
石川県七尾市に本店を置くのと共栄信用金庫は、地元では「のとしんさん」の愛称で親しまれる、能登を代表する地域金融機関です。大正4年(1915年)に七尾興産信用組合として産声を上げ、2003年の合併を経て現在の名称になりました。
キャッチコピーは、「地域密着すぎる信用金庫」。
預金・融資・資産運用といった金融サービスにとどまらず、地元の事業者の販路開拓を手伝ったり、地域情報を発信したりと、金融機関の枠をはみ出すほど能登の暮らしに寄り添ってきました。そのきめ細やかな姿勢は「ちょっと前向きな信用金庫」というスローガンにも表れています。
シンボルマークはにんじん。人が参加すると書いて人参。地域のお客様との関わりを大切にするのとしんさんの姿勢はここにも現われているようです。オレンジ色のニンジンのロゴは、店舗の看板や名刺など様々なところに使われていますし、SNSでは、キャラクター化したのとしんにんじんが顔を出し、能登の人々に長年にわたり親しまれてきました。

能登半島地震では、そんなのとしんさんが地域のために何ができるかを問い続けることになります。
総合戦略部 副部長の北村祥一様にお話を伺いました。

Contents
元日の揺れ、その日から始まった戦い
2024年1月1日。穏やかな新年を迎えるはずだった能登半島を、激しい揺れが襲いました。
のと共栄信用金庫でも、まず最初に動いたのは職員の安全確認でした。確認を進めていくと、自宅に一部損壊以上の被害を受けた職員は全体の約半数にのぼりました。奥能登の孤立した集落に住む職員は、停電も重なり1週間ほど連絡が取れないままでしたが、最終的には全員無事だったと確認できたそうです。
「とにかく、店を閉めない」
職員の安全を確認したあと、すぐに考えたのは地域金融機関としての使命でした。
「店を閉めないこと、それをまず決めました。金融機能を維持することが、地域への責任だと思ったからです」
穴水・輪島の2支店は建物への被害もあり、1月4日・5日は開けることができませんでした。しかしそれ以外の店舗は、1月4日から通常営業を再開。家の倒壊や火災で通帳や印鑑を失ってしまったお客様には、状況に応じて柔軟に対応しました。


のと共栄信用金庫本店 現在の様子
しかし意外にも、被災直後は、すぐに現金が必要という方は多くなかったようです。お店も被災していて、物を買える場所がそんなになかったからでしょう。むしろ、家に置いていたタンス預金を「鍵もかからなくなった家に置いておけない」と持ち込む方が少なくなかったそうです。
それでも窓口を開け続けたことには、もっと大きな意味がありました。
「気持ちの問題もあるんです。地域で一番近い金融機関として、そこにいることが使命の一つだったんじゃないかなと思っています」
想定外だったこと――備えを問い直した日々
震災前にも防災訓練は行っていました。でも、「訓練と実際は全然違う」と実感を込めて言われました。
特に想定外だったのが、水にまつわる問題だったとのこと。断水している間、飲料水はドラッグストアで買ったり自治体の給水車に助けてもらえたりしましたが、トイレなどに使う生活用水までは確保できなかったそうです。そこで、簡易トイレや、ドライシャンプーなどを使うことになったわけですが、実際に使って初めて分かることが、いろいろあったといいます。
「一度、訓練で簡易トイレを試しておくといいかもしれません。最初はどうしても抵抗があるんですよね。でも、それを一度経験しておくだけで、いざという時、ずいぶん気持ちが違うと思います」
現在は、全国の信用金庫からの物資支援も活かして備蓄を見直し、新たな体制を整えています。信用金庫の相互扶助の精神が、こんな形でも生きているようです。
「ふるさと復興支援チーム」の誕生
震災から3ヶ月後の4月1日、のと共栄信用金庫はふるさと復興支援チームを発足させました。
主な役割は、事業者や個人のお客様への補助金・支援制度の案内と申請サポート。しかしそれだけにとどまりません。「こんな補助金が使えるんじゃないですか」と先回りして提案したり、全国の信用金庫ネットワークを通じた物産展への出展支援や販路開拓のお手伝いも担っています。
「のとしんさんから補助金の提案をしてもらって助かった」という声も届くようになりました。
現在このチームは復興推進部として部署に格上げされ、引き続き能登の事業者・個人を支える窓口として機能しています。
補助金制度の「使いにくさ」とも向き合って
国や県が用意した補助金・支援制度は、数多くありました。でも実際に使おうとすると、実情に合わないケースが続出しました。
土地の権利関係が複雑で相続が整理されていない物件、罹災証明がなかなか発行されなかった問題、自社物件でないと対象外になるルールなど。
「他の震災のスキームをそのまま持ってきても、能登の実情には合わないことが多かったんです」
そうした問題点は、金融機関としての立場から国や県、市に意見として届け、改善につなげてきました。一つひとつのケースに向き合いながら、制度の間を埋めていく地道な作業でした。
「時間が空けば空くほど、お客様も意欲をなくされたり、計画が変わっていったりします。建築費も上がり続けている。時間との勝負だという感覚は、今も続いています」
お金の相談だけじゃない――「心の復興」という視点
震災から時間が経つにつれ、局面は変わっていきました。水が通り、ある程度の生活が戻ってくると、今度は現実と正面から向き合う時がやってくる。「家をどうするか」「仕事をどう立て直すか」という、重くてリアルな問いが次々と浮かび上がってくるのです。
「落ち着いてきたというよりも、フェーズが変わった、という感じです」
そんな中で、のと共栄信用金庫が大切にしてきたのは、声かけでした。補助金の案内だけでなく、「困ったことはありませんか」「一緒に頑張りましょう」と言葉をかけ続けること。形あるものが戻っても、心が戻らなければ本当の意味での復興ではない、心の復興も大切だという思いが根底にあります。
「一番距離が近い信用金庫だからこそできる役割があると思っています。できるだけたくさんのお客様に声をかけることを、徹底してきました」
お客様だけではなく、被災しながら頑張ってくれている職員への想いも話してくださいました。輪島や穴水の店舗では、仮設住宅から通勤する職員もいらっしゃるとのこと。そんな状況の中で、無理に業務を続けさせるのではなく、本部と連携しながら無理のない形で動いてもらえるよう、配慮を重ねてきたそうです。
「被災したからこそ、お客様の気持ちに寄り添えるところもある。そこを理解して動いてくれた職員には、本当に感謝しています」
一本杉の空き地、和倉の旅館、そして地域の未来
能登の復興への道のりはまだまだ続くようです。
七尾市の一本杉通りは、風情ある街並みが続く、人気の観光スポットです。今は、被災して解体し、空き地になっているところが目立つのですが、再開した店舗、再開に向けて建設中の店舗もあります。また、再建までの間、のと共栄信用金庫が提供している敷地で仮店舗営業をしているお店もあり、少しずつにぎわいを取り戻そうとしています。
さらに、能登最大の宿泊地として、観光・経済の中心として重要な役割を果たしていた和倉温泉も、旅館の再開は道半ば。営業を再開できているのはまだ一部にとどまります。
「事業を続けていいものか」と悩む経営者の相談は、今も続いています。人口は減り、建設コストは上がり続ける。そんな厳しい現実の中で、どうすれば地域の再生に関われるかを問い続けています。
「私どもだけでできることには限りがあります。でも、お客様や地域の悩みに耳を傾け、やれることはやっていく。その姿勢は、震災時に限らず、これからも変わらないと思っています」
全国の皆さんへ、そして能登で迷っている方へ
発災後、全国からたくさんの支援が届きました。物資、ボランティア、応援の言葉……。
「頑張ろう能登という文字を目にするたびに、どれほど力をもらったか」と振り返ります。
「その恩返しとして、しっかり立ち直ったという姿を見せていきたい。そして次に別の地域で何かあった時には、今度は私たちが支える番だと思っています」
また、能登でまだお困りごとのある方に向けて、こんなメッセージもくださいました。
「金融機関って、敷居が高いと思われることもあるかもしれません。でも、お金のことじゃなくても、何でも相談してください。私どもだけでできなくても、いろんなところにつなぐことができます。まず気軽に、窓口に来てください」
「復興」という言葉がいらなくなる日まで
「復興って、いつ終わるんですかね」
そう問いかけると、しばらく考えてから、静かな答えが返ってきました。
「復興って言わなくなった時、なんでしょうね」
東日本大震災から10年以上が経ちましたが、まだ復興という言葉が聞かれます。能登も、そんな長いスパンを覚悟しなければいけない。それでも、「一日も早く普通に戻れるように」という思いは変わらないようです。
今日も、のとしんさんの窓口は開いています。能登に日常が戻るまで、お金の話でも、そうでなくても、密着しすぎるほど近くにいて、支え続けてくれる存在なのだと改めて頼もしく思いました。
のと共栄信用金庫(のとしん) 企業詳細
本店営業部:石川県七尾市桧物町35番地
TEL:0767-54-0600
FAX:0767-53-6764


















