け入れられないと断られました。志賀町では『水は不要、大人用おむつだけ置いていってくれ』と言われ、七尾市でも初回は受け入れてもらえたものの、2回目からは保管場所不足を理由に断られてしまったのです」


しかし、避難所からは「水も食料も全然足りない」という切実な声が上がっています。そこで、トラックから自分たちの車へ積み替え、各地の避難所へ直接配る作戦に変更。駅前の複合商業施設で活動する民間のボランティア団体へ市民が殺到し、物資不足に陥っていると聞けば、そちらへも物資を運び込みました。

「多くの方が物資を求めているのに、支援がスムーズにいかない状況に何度も翻弄されました。そんな中、近所の薬局さんが飲まず食わずで仕事をされていると聞き、すぐにパンを届けたところ、ものすごく喜んでくださった。その笑顔を見たとき、とにかく困っている人を直接助けることにこそ意味がある、と強く感じました」
倫友や多くのボランティアと共に協力し合い、被災後の数か月間、宍戸さんは支援物資を届ける活動を続けられました。


感謝と課題、能登全体の底上げを目指して
困難な状況下で宍戸社長を支えたのは、人との繋がりでした。倫理の仲間たちからは励ましのメールや電話がひっきりなしに届き、普段あまり連絡を取っていなかった従弟たちがグループで金銭的な支援(PayPayでの送金)をしてくれたことは、生活費の足しとなり、精神的にも経済的にも大きな助けとなったといいます。

「本当にありがたかった。皆様のご支援のおかげで、私たちはこうして活動を続けることができています。この場を借りて心から感謝申し上げます」
しかし、現在、事業を継続する上で、七尾市の抱える構造的な課題が重くのしかかっています。
「能登全体で少子高齢化がどんどん進んでいるところに、震災を経て認知症の方が増えたように感じます。また、若い世代で仕事をしていない方は、スマートフォンやタブレットで事足りてしまい、パソコン離れが進んでいる。このままでは、パソコン業界全体が厳しくなっていくのではないかという危機感があります」
宍戸さんは、IT業界だけの復興ではなく、能登全体の底上げが必要だと強く主張します。
「一部の業者が良くなっても、地域全体が復興しなければ、私たちの仕事も成り立ちません。特に観光業、例えば和倉温泉のような核となる場所がまず立ち直ること、そして、すべての地元の業者が復興し、経済全体が活性化することが必須です」
未来への展望:若い人が活躍できる土壌づくりを

今回の震災という大きな困難を経験された上で、宍戸さんは能登の未来に強い決意を持っています。
「私たちの目標は、七尾市を『地震前よりも良くなった』と、誰もが言える地域にすることです。そのためには、特に次世代を担う若い人が活躍しやすい土壌を整えることが重要だと考えています。事業を通して、地域社会の基盤を支え、未来に繋がる一歩を踏み出していきたい」
最後に、この記事を読んでくださる全国の皆様へ、メッセージをいただきました。
「皆様の温かいご支援のおかげで、私たちは今も能登で事業を続けることができています。しかし、復興はまだまだ道半ばです。どうか、能登のことを忘れないでください。引き続き関心を持ち、応援していただけることが、私たちの未来への一番の力になります」
「ぱそこん屋ししど」は、自社の復興に留まらず、地域全体の繁栄を見据えています。この力強い歩みが、未来を明るく照らしています。
企業詳細
企業名:nanaopc.net株式会社 / ぱそこん屋ししど
住所:石川県七尾市古府町に25-1
電話:0767-58-3232


















