「困ったときの瀧川さん」能登に根ざし動き続ける経営者の覚悟と挑戦|七尾市

「頼まれたら嫌と言えん性分なんです」

そう笑いながら話す瀧川嘉明さんは、七尾市を拠点に、重量物輸送・観光バス・自動車整備・就労福祉支援と、地域の暮らしを多方面から支える複数の企業の経営者です。七尾商工会議所青年部時代から、地域に関わる活動にも長年関わってこられた方でもあります。周囲からは「困ったときの瀧川さん」と呼ばれています。大げさではなく、本当に困ったときに頼ると何とかしてくれる、頼もしい方なんです。

能登半島地震からの2年余りたった今、会社の状況や、能登の復興への思いについて伺ってきました。 

能登の暮らしを多方面から支える事業

瀧川さんが代表を務める事業は5つ。それぞれが独立した役割を持ちながら、「地域の中で人が働き続けられる場をつくる」という一本の軸でつながっています。

瀧の川運輸株式会社

鉄骨・鋼材・コンクリート二次製品など重量物の運搬・輸送を専門とされています。橋梁や鉄道レールといった大型インフラ資材の輸送も手がけ、北陸・関東を中心に幅広いエリアで稼働しています。

株式会社大蔵 おおくら観光

和倉温泉・能登島など能登の観光地をめぐる貸切バスの運行から、地域団体の旅行・学校行事の送迎まで対応する観光バス会社。

株式会社大蔵自工

自動車整備工場(分解整備事業指定工場)では、自社のバス・トラックをはじめ一般車両の整備・車検を行っています。

株式会社ピットイン

農機具のタイヤ、軽四、乗用車、大型トラック、建設機械のタイヤまで幅広く対応しています。
出張修理、タイヤの保管、管理もおこなっています。

一般社団法人ななお・なかのと就労支援センター(2019年設立)

障がいのある方が自分のペースで働き続けられる場を七尾市に根づかせるために設立された福祉法人。就労継続支援A型事業所「LABO」(最低賃金を保障しながら雇用する形態)、B型事業所「なにかとワーク」(自分のペースで働く場)、相談支援事業所「なんでも」の3部門を運営。ひきこもり等の支援も手がけ、「誰もがこの地域で役割を持てる社会」を体現する組織として地域に根ざしています。

 

2024年元日、奥様の実家で揺れを感じた

令和611日午後410分。能登半島を最大震度7の揺れが襲ったあの瞬間、瀧川さんは妻の実家にいました。

「かなり揺れましたね。津波警報も出たので、いったん集会所のようなところに避難しました」

その日のうちに七尾の自宅へ戻ると、家の中はかなり散らかっていました。それでも「住めないほどではなかった」と感じたそうです。会社の建物や設備にも傷みが出たが、致命的な被害ではなかったとおっしゃいます。

「大きなけが人が出なかったのは、ほんとうによかったです」

人を大切にする瀧川さんにとって、従業員の方が大きく欠けることなく、仕事を続けられていることが、何よりもうれしいことだったようです。

17日、通常業務へ。「仕事していた方がいい」

毎年三が日は、羽咋市の気多大社への参拝客を乗せるシャトルバスの運行をされています。令和6年の11日も、例年通り運行していたそうですが、発災後、流石にそれどころではないと判断され、途中で切り上げて帰宅。2日、3日の仕事はすべてキャンセルとなりましたが、4日以降は少しずつ動き始め、7日頃には通常業務に戻していたそうです。

震災直後のその素早さについて、瀧川さんはこう言う。

「仕事をしているほうがいいんです。何もしていないと気持ちまで沈んでしまう。もし何もしなかったら、ただ落ち込むだけになっていたと思います」

悲しみや不安を抱えながら、それでも動き続けることで、気持ちを保つ。従業員30名ほどのスタッフも、それぞれ被災しながらも仕事を続けられたそうです。仮設住宅に移った人もいます。それでもほとんどの方が仕事を続けられたのは、瀧川さんが先頭に立って動き続けたからでもあるのでしょう。

支援物資の受け入れ、家にも帰れない日々

震災後、瀧川さんが特に大変だったと語るのが、全国から届いた支援物資の受け入れと仕分けです。全国から寄せられる支援物資の置き場所に困った七尾青年会議所と七尾商工会議所青年部から場所の提供を頼まれたことから、関わることになったそうです。

「受け取って、分けて、必要なところへ回していく作業は、想像以上に大変でした。最初の頃は、家にも帰れないくらい現場に張りついていました」

ガソリン、ストーブ、食料、生活物資、全国からありとあらゆるものが届きました。「本当にありがたかった。」見ず知らずの人たちが、能登のことを思ってこんなにもたくさんの物資を送ってくれる。瀧川さんは、その善意の大きさに驚きながらも、深く感謝して受け止めていらっしゃいました。

「おかげで自分たちも困らなかったし、地域の人たちにも回せた」

ただ受け取るだけでなく、受け取った分を必要な人へ届ける。そのつなぎ役を、大変だと言いながらも引き受ける。これが「困ったときの瀧川さん」が生まれる現場です。

東北とのつながり。「今度はこちらが返す番だ」

ボランティアとして能登に駆けつけた人々にも、瀧川さんは深く感謝されています。

「自分の生活もあるし、家族もいる。その中で被災地へ来て動けるのは、簡単なことじゃないですよね」

とりわけ心に残ったのは、東日本大震災を経験した東北の人たちが「今度はこちらが返す番だ」と駆けつけてくれたことだといいます。被災者が被災者を支える。その連鎖の中に、人と人のつながりの本質を見たようです。

「結局、人と人とのつながりがいちばん大事やと思います」

商工会議所青年部での活動も、地元でのご縁も、すべてはこの一言に集約される。特別なことをしているつもりはないと言われますが、「できることをやる」という姿勢を積み重ねてきた日々から、「困ったときの瀧川さん」という信頼の形が出来上がったのだと思います。

「七尾はもう終わる」と思った。それでも動き続けた

震災直後、瀧川さんは正直にこう思ったという。

「七尾はもう終わるんじゃないか、この町に人は住まなくなるんじゃないかと」

それだけ町の傷みは深刻でした。家がなくなり、仕事がなくなり、避難のために外に出た若者が、便利な都市に慣れてしまい戻ってこなくなる。実際そうした厳しい状況が現実のものとなっています。

「若い人たちが一度外へ出ると、戻りたくないという気持ちになるのもわかるんです。そこを無理に戻れとは言えない」

飾らないその言葉には、地域を愛しながらも現実から目を背けない誠実さがあります。同時に「自分たちはここで生きていくし、できることを続けていくしかない」という覚悟も感じられます。

「住む人の立場に立った復興でないと意味がない」

言葉より先に体が動く瀧川さん。批判で終わるのではなく、自分自身が地域の中で新たな事業を打ち、人が働ける場をつくり、観光の受け皿を整えようとされています。

新たな挑戦。ホテル開業と障がいのある方の仕事づくり

震災後、瀧川さんが動き始めた新たな一手があります。17室規模のホテルの開業です。食事の提供は行わず、観光客や復興関係者など宿泊ニーズが高まった七尾に応える形での出発を検討されています。かねてから温めてきた構想が、震災という現実の中でより明確な必要性を帯びてきたようです。

「必要とされるものをやろう、という気持ちです」

そしてこのホテルもまた、障がいのある方が自分らしく力を発揮できる場として育てていきたいと瀧川さんは話します。清掃、草刈り、仕分け、農作業など、ななお・なかのと就労支援センターで培ってきたその人に合う仕事をつくるという発想が、ここでも生きてきます。

「商売として成り立つことも大事ですけど、それだけじゃなくて、人がこの地域で暮らしていくための場でありたいと思っています」

利益と福祉は対立しない。地域に必要とされる事業を丁寧に積み上げることで、両方が成り立つことを瀧川さんは経営の実践として示されています。

遊べるときには遊ばないともったいない

取材の最後、瀧川さんは少し表情をほぐしてこう言われました。

「震災を経験して、遊べるときには遊ばないともったいない、という気持ちが強くなりました。東京や大阪に行くのも楽しいし、沖縄や北海道にも行く。いずれは世界一周みたいなこともしてみたいですね」

いつ何が起こるかわからない。まさにそれを実感した今、人生を楽しむことの意義も改めて考えられたのでしょう。それでも、「一生仕事をしていると思う」と断言される瀧川さん。

よく働き、よく遊ぶ。それが瀧川嘉明さんの流儀のようです。

困っている人を見過ごせないその優しさが、能登にどっしりと根を張り、今日も誰かの力になっている。そんな頼もしい存在が、復興途上の能登の人々の心を明るくする希望そのもののように感じました。

株式会社大蔵 おおくら観光企業詳細

住所:石川県七尾市万行町2-173

TEL0767-52-0455

FAX0767-53-5556

(株)大蔵 おおくら観光ホームページ - 石川県七尾市のバス会社

【グループ企業】

瀧の川運輸株式会社

・株市会社大蔵自工

・株式会社ピットイン

一般社団法人 ななお・なかのと就労支援センター


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