
大規模な災害に見舞われた能登の地で、ただ目の前の困っている人に手を差し伸べ、ひたむきに現場を走り回り続ける政治家がいます。地域の小さな声にも耳を傾け、温かなまなざしと思いやりの心で寄り添う、石川県議会議員・清水真一路さん。発災直後の奔走から、情報提供への工夫、そして未来の七尾への情熱まで、じっくりお話を伺いました。
「頑張っている人の背中を押したい」― 寄り添う政治家としての原点
政治家と聞くと、先頭に立って力強く人々を引っ張っていく姿をイメージされる方が多いかもしれません。ですが、七尾市選出の石川県議会議員・清水真一路さんの印象は少し異なります。溢れんばかりの優しさと人としての温かさを纏い、困っている人や夢に向かって歩む人にどこまでも寄り添う―それが、清水さんの政治姿勢です。
議員を目指したきっかけについて伺うと、清水さんは温かな笑顔を見せながら、その真摯な原点を明かしてくださいました。
「一番大切にしているのは、やっぱり直接しっかり現場の声を聞くことですね。それをどうやって形にするかが、何より大切だと思っています。8年前に政治の世界を目指したとき、一番強く抱いていたのは『この地域で一生懸命働いている人たちや、夢を持って頑張っている人たちの背中を押せる存在になりたい』という思いでした」
ただ話を聞くだけなら誰にでもできる。大切なのは、聞き届けたその思いや悩みを、県の行政や制度の中でしっかり形にしていくこと。清水さんの最初のキャッチフレーズには、地域の誰もが生き生きと夢を描き、胸を張って働けるまちを作りたいという強い願いが込められていました。
震災前の活動を振り返っても、そのスタンスは一貫していました。地域で新しい挑戦をしたい人、まちを良くしようと動き出している人から直接話を聞き、清水さん自身が「本当に地域のためになる」「面白い取り組みだ」と納得したものを、一つひとつ全力で応援してきたのです。
「例えば、富山県から奥能登へとつながるサイクルツーリズムの取り組みで、県境でサイクルロードが切れてしまっているという現状がありました。現場で精力的に活動されている方の声を聞き、自分の興味と地域の思いを合わせて県議会で一般質問として取り上げたんです。議場で声を上げることで、担当官はもちろん知事や県幹部まで課題感が届き、大きな動きにつながっていったのです。」

※写真は清水様よりご提供いただきました。
目の前で汗を流す誰かのために動く。その一歩一歩の積み重ねこそが、清水さんにとっての政治活動となっています。
発災の瞬間、精神と身体で目の前の命と暮らしを救うために走り続けた日々
2024年1月1日。穏やかなお正月の夕刻を襲った能登半島地震は、七尾市にも甚大な被害をもたらしました。その時、清水さんはご自宅でご家族と一緒に過ごされていたそうです。
「1回目の大きな揺れがあったときは、家の中で息子と一緒に机の下に隠れました。なんとか収まったと思ってホッとしたのも束の間、激しい揺れが襲ってきて……。揺れが収まった後は、急いで高台にある公園へ避難しました」
ご家族を避難所へ送り届けた後、清水さんは迷うことなく街へと引き返しました。地域のコミュニティーセンターや、地元の一人暮らしの高齢者のお宅を訪ねて回り、避難を促しました。
お一人で避難できない高齢者の方を背負って高台の公園まであがったりもしたそうです。
その後も、避難所となっていた幼稚園や地区の避難所を巡り、水や食料などの必要な物資を聞き取っては市役所へと掛け合いました。清水さんは自身の事務所に寝泊まりしながら、無我夢中で目の前の困っている人々に手を差し伸べ続けたのです。
そんな折、周囲の方から「お前は県議会議員だろ。自分の地元の町内だけ面倒を見てちゃ駄目だぞ」という言葉をかけられました。その言葉にハッとさせられた清水さんは、翌朝からおにぎりを鞄に詰め込み、市内の避難所巡りをスタートさせます。
「指定された大きな避難所には行政の支援が入りますが、小さな集会場や個人で数人集まって避難されているような場所には、支援の手が全く届いていませんでした。要介護の方や寝たきりの方がいらっしゃらないか、子どもたちが何人いるかといった情報を一つひとつノートにまとめて、毎晩家に帰ってからExcelに入力して市役所に届けていました」
ある避難所を訪れた際、高齢者の方々が「今晩食べるカップラーメンすらないんや」と困り果てていたそうです。公職選挙法による寄附禁止の規定があるため、自分が持ってきたと受け取られないように気をつけながら、民間ネットワークの支援拠点に状況を伝え、協力してもらい、物資の調達につなげました。
また、ある町会長さんが「子どもたちに楽しみが何もないから」と、金沢までわざわざ出向いて自分のお金でお菓子を買ってきた話を聞いたときには、涙が溢れて止まらなかったと言います。
「公的な支援がいかに届きにくいか、公助の限界を強く感じた瞬間でした。制度や平等の原則にとらわれて動けなくなる公的支援の一方で、現場で助け合う『自助・共助』の温かさや地域の底力を心から実感しました」
「情報は待つのではなく、届けるもの」― 被災者に寄り添った支援一覧表の作成
発災直後の緊急支援のフェーズから、少しずつ仮設住宅の建設や自宅での再建へと状況が移り変わっていく中で、清水さんは新たな壁に直面します。それは情報格差という課題でした。
「国や県、市からたくさんの支援メニューが出されているのに、本当に困っているお年寄りや被災者の方々に情報が全く届いていなかったんです。行政は『ホームページやLINEを見てください』と言いますが、被災地ではWi-Fiもつながらず、そもそもスマートフォンを使いこなせない高齢者の方々がたくさんいらっしゃいましたから」
「このままではいけない」―そう痛感した清水さんは、すぐに独自の被災状況に応じた支援メニュー一覧表の作成に取りかかりました。いわば、一目でわかる被災者のための手引きです。県政報告の枠組みを活用し、政務活動費を投じて紙のチラシを作成したのです。
まずは何より大切な「罹災証明書の取り方」を分かりやすく解説した第1報をいち早く発行。続いて「自分の家が半壊だったらどの支援制度が使えるか」「応急修理制度や助成金の申請窓口はどこか」がフローチャートのように一目でわかる一覧表をまとめました。内容が変わるたびに最新情報へと更新を重ね、5回ほど改訂を続けて発信し続けたそうです。
※写真は清水様よりご提供頂きました。



清水さん自身がこの一覧表を両手に抱え、地域の避難所や戸別訪問で配って回ったとのこと。ある地区で高齢者の方々に手渡すと、「自分の家が半壊で困っていたけれど、こんな支援が受けられるなんて知らなかった」「本当に助かったよ」と涙ぐみながら感謝されたといいます。
訪問先のお宅に伺うと、清水さんが配った支援一覧表が壁に大事そうに貼ってあり、「これを見ながら近所の人と話をしとるよ」と言ってもらえたことも一度や二度ではありませんでした。
「制度の谷間に落ちてしまう人を一人でも減らしたい。公の支援から取り残されそうな人へ、しっかりと情報を届けること。それがフェーズの変わった復興期における自分の役割だと思ってやり続けました」
この取り組みは大きな反響を呼び、他の地域の議員や市町村でも同様の取り組みが広がるなど、能登全体の支援情報の見える化に大きく貢献することとなります。
制度の壁を打ち破る― 現場の「困った」を形にした具体的な実現力
清水さんの真骨頂は、優しく話を聞くだけにとどまらない「現場のニーズを形にする実現力」にあります。制度と現場の間に生じるミスマッチに対して、粘り強く国や県に働きかけを行ってきました。
- 文化財保存修理への寄付金の扱い改善
被災文化財などの保存修理をする際、一部補助される制度がありますが、当初はクラウドファンディングなどで集めた寄付金があると、その分だけ補助対象額が減額されてしまうという理不尽な仕組みになっていました。被災者の方々の自助努力が報われない現状に対し、県の関係部局と度重なる議論を重ね、集めた寄付金を自己負担分に充当できるよう制度運用の改善へとつなげました。
- こども園・保育園の敷地修復に関する国制度の正常化
七尾市内のこども園で、地震によって敷地や擁壁が崩れ落ち、莫大な修復費用が発生した事案がありました。幼稚園部分は文部科学省の管轄で土地も含めて補助対象となる一方、保育園部分は厚生労働省の管轄で「建物のみ対象で土地は対象外」という縦割り行政の壁が立ちはだかりました。一度は「制度上、対象外」と諦めかけた現場の声を聞きつけた清水さんは、地元の国会議員や元総理大臣の現地視察へとつなげ、最終的に国を動かして遡及適用による補助対象化へと結びつけました。
もちろん、全ての要望が叶ったわけではありません。公費解体における部分解体の問題など、現行制度の壁に阻まれ「力及ばず申し訳ありませんでした」と頭を下げたことも何度もありました。ですが、清水さんが真摯に寄り添い、自分のために闘ってくれた姿を知る住民からは、「話を聞いてくれただけで救われたよ」「ありがとうね」という温かい言葉が返ってきたそうです。その言葉に胸を痛めながらも、清水さんは現場へ足を運び続けています。
これからの七尾へ― 「誰もが挑戦できる街」をみんなの手で
発災から月日が流れた今、七尾市は復旧のフェーズから、未来を見据えた「復興」のフェーズへと歩みを進めています。清水さんは、これからの七尾市が目指すべき姿について、熱い思いを語ってくださいました。
「ただ立派な建物を建て直したり、元に戻したりするだけでは駄目だと思うんです。私は、七尾を誰もが新しいことに挑戦できる街にしていきたいと考えています」
元々、七尾は港町として栄え、外の世界へ飛び出して新しい商いを興すような熱いスピリットが息づく地域でした。震災という大きな困難に見舞われたからこそ、若い世代からお年寄りまでが集まり、自分たちの街をどうしていきたいかを真剣に話し合い、自主的にまちづくりプランを立ち上げる動きが各地区で生まれています。
「自分たちの手で街を良くしようと立ち上がる人、新しくビジネスや活動を始めようとする人たちを、街全体で『頑張れ!』と応援し、背中を押せる地域にしたいんです。企業や個人はもちろん、外部から能登を応援したいと来てくださる人たちも含めて、挑戦の芽を育てられる場所にしたいですね」
また、子育て世代が安心して暮らし続けられる環境づくりにも強い情熱を傾けています。
「特に雨の日や暑い夏の日でも、子どもたちが思い切り体を動かして遊べる屋内の遊び場整備は急務です。例えば石川県能登地区子ども交流センター(七尾館)のような既存の素晴らしい施設にエアコンや大型遊具をしっかり整備し、市外からも家族連れが1日中楽しみに訪れるような拠点に再整備する案を考えています。集中して投資することで、子どもたちの笑顔が集まる街にしたいですね」
能登を愛するすべての人々へ― 温かなメッセージ
インタビューの締めくくりとして、清水さんに地元七尾の皆さん、そして全国の皆さんへのメッセージを伺いました。

「地元・七尾の皆さん、2年半以上が経過した今もなお、大変な思いをされている方がたくさんいらっしゃいます。ですが、私たちは一歩ずつ前を向いて歩んでいくしかありません。復旧・復興に向けて、一緒に寄り添いながら頑張っていきましょう」
そして、全国で能登を気にかけてくださっている方々へ向けて、切実で温かな思いを言葉にしてくださいました。
「時間の経過とともに、どうしても被災地のことが忘れられがちになってしまうのが一番寂しいことです。どうか能登のことを忘れず、興味を持ち続けていただけたら嬉しいです。観光でも、ボランティアでも、ただ街の様子を見に来てくださるだけでも構いません。皆さんのお越しを、能登の街と人々は心からお待ちしています」
清水県議とお話しさせていただく中で感じたのは、飾り気のない人間味あふれる優しさと、深い地域愛でした。強いリーダーシップで引っ張る政治家像とは一味違う、目の前で困っている人に寄り添い、その背中をそっと優しく押し続ける姿。それもまた、困難な復興の道を歩む七尾の人々にとって必要な救いであり、希望の灯火なのだと感じました。
清水真一路 事務所詳細
住所:七尾市一本杉町71番地
電話:0767ー53ー6310
FAX:0767-53-6315


















