「カニカマ」を生んだスギヨの震災復興とビタミンちくわが結んだ絆|七尾市

今では、国内外で広く知られている人気のカニカマですが、その生みの親が、石川県七尾市にある企業株式会社スギヨだということはご存じでしょうか?

今回は、そんな地元が誇る企業であるスギヨが能登半島地震でどのような被害を受け、どのように立ち上がっていったのか。そして、思いがけない形で深まった長野県とのご縁について。管理本部本部長の山瑞様、マーケティング部マーケティング推進課 広報担当の水越様にお話を伺ってきました。

能登が生んだ、世界に誇る「カニカマ」のふるさと

株式会社スギヨは七尾市に本社を置く、寛永17年(1640年)創業という、約380年の歴史を持つ水産加工会社です。1972年、世界で初めてかに風味かまぼこかにあしを発売したのがこの会社で、今ではプロの料理人からも一般家庭まで広く愛されているカニカマというジャンルそのものを生み出した企業として知られています。発売当初は、カニだと思って購入された方もいたらしく、誤解を招かないように「カニのようでカニでない!」などとアピールするCMも作られているくらいでした。

能登の小さな港町から始まった商品が、世界中の食卓に並ぶようになったのですから、これは本当にすごいことだと思います。

地元の人間にとって、スギヨという存在は単なる有名企業という以上の意味を持っています。現在、スギヨの会長である杉野哲也氏は、地元・七尾商工会議所の会頭も務められており、能登の経済界を引っ張るリーダーのお一人でもあります。また、震災後は、七尾のみならず、能登全体の復興に尽力されていらっしゃいます。

三つの工場、すべてが被災

202411日、能登半島を襲った大地震は、七尾にあるスギヨの3つの工場すべてに、これまでに経験のないほどの被害をもたらしました。カニカマを製造する商業団地工場、伊達巻などを手がける能登半島工場、そしてちくわや揚げ蒲鉾を製造する北陸工場。それらすべての工場が生産停止という事態に陥りました。

商業団地工場では機械が倒れたりずれたりし、原料の搬入口も損壊してしまいました。1ヶ月での再開を目指されましたが、当時は重機や工事業者の確保が非常に難しい状況でした。大阪・関西万博などの建設需要と時期が重なったこともあり、全国的に建設関係の人手が不足していたのです。さらに七尾では宿泊できる場所も限られていたため、遠方から駆け付け、金沢などの宿泊地から通勤していた業者さんは、一日5時間ほどしか作業ができなかったそうです。それでも何とか2ヶ月で復旧にこぎつけたというのですから、頭が下がる思いです。

※以下の全ての写真はスギヨ様よりご提供頂きました。(最後の1枚はのとルネが撮影)

七尾湾沿いにある能登半島工場の被害は、さらに深刻なものでした。一部の地盤が約40センチも沈下し、トラックの出入りができなくなるほどの損傷を受けたそうです。建物自体も年月を経て老朽化していた部分があり、復旧は容易ではなかったことから、最終的には公費解体という、つらい選択を取ることになりました。この工場が担っていた生産ラインは、北海道や茨城など社内の他工場や、新潟、宮城の協力工場へと移管され、跡地に新しい工場を建てる計画はないとのこと。スギヨの始まりである建物を失うことは、経営陣の方々にとってはさぞ辛いことと思いますが、幼い頃工場見学に行って、焼き立てのちくわをお土産に貰った懐かしい記憶を持つ私たち多くの地元民にとっても、寂しいものとなります。

北陸工場では、配管や天井が損壊し、復旧までに5ヶ月という長い時間を要しました。この工場はほぼ年中無休で稼働しており、11日は年間でも唯一の休業日。地震が発生したのが、その休みの日だったということは、本当に不幸中の幸いでした。翌日の生産に向けて準備をしていた従業員の方が20人ほど現場にいましたが、けがをする人はいなかったそうです。もし稼働中の平日に地震が起きていたら、火や油を使う工場内で、より大きな被害が出ていたかもしれません。そう思うと、本当に胸をなでおろすばかりです。

被災しながらも、誰かのために動いた人たち

ご自身たちも大きな被害を受けながら、スギヨは早い段階から地域への支援にも力を注いでいました。レトルトおでんなどの商品や、自社の農場で栽培していたキャベツなども避難所に届けて活用してもらったといいます。さらに、自社で保有する地下水を断水中の地域住民にも開放し、生活用水の確保に協力してくださいました。また、従業員の方々の中からも、自発的に避難所の運営要員を志願する人や、入浴施設への支援に入る人が現れたそうです。被災者でありながら、地域のために動いてくれることに、ただただ感謝の気持ちが湧いてきます。

会社としても、工場が稼働できなかった1月・2月の間、従業員の給与を全額保証する方針を打ち出しました。家族の安否確認や避難先の確保に追われ、思うように働けない従業員も多かった中で、この給与保証は大きな安心材料になったといいます。実際に、社員やそのご家族からは「雇用を続けてもらえて安心した」という声が数多く寄せられたそうです。

ビタミンちくわが教えてくれた、長野との深いご縁

そして、スギヨの復興を語るうえで、どうしても触れておきたいのが、長野県との特別なつながりです。同社の主力商品ビタミンちくわは、出荷量の実に7割が長野県向けという、知る人ぞ知る長野県民のソウルフード。実はこれ、地元の私たちにとっても、ちょっと驚きの事実でした。能登で育った私たちにとって当たり前にある商品が、遠く離れた長野で、こんなに深く愛され、暮らしに根づいていたなんて。正直なところ知らなかった方も多いのではないでしょうか。

地震で生産が止まり、スーパーの売り場からビタミンちくわが消えると、長野の人々から「いつ食べられるようになるのか」「ずっと待っています」という声がSNSを通じて次々と届いたそうです。中には、2019年の千曲川氾濫の際にスギヨが炊き出しでビタミンちくわを提供したことへの感謝を込めて、「あの時はありがとうございました。恩返しです」とお礼の品を送ってくださった方もいたといいます。長野県のりんご農家からは、たくさんのりんごが届けられ、食育を通じて縁のあった長野県の小学生たちからは、応援のメッセージが書かれた手作りの品が寄せられました。それらは今も、スギヨの玄関先に大切に飾られています。地震から9ヶ月が経った頃には、その小学生たちが実際にスギヨを訪れ、駐車場で歌や踊りを披露して励ましてくれたこともあったそうです。

このビタミンちくわと長野の結びつきには、70年ほど前にさかのぼる歴史があります。かつて魚で作るちくわを長野へ運ぶ際、傷みを防ぐために塩を一緒に箱詰めしたことから、海から遠い長野の人々にとって魚と塩がいっしょに手に入る貴重な品として親しまれるようになったのだそうです。代々受け継がれてきたこの味は、黒部ダムの建設現場で人気を博したビタミンちくわカレーとしても語り継がれており、今年4月にはその縁から長野の小学校との共同開発によりレトルトカレーとして商品化されました。

地震が起きるまでは、主に商品が行き来する関係だった長野との縁が、地震をきっかけに人と人が直接顔を合わせる交流へと、大きく深まっていったといいます。生産を再開した61日をスギヨのビタミンちくわ復活の日として、長野で長くビタミンちくわを取り扱ってきた業者さんと共同で記念日申請したそうです。能登の小さな工場で生まれた一本のちくわが、遠く離れた土地でこんなに大切にされていたこと。そして、その土地の人々が私たちのことをこんなに思ってくださっていたこと。能登に住む者として、長野の皆さんには心からの感謝をお伝えしたい気持ちでいっぱいになります。

発信の工夫と、地域とのつながり

情報発信にも、細やかな工夫がありました。SNSでは仮設トイレの設置状況など現場のリアルタイムな様子を発信し、震災直後は「今こういう状況です」「今は作れません、ごめんなさい」といった、等身大の言葉で近況を伝え続けたそうです。一方で、投稿サイトnote(ノート)では、会社としての方針や復旧への取り組みを長期的な記事としてまとめるなど、発信内容によって使い分けを行ったとのこと。震災以前は、ビタミンちくわについての問い合わせはほとんどなかったそうですが、生産が止まり店頭から姿を消した途端、心配する声が一気に押し寄せたといいます。「うちの冷蔵庫にいつもあるのが当たり前で、なくなることなど考えもしなかった」という存在だったことに、改めて気づかされたそうです。

また、石川県食品協会による被災企業応援シールの取り組みにも参加しました。スギヨの会長が同協会の会長も務めていることもあり、シールを貼った商品を購入してもらうことで、被災企業への支援につなげる仕組みです。当初はシールを商品に貼って対応していたものが、現在では一部商品は包材にそのまま印刷されるようになり、地域企業同士の連携の形も少しずつ変化しているといいます。

スギヨは2022年から、かにかまぼこ誕生50周年を機にカニカマ氏というキャラクターが登場する映像作品を制作し、開発に携わった当時の社員の証言を記録・発信する取り組みを続けてきました。全ての撮影が能登や七尾の風景の中で行われ、公費解体する工場の建物も撮影の舞台となったそうです。地震から1年が経過した節目には、カニカマ氏を語り手として能登の現状を伝える映像を制作。この映像づくりの中で能登の歴史の一部として地震の記憶も語り継ぐ姿勢が評価され、プレスリリースアワードを受賞。地震という出来事を、スギヨの長い歴史の中の大切な1ページとして残していく取り組みが、思いがけない形で多くの方の目に触れることにもなりました。
https://www.sugiyo.co.jp/mr_kanikama/

https://youtu.be/BEK1VXtiFwc?si=fuzsVDKqrUMErFda

https://youtu.be/8h8qmtUZcwU?si=U_w0vmCJVny1C8PU

これからの能登と、スギヨが描く未来

今後の展望として、ゆずなど地域の農産品を活用した加工品づくりにも乗り出しています。柚子は栽培に時間がかかる一方で、育ってしまえば年に数回の手入れで済むことから、地域の新たな特産品として育てていきたいという思いがあるそうです。皮や果汁の成分を活用するため、見た目の整った果実である必要はなく、手をかけずに育てられる作物としても注目しているといいます。さらに、経済産業省・農林水産省との連携協定を通じた輸出展開も検討中で、能登の農産品を海外へ届けることも見据えているそうです。

会長が常々口にしているのが、「和倉温泉の復興なくして、能登全体の復興にはつながらない」という言葉。和倉温泉の本格的な復興にはあと数年かかるとされる中、スギヨでは温泉旅館で働いていた人たちの雇用を一部、在籍出向の形で受け入れています。地域に生活の拠点を持ち続けてもらうことで、いずれ和倉温泉が再開した際にも地元へ戻りやすい環境をつくりたいという思いがあるそうです。能登の中核を担う企業として、自社のことだけでなく、地域全体の未来を見据えているところに、地元の一人としてあらためて誇らしさを感じます。

かにかまぼこは、もともと人工クラゲの開発を目指して試行を重ねる中で、思いがけず生まれた発明だったといいます。「失敗を失敗で終わらせず、新しい可能性を生み出すきっかけにする」。その精神は、震災からの復興にも通じるものがあると語ってくれました。その強い言葉に、震災直後にはよく聞かれていた「ピンチをチャンスに」という言葉を思い出し、能登の復興への希望を改めて感じさせて頂きました。

株式会社スギヨ 企業詳細

代表取締役社長 :杉野浩也
事業内容 :水産練製品・加工品製造販売、冷凍魚塩干魚等の販売、惣菜類の製造販売、菓子製造販売、水産練製品・加工品及び水産物の輸出入、食品の冷凍冷蔵業
所在地 :【本社事務所】 石川県七尾市西三階町10号4-1
代表電話番号: 0767-53-0180
公式HP:ヘルシー&ハッピー 株式会社スギヨ 公式WEBサイト

 


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