
能登半島地震から時が経ち、今、能登には少しずつ日常が戻りつつあります。しかし、道路やインフラの整備だけでは、地域の暮らしは元には戻りません。人が「またここで生きていこう」と思える理由があってこそ、本当の復興が始まります。東武トップツアーズ七尾支店の丸山さんは、その理由の中心に「祭り」があると語ります。
約40年以上にわたって能登の祭りを国内外に発信し続けてきた丸山さんに、震災の体験と、これからの能登への思いを伺いました。

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震災当日、自宅で被災
2024年1月1日、丸山さんは中島町のご自宅で被災されました。
「二度目の大きな揺れで、家中のあらゆる物が倒れてきました。逃げるのも難しいほどの揺れでした。なんとか避難できましたが、家は半壊で住めなくなってしまいました。」
急いで避難先を探し、かほく市でアパートを借りて避難生活を始めました。そこから七尾の職場へと通う日々が続きます。
家を失い、慣れない場所での生活を強いられながらも、丸山さんは仕事を続けました。被災者でありながら地域のために動き続ける。その姿は、震災後の能登を支える多くの人々と重なりました。
震災直後、それでも仕事があった
2024年1月の地震直後、多くの企業が業務を停止しました。しかし丸山さんの働く東武トップツアーズ七尾支店には、思いがけない仕事が舞い込みました。
「被災地には保険会社の調査員の方が来ます。金沢のホテルを借りて、タクシーで被災地の査定をして回る方のサポートが2年間続きました」
地震の調査員の宿泊手配、タクシーの手配、スケジュール管理。被災地でありながら、復興のために動く人々を支える仕事が生まれたのです。さらに、修学旅行も動き出しました。
「地震がありながらも、各中学や高校が修学旅行を実施したんです」地元の学校の修学旅行の手配も七尾支店の大事な仕事でした。
現在能登では解体工事がほぼ終わり、本格的な建設が始まっている段階です。
建設関係者の休日の宿泊旅行の手配などの仕事も増え、この状況が今後5年ほどは続く見込みだといいます。
「仕事があるから、うちの会社も続けられる。でも、それだけじゃ足りない。地域に戻ってくる理由が必要なんです」
丸山さんが見つめるのは、仕事の先にある暮らしそのものでした。
希望が必要だと気づき、心が動いた
震災後、丸山さんは被災地を巡るボランティアツアーを企画し、多くの方に現地の状況を見て、地元の方の声を実際に聴いてもらう機会を提供し続けました。そのなかで出会った、あるおばあちゃんの言葉に深く心を動かされたといいます。
「今、何が欲しいかと聞いたらね、『この歳になったらお金も物もいらん。希望が欲しい』って言われたんです」
お金でも物でもなく、希望が欲しい。
この方のように、能登で暮らすお年寄りにとって、毎年祭りの時期に子供たちが戻ってくるというのが生きる希望になるそうです。
そこに、丸山さんは能登の祭りの本質を見ました。
祭りは、離れて暮らす子や孫が帰ってくる理由になり、家族が顔を合わせるきっかけになります。地域に残る人にとっても、「また来年のこの日まで頑張ろう」と思える節目でもあります。
「お金じゃないんだよね。やっぱり気持ち。みんなで集まって幸せな時間を一緒に過ごすといったら祭りが一番。この能登の祭りをなくしたくない。守っていきたい。それがずっと私の原動力になっています」
この震災により大きく姿を変えてしまった地域のコミュニティがたくさんあります。祭りを通じて若い人と年配の人が一緒に動き、相談し合い、それぞれの役割を果たす。その積み重ねが、これからの地域のコミュニティを立て直していく。丸山さんはそう確信しています。
40年前、タイへ。そして大阪万博へ
丸山さんが能登の祭りを海外に発信し始めたのは、40年ほど前のことです。
「タイのジャパンウィークにお熊甲祭りを持っていったんです。40年前ですよ」
この時は、約120名もの多くの中島町民がパスポートを作り、初めての海外遠征でタイのバンコクで祭りを披露したそうです。参加した方々にとっては、地域の誇りを再確認し、外からの視線を通じて価値を見つめ直す貴重な経験となったようです。その経験が今につながっています。
当初、丸山さんは東京オリンピックでの祭りの発信を目指していました。しかし、コロナ禍での縮小開催となり、それが叶わず、代わりに大阪・関西万博が大きな舞台となりました。
「文化庁の補助事業として支援が受けられたんです。祭り当日のインバウンド向けの祭り体験イベントの宣伝を兼ねて、大阪万博でお熊甲祭りを披露できました。」

採択が難しいといわれる文化庁の事業でしたが、氏子総代であった丸山さんは、個人ではなく地域の実行委員会としてチャレンジされました。一人ではできないような事は、会社もサポートしてくれたそうです。
震災直後の厳しい状況のなかでも、万博という大きな舞台に向けて準備を進めた背景には、能登の祭りを「若者に伝承させて継続して行きたい」という強い思いがありました。
祭りを次へつなぐために、保存会を
丸山さんは今、祭りを持続可能な形で次の世代へ引き継ぐための仕組みづくりにも取り組んでいます。
「保存会を作って、披露する際にはきちんと出演料をいただき、それにより維持費をためながら続けていく。そういう継続できる形を今年中に作りたいと思っています」
祭りは思いだけでは続きません。資金も必要ですし、仕組みも必要です。すでに、保存会という仕組みで祭りの維持をされている例は他にもあるようです。
保存会の設立は、祭りを文化財として守るだけでなく、地域の人々が主体的に関わり続けるための受け皿をつくることでもあります。丸山さんは震災後の被災地において、未来へ希望をつなぐため、クラウドファンディングに挑戦して資金を集め、文化庁の事業に挑み、NHKエンタープライズによる発信やインバウンド展開にもつなげてきました。情熱だけでなく、制度や事業、会社の力もきちんと使う――そのとても現実的な姿勢には、着実に前へと進む粘り強さ、誠実さが感じられます。
能登を忘れないでほしい、そして戻ってきてほしい
話の終盤、丸山さんは静かに、しかし力強く語りました。
「能登を忘れないでほしい。地震のことを忘れないでほしい」
そして続けて、こう言いました。
「早く戻ってきてほしいな。避難された人たちにもね。そのために何が必要かというと、物理的なものじゃなくて、仕事なんですよね」
住む場所が整っても、仕事がなければ暮らしは続きません。だから丸山さんは、観光や祭りを「にぎわい」としてだけではなく、地域の仕事を生み出す入り口としても見ています。案内する人、受け入れる人、食を出す人、道具を守る人、祭りを支える人。祭りの周りには、たくさんの役割があります。それは地域の誇りであると同時に、地域で生きていくための仕事にもなり得るのです。
能登の復興とは
「復興したと言うのに必要なのは、住むところと仕事、そして希望やね」
丸山さんの言葉には、復興の本質が込められています。祭りは、過去の記憶を守るだけのものではありません。これから先、「ここで生きていこう」と思うための希望そのものなのです。
丸山さんの話を伺って、祭りが単なるイベントではなく、地域の命綱のようなものだと感じさせられました。震災後も仕事を続け、文化庁やクラウドファンディングを活用し、万博という舞台で能登を発信し、保存会をつくって次の世代へつなごうとする。その一つひとつが、「能登の未来をあきらめない」という強い意志の表れです。
能登の復興には時間がかかります。それでも、人がもう一度集まり、声を掛け合い、同じものを見上げる日がある。その未来を信じさせてくれるものとして、祭りがあるのだと、丸山さんから学ばせていただきました。
東武トップツアーズ株式会社 七尾支店 店舗詳細
窓口営業時間: 平日 9:30~17:30
定休日 :土・日・祝日
電話番号 :050-9001-9679
FAX番号 :0767-52-6918
公式HP: http://www.tobutoptours.co.jp/


















