
2024年1月1日に発生した能登半島地震。コロナ禍がようやく落ち着き、さあこれからという矢先の出来事でした。和倉温泉も甚大な被害を受けましたが、そんな中、非常に早い段階で一部再開を果たし、復興の光を灯し続けている旅館があります。
今回は、和倉温泉のと楽の若女将にお話を伺いました。震災当日の緊迫した状況から、スタッフが一丸となって乗り越えた断水期、そして「和倉をゴーストタウンにしてはいけない」という強い決意で迎えた再開までの10ヶ月。若女将の優しい笑顔の奥にある、熱い想いと能登の未来への展望をお伝えします。
Contents
- 1 満館に近い元日の和倉を襲った激震
- 2 エレベーターが止まった15階建ての館内。スタッフの決死の誘導と避難所でのサポート
- 3 マニュアルにはない判断。日頃の訓練を超えた「人と人との繋がり」の大切さ
- 4 「和倉温泉を絶対にゴーストタウンにさせない」修理をしながら走り続けた再開への道
- 5 プールの水で洗濯した断水期の4ヶ月。驚くほど多くのスタッフが残ってくれた絆
- 6 団体バスが見えた時の安堵と、日常を取り戻すための「キッズルーム」新設
- 7 ありのままの「今の和倉」を届けるSNS発信
- 8 被災地同士で分かち合う痛み。奥能登のお客様から逆にもらった大きな力
- 9 旅館の中だけで完結しない、町全体をブラブラ歩いて楽しめる「新しい和倉」の未来へ
- 10 今の能登に会いに来てください
- 11 和倉温泉「日本の宿 のと楽」 施設詳細
満館に近い元日の和倉を襲った激震
あの日、地震が起きたのは16時10分。当時ののと楽館内は、お正月ということもあってほぼ満館に近い状態。チェックインが始まってからちょうど1時間ほどが経ったタイミングで、すでに7割ほどのお客様がお部屋に入っていらっしゃいました。
「本当に、今振り返っても『あの時間帯でよかった』と思います」と、若女将は静かに語り始めます。

実は、のと楽で最も甚大な被害を受けたのが、アプローズという大きなコンベンションホール(食事会場)でした。地震の激しい揺れによって、そのホールの天井が崩落してしまったのです。
もし、地震があと少し遅い夕食の時間帯に起きていたら――。想像するだけで恐ろしい状況です。準備をしていた厨房のスタッフもお料理に火を使う直前の段階で、会場にはお客様も、接客スタッフも、調理スタッフも誰一人いませんでした。あの時間帯だったからこそ、怪我人も出ず、火災の発生も防ぐことができたのです。「そこが何よりも救いであり、不幸中の幸いでした」と若女将は振り返ります。
エレベーターが止まった15階建ての館内。スタッフの決死の誘導と避難所でのサポート
しかし、発災直後の館内は混乱を極めました。大浴場でお風呂に入っていらしたお客様も多く、突然の激震に、浴衣一枚の姿で避難せざるを得ない方もたくさんいらっしゃいました。
のと楽の建物は15階建てですが、地震によって館内のエレベーターはすべて停止。そんな極限状態の中、若いスタッフたちは、お客様を安全に避難させるために15階までの階段を何度も駆け上がります。必死に誘導を行い、何とか無事に避難所となった近くの和倉小学校へ移動していただきました。しかし、着の身着のままで避難されたお客様は、薄着で寒さに震えています。スタッフたちは総出で、学校へお布団を運び込み、毛布やバスタオルを届けて少しでも暖かく過ごせるようサポートに回りました。
さらに、お正月用として用意されていた豪華なお料理も、できる限り小学校へと運びました。避難所で不安な夜を迎える皆さんに少しでも温まってもらい、元気を出してほしい――。スタッフの皆さんのそんな温かいおもてなしの心が、非常時にも発揮された瞬間でした。
マニュアルにはない判断。日頃の訓練を超えた「人と人との繋がり」の大切さ
「日頃の防災訓練は生かされたのでしょうか?」という問いに対して、若女将は率直な胸の内を明かしてくれました。
「正直に申し上げますと、訓練通りにいって、すべてがスムーズに動けたかと言われれば、起きてからはもう必死でした。実際にあれだけの規模の地震が起きると、訓練以上のことが求められたのが現実です」
改めて防災の大切さを痛感した一方で、若女将がそれ以上に強く学んだのは人と人との繋がりや町全体での助け合いがどれほど重要かということでした。
大きな地震の直後、まだ激しい余震が何度も続く中で、どう判断してどう動くべきか。それはどの防災マニュアルにも書いていない部分です。お客様の安否を一人ひとり確認すること、荷物を安全に運び出すこと、そして地元の方々や他の旅館と連携すること。どこに誰が避難していて、いま何が必要とされているのか――。
マニュアルを超えて、町が一心同体となって動けたこと。この地域の強い絆こそが、発災直後の混乱を乗り越える大きな力になったのです。
「和倉温泉を絶対にゴーストタウンにさせない」修理をしながら走り続けた再開への道
和倉温泉の中でも、非常に早い段階で一部再開を果たしたのと楽ですが、そこには建物の奇跡的な状況と、ご主人の並々ならぬ決意がありました。
「実は、当館は地震が起きる前に耐震工事を終えていたんです。さらに地盤の関係もあり、建物自体の構造はしっかり残ってくれていました」
建物が無事だったとはいえ、配管などのインフラ被害が深刻でした。そんな中で、再開に向けて代表である若女将のご主人が強く抱いていた想いがありました。それは「何としても和倉温泉を盛り上げたい」「このまま誰もいなくなって、忘れられてしまうゴーストタウンにしてはいけない」という、強い危機感と決意でした。
和倉の灯を消してはいけない。その一心で、地震からわずか4ヶ月後の4月からは、復旧支援の方々や工事業者さんの宿泊拠点としての受け入れをスタートさせました。最初は水が出ない状態でしたが、シャワーが少しずつ使えるようになってからは、復興を支える人たちの貴重な拠点としての役割を果たせるようになったのです。そして走り続けること約10ヶ月、ついに11月に一般の営業を再開することとなりました。


プールの水で洗濯した断水期の4ヶ月。驚くほど多くのスタッフが残ってくれた絆
一般営業の再開を支えたのは、他でもないのと楽のスタッフたちの存在でした。震災直後、水が全く出ない時期の生活や作業は、本当に過酷なものだったといいます。
「断水していた4ヶ月間、水が出ないので、プールの水を使って洗濯をするなど、みんなで不自由な生活を送りながら、館内を必死に掃除して守ってくれたんです。スタッフは本当に私の誇りです」と若女将は目を細めます。
驚くべきことに、この未曾有の震災を経ても、ほとんどのスタッフが辞めずに残ってくれました。離職せざるを得なかったのは、輪島や穴水から通っていたスタッフの中で、自宅が全壊して実家のある金沢へ避難せざるを得なくなり、どうしても物理的に通えなくなってしまった2名だけだったとのこと。それ以外のメンバーが全員「またここで働きたい」と言って残ってくれたことは、若女将にとって何よりの救いでした。再開が決まった時に行われた決起集会では、みんなの顔を見つめながら、「またこのメンバーでここから始めよう、頑張ろう」と、涙ながらに熱く話し合ったそうです。この強い絆があったからこそ、のと楽は再び立ち上がることができました。
団体バスが見えた時の安堵と、日常を取り戻すための「キッズルーム」新設
11月に一般営業を再開したものの、若女将の心の中は不安でいっぱいでした。「周りはまだ復旧工事の真っ最中なのに、本当にお客様は来てくださるんだろうか」「こんな状況で、お客様に心から楽しんでいただけるだろうか」と、ずっと自問自答を繰り返す日々が続いたといいます。
その大きな不安が少しずつ解消され、心からホッとできたのは、再開から1年以上たって、団体のお客様がバスで到着される姿が見えたとき。「ああ、やっとここまで戻ってこれたんだ……」と、胸の奥が熱くなったと振り返ります。天井が完全に落ちてしまっていたコンベンションホールアプローズも見事に直り、団体のお客様がまた以前のように会場で賑やかに、楽しそうに過ごされている光景を目にしたときは、ようやく営業再開の実感が湧き、感極まるものがありました。

また、のと楽ではリニューアルの一環として、売店の横に新しくキッズルームを新設しました。これは実は震災前から計画していたことだったそうですが、復旧工事のタイミングに合わせて思い切って実行に移したものです。
震災後はどうしても被災地という深刻なイメージが強くなってしまいます。だからこそ、日常を取り戻すための一歩として、お子様連れのご家族にも気兼ねなく楽しんでもらえる場所を作りたかったと話されます。子どもたちがキッズルームで楽しそうに元気よく遊んでいる姿を見るたびに、新しい一歩を踏み出せたと嬉しく感じられるそうです。



ありのままの「今の和倉」を届けるSNS発信
実は若女将、SNSでの発信をされていました。
「本当にスタッフにも内緒で始めたので、最初は誰も知らなかったんですよ(笑)」と、いたずらっぽく笑う若女将。
発信を始めた理由は、「和倉温泉は今、こんな感じだよ」「私たちは元気に営業しているよ」というありのままの姿を、多くの人に伝えたかったから。堅苦しい公式のアナウンスではなく、日々のちょっとした出来事や、お散歩風景など、現在の和倉のリアルな日常を優しく届けています。
この発信を見たお客様から、「今の様子が分かって安心したよ」「また行くね」と言っていただけることも増え、ありのままを伝える発信の大切さを日々実感しているそうです。
被災地同士で分かち合う痛み。奥能登のお客様から逆にもらった大きな力
震災直後から、全国の常連のお客様が励ましのお手紙をくださったり、支援物資や義援金を送ってくださったりして、本当にありがたかったと若女将は振り返ります。
そんな中、奥能登の地元の方々との心温まる交流も忘れられないものでした。
再開後、珠洲や輪島といった奥能登から、避難生活を送られている方や片付けに追われているお客様が、お風呂に入りに来てくださるようになりました。
「家の片付けで本当に疲れ果てていたから、ここでお風呂に入って久しぶりにゆっくりできたよ」「のと楽さんが開いてくれて本当によかった、待ってたよ」
そう言って涙ぐむお客様を前に、若女将は「私たちが元気を与える立場、お迎えする立場のはずなのに、逆に『頑張ってね』と励まされて、たくさんの力をいただきました」と語ります。
能登の人間同士、同じ痛みを分かち合っているからこそ、言葉にせずとも通じ合えるものがある。のと楽が、能登に生きる皆さんの心の拠り所やリフレッシュの場所になれていることが、何よりの励みになっているのです。
旅館の中だけで完結しない、町全体をブラブラ歩いて楽しめる「新しい和倉」の未来へ
「今はまだ、本当の意味での復興の途中です」と若女将は前を見据えます。再開までに、まだしばらくかかる旅館が何軒もありますし、町全体の課題も山積みです。しかし若女将は、これをピンチではなく、和倉温泉が生まれ変わるチャンスだと捉えています。
これからの和倉温泉が目指すのは、個々の旅館の中だけでおもてなしが完結するスタイルではなく、地元の飲食店さんやお土産屋さんと手を取り合い、町全体で楽しんでもらえるような一体感のある町づくりです。
「お客様が外に出て、心地よい海の風を感じながら町をブラブラ歩き、地域のいろんなお店を楽しめるような、活気ある和倉にしていきたいんです。そして、若い世代の人たちが『ここで働きたい』『ここに住みたい』と自然に思えるような、そんな魅力的な未来の町を作っていきたいです」
そんな未来への一歩として、2026年の5月には将棋の名人戦がのと楽で開催され、6月には伝統のよさこい祭りも無事に開催されました。
こうしたイベントを通じて「和倉は元気に頑張っているよ!」というポジティブなメッセージを発信し続けることが大切だと若女将は言います。足湯にポケモンが登場し人気スポットになったり、のと里山空港の名前にポケモンがついたりなど、最近では明るいニュースも増えてきました。


今の能登に会いに来てください
最後に、全国の皆さんに向けて若女将から心強いメッセージをいただきました。
「震災以降、本当にたくさんの方々に温かいご支援をいただきました。心から感謝申し上げます。能登はまだまだ復旧の途中で、大変な場所が残っているのも事実です。でも、復活して営業を再開している場所もたくさんあります。
今の能登がどうなっているのか、ぜひご自身の目で見に来ていただきたいです。足を運んで、現状を知っていただくだけでも、私たちにとって本当に大きな力になります。私たちはこれからもずっとここにいて、変わらない笑顔でお客様をお迎えし続けます。『復興』という言葉が必要なくなるその日まで、一歩ずつ、前を向いて歩んでいきます。ぜひ、今の和倉に、能登に遊びに来てくださいね!」

一歩一歩、確実に新しい形へと進み始めている和倉温泉。皆さんもぜひ、今の和倉を体感しに、そして温かいおもてなしに癒されに、足を運んでみませんか?そこには、変わらない能登の優しさが待っています。
和倉温泉「日本の宿 のと楽」 施設詳細
住所:石川県七尾市石崎町香島1-14


















