「次に来ること」を読み続けて――吉村穴水町長が描く、奥能登の玄関口のこれから|穴水町

2024年1月1日、能登半島を襲った揺れは、七尾湾の奥にひっそりと佇む穴水町にも深い爪痕を残しました。あれから2年半あまり。町のかじ取りを担ってきたのは、この町に生まれ、この町で育った吉村光輝町長です。

「本当に、大事なふるさとなんです」

穴水町とはどんな町ですかとお尋ねしたとき、町長は少し間を置いて、そう答えてくださいました。飾らない、けれど確かな重みのある一言でした。

震災の前から、ずっと考えていたこと

町の将来を案じていたのは、震災のずっと前からでした。

「過疎で、人口が減って、経済の規模も小さくなってきている。将来どうなるんだろうという危惧は議員時代からありましたし、住んでいる町民の一人としても、不安はありました」

その思いを抱えて議員を務め、2022年に町長に就任されました。ただ、「何をすれば解決できるかという決め手は、正直、ないんです」と率直におっしゃいます。それでも理想ははっきりしていました。数少ない子どもたちが増えていくこと。そのために、子育て世代に住んでもらえる町を目指すこと。給食費の無償化、高校生の通学費の補助。「できることは全てやっていこうという思いで取り組んできました」。

手を止めない。その姿勢が、のちの復旧のスピードにつながったのです。

元日の午後、土砂を越えて役場へ

発災の瞬間、町長はご自宅にいらっしゃいました。「家の中にいたら危ないな、というくらいの揺れでした」。2階にいた子どもたちを連れ出し、家族を外へ避難させると、ご自身は役場へ向かいます。けれど、その道は土砂崩れで断たれていました。

「向こう側からもこちら側からも、行く手を阻まれた人たちが集まってきていました。」

町長は徒歩で土砂を迂回し、途中知り合いの車に乗せてもらってようやく役場へ。災害対策本部の設置時刻は、午後5時45分。県に問われ、たまたま時計を見た時刻を伝えたのだそうです。「結果的に、県内で一番遅かったんです」と町長は少し笑います。けれどそれは記録上の話。災害対応は、役場に足を踏み入れた瞬間から、すでに始まっていました。

※写真は穴水町よりご提供頂きました。発災直後の災害対策本部の様子です。

「次に来ること」を読み続ける

穴水町で取材していると、必ずと言っていいほど耳にする声があります。「穴水は仮設住宅ができるのが本当に早くて、助かった」。

なぜ、それほど早く動けたのでしょうか。町長の答えはシンプルでした。

「大規模災害が起こったら、次に来ることはだいたい想定できるんです。だから、とにかく早くやろうと。それは役場職員のなかで一致していました」

被災した場合、何が必要になるか。まず罹災証明。そのための調査。仮設住宅用の広くて平らな用地の確保など、2007年能登半島地震での経験をもとに、優先順位をつけて押さえていきました。調査の人手も、カウンターパートの静岡県、奈良県、栃木県と早い段階で相談しています。

※写真は穴水町よりご提供頂きました。応急仮設住宅訪問時の様子です。

災害ごみも同じです。「地震の数日後には、気の早い人はもう片付けを始めるんです。じゃあ災害ごみをどこに置くんだ、という話を先にしておかなくちゃいけない」。支援に入ってくれた熊本市などの力も借り、処理の仕組みは早々に立ち上がりました。

罹災証明も、申請を待つことなく、町をいくつかの区画に分け、エリアごとに全棟調査を進めたのです。

「これだけの被害なので、調査するのは分かっているんです。調査が終わったエリアの方には『もう罹災証明を出せますよ』とお伝えして、来ていただいたらすぐお出しする」

最終的に建設された応急仮設住宅は532戸。町の規模を思えば、途方もない数字です。「我々自身は経験値の少ない職員ばかりでしたから、国や各省庁、静岡県から災害対策のプロの方が来てくださって。そのアドバイスを聞き入れながらやることができました」。

早さの正体は、ひらめきではなく、先を読み、教えを乞い、決断を先送りしなかったことの積み重ねでした。

55%を超えた回収率が語ったもの

とはいえ、すべてが想定通りではありません。「町民の半数以上が避難する状況は、正直、想定していませんでした」。開設された避難所は50数か所。ようやく一息つけたのは、本部を離れて避難所を回れるようになった頃でした。「顔を見せて、お話を聞く。怒られたりもしましたけど、それはそれでよかったなと思います」。その声が、復興計画づくりの大きな材料になりました。

復興計画の策定にあたり、町は町民アンケートを実施しました。この種の回収率は通常2〜3割ほど。ところが今回は、世帯主だけでなく暮らす人数分の用紙を配り、各町内会の方々に配布と回収を担っていただいた結果、55%を超えました。

「正直、びっくりしました。それだけ穴水町の将来に関心を持っていただけている、関わっていきたいと思ってくださっていることが、嬉しかったですね」

並行して開かれたのが復興未来づくり会議です。さまざまな層の町民の方に参加していただき、5回ほどグループワークを重ねました。テーマは町が掲げる4つのシンボルプロジェクト――①災害に強いまちづくり、②地域コミュニティとなりわいの再生、③魅力ある子育てと教育の環境づくり、④奥能登の玄関口再生です。

※写真は穴水町よりご提供頂きました。

図書館を真ん中に置いた、新しい学校

大きな被害を受けた穴水小学校は、中学校とあわせて同じ場所へ移転新築されることが決まりました。ここでも未来づくり会議を別途開き、保護者世代や教育関係者と話し合いを重ねてたどり着いたのが、図書館を中心にした学校づくり。地域の方が集まれる社会教育施設をあわせ持つ学校に、という理念です。

学校は閉じる方向へ向かいがちな時代。それでも、と町長は言います。

「逆に、子どもたちを町民の方が見守っていくという意味では、これからは必要なのかなと。1学年20人か30人くらいの町ですから、町民の方が集える、一緒に学校運営ができるようなものになればと思っています」

コミュニティこそ、最大の防災

避難所を回るなかで、町長には強く印象に残ったことがありました。

「集落の集会所の避難所のほうが、街中よりも逆にね、本当に明るいんです。『我々は本当に恵まれている』というような言い方をされていました」

みんなで助け合いながら運営していく。その手応えが、人の表情を変えていたのだといいます。「非常時であれ平時であれ、つながりは大事ですし、そこに住む人たちの幸福感は、そういうところから来るのかなと」

だからこそ町が大切にしているのは、「受け手ではなく、自分たちの町を自分たちでつくる」という感覚。区長さんや町内会長さんに加え、防災士の役割もこれから大きくなると町長は考えています。

※写真は穴水町よりご提供頂きました。復興計画住民説明会の様子です。

「見て、食べて、そして関わってほしい」

穴水町を知らない方に、この町をどう伝えますか。そうお尋ねすると、町長の表情がやわらぎました。

「自然環境に恵まれていて、食が美味しいところです。交通が便利だとか気候が温暖だとかではないかもしれませんが、流れている時間が、都会とは違う感覚だと思います」

震災を機に訪れた方々は、口をそろえて「穴水はいいところだ」と言ってくださるのだそうです。「ずっと住んでいる我々よりも敏感に感じてくださる。来ていただいて、感じてもらいたいですね」

そして、こう付け加えてくださいました。「単に自然を見てご飯を食べて、というだけじゃなくて、実際に地域の方と関わっていただくこと。それが本当に、穴水の魅力の発信につながると思っています」

夏には祭りがあり、のと鉄道の語り部列車では復興の現状を見ることもできます。2026年4月には穴水駅にポケモンゲートやポケふたが設置され、7月には能登空港がのと里山ポケモン・ウィズ・ユー空港になり、驚くほど大勢の人が訪れるようになりました。「行政がどんなに頑張っても集められない。キャラクターには敵いませんね」と町長は笑います。

そしてうれしいことに、町の観光交流課は、「どこへ行けばいいですか」というお問い合わせにも、きちんと対応してくれます。震災時に立ち上げた町の公式X(旧Twitter)でも、様々な情報が日々発信されていますので、訪れる際は、ぜひチェックしたいところです。

5年後、10年後の穴水町へ

「震災前と比べて、住みやすい町になっている。それが目標です」

交通手段、住まいの利便性、教育の環境。そして、穴水町を目指して来てもらえる場所になることです。「5年後はまだ、インフラの復旧が終わるか終わらないかくらいだと思います。でも、そこを目指していきたい」。

もともと穴水町は一次産業が主体の町。「一次産業の復興なくして、飲食も観光業も成り立たない」と町長は言い切ります。加えて、持続可能な中山間地域であり続けるための企業誘致や産業の創出。その手がかりも、震災が結んだご縁のなかにありました。

「企業は、我々が思っている以上に地域に貢献したいという視点が強いんです。貪欲にチャンスに関わっていくことが、産業の創出につながると思っています」

地震前にはなかった人の流れ、なりわいを、この町につくっていく。それが吉村町長の描く復興の未来です。

能登に、心を寄せ続けてください

最後に、全国の読者へのメッセージをお願いすると、町長は言葉を選ぶように話し始めました。

「先般も熊本で地震がありました。いろんな大規模災害が起こることで、能登半島地震の記憶は、どうしてもフィーチャーされづらくなってきています」

かつて穴水の災害ごみ処理を支えてくれた熊本市が、いま自らの被災地となっている。そのことを思うと、言葉になりません。

「でも、復興というのは、熊本も東日本もそうですけれども、本当に長い道のりだと思うんです。全国の皆さんには、能登に関心を持っていただく、能登の復興を見続けていただくことをお願いしたい。能登に心を寄せていただくことが、我々の力になります」

静かで、けれどまっすぐな言葉でした。まだ道半ばの復興を、それでも一歩ずつ。本当に大事なふるさとを守るために、穴水町の歩みは続いています。


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