震災を越え、内装業とゴルフ場を営むウイルコーポレーション反田さんが描く七尾の未来|七尾市

能登で建築内装の仕事を続けて36期。有限会社ウイルコーポレーション代表の反田隆之(たんだ たかゆき)さんは、鉄筋や鉄骨の建物に天井、壁、床をつくる、いわば内装の基盤を担ってきた人です。

令和6年能登半島地震では自宅が準半壊し、会社の資材も崩れました。それでも地震直後から鳴り止まない電話に応え、2日にはもう現場に立っていたといいます。

「スピードよりも、仕上がりの美しさを」。反田さんが貫いてきたこの仕事の流儀は、震災後も変わることはありませんでした。飾らない言葉の奥にある、能登で生きる職人の実感を伺いました。 

骨組みだけの空間に、形を与える仕事

反田さんの仕事は、鉄筋や鉄骨で建物の骨組みができあがった後、天井や壁、床を作り、クロスやタイルカーペットを貼る仕上げ屋さんへとバトンを渡すことです。

現場はゼネコン絡みの突貫工事が多く、とにかく早さが求められる世界だといいます。それでも反田さんが譲らずにきたのは、スピードよりも仕上がりの美しさでした。

「速さだけを優先すると、どこかに無理が出る。限られた工期の中でも、後から不具合が出ない、丁寧な仕事を大切にしています」

早く仕上げれば、その場では「ありがとう」と喜ばれます。でも3年後に見直したとき、傾きや歪みが出ていたら、その感謝は残らない。反対に、時間をかけて丁寧に仕上げた仕事なら、数年経っても「ありがとう」と言ってもらえる。反田さんはそう考えています。

その根っこにあるのが、社員に伝え続けてきた「自分の持ち物やと思って作れ」という言葉でした。

19歳、父の一言から始まった創業

反田さんがこの仕事に就いたのは、思いがけない巡り合わせからでした。中学卒業後、いくつかの仕事を経て、建材屋に勤めていた父親の勧めで、そこと取引のあった内装業者に入ります。

ところが2年後、父親と勤め先の内装業者の社長のあいだに行き違いが生じます。それをきっかけに、父親から「自分で会社を立ち上げて独立しなさい」と勧められました。突然の話に戸惑いながらも、反田さんは勤めていた内装業者を退職し、19歳という若さで起業します。これが、有限会社ウイルコーポレーションの始まりでした。

「怖かったです。従業員は全部自分より年上でしたから。二十歳前の若造が何を言っとるんだ、って思われても仕方ないですよね」当時を振り返り、反田さんはそう話します。社会保険の手続きすら知らないところからのスタートでした。

それでも、知らないことは素直に「わかりません」と頭を下げて聞くことができたおかげで、周囲の人から色々親切に教えて貰えたそうです。バブル崩壊やコロナ禍を越え、気づけば創業から36期。現在は、反田さんと息子さんを含め、4人体制で仕事をしています。

地震直後、七尾の店舗から鳴り止まなかった電話

11日、反田さんの自宅は準半壊の被害を受け、断水も2週間ほど続きました。会社の建物自体は無事だったものの、敷地の資材は地震の揺れですべて崩れ落ちたそうです。16日まで続くはずだった正月休みは、1月2日、震災の翌日で終わりを迎えます。

きっかけは、大手家電販売店や全国展開するフランチャイズ店舗などからの、相次いで寄せられた緊急連絡でした。それまで直接の取引がなかった店舗関係者からも、インターネットで会社を探して連絡が入り、「店舗の天井が落下して営業できないため、すぐに対応してほしい」と相談が寄せられました。

被災した従業員もいたため、とりあえず出られる人たちだけで現場へ向かいました。

その後は輪島や珠洲、穴水といった奥能登の仮設住宅づくりに追われる日々が続きます。

当時の道路事情はかなり厳しく、朝7時に出発しても現場に着くのは9時や10時で、通常の2~3倍かかったといいます。反田さんはその光景をこう表現します。

「本当にゴジラの通った後みたいな感じ。建物があっち向いたりこっち向いたり、ひっくり返ったり」

そんな状況においては、一刻も早く人が住める場所をつくることが最優先でした。工期短縮のため、仮設住宅では最初から仕上がっている壁材や天井材を使います。輪島では1月末という早い時期から工事に入りました。その後、輪島や穴水での仮設学校づくりも手がけたそうです。 

「壊れたから、直そう」と前を向く能登の人たち

震災から2年半以上経った今も、仮設住宅や仮設校舎など、復旧・復興に関連する現場での仕事は続いています。

さらに少しずつ、民間の施主から直接「直してほしい」という依頼も入るようになりました。地震で傷んだ店舗や自宅の建物の修理です。

「この仕事はお客さんから直接ありがとうと言われるから嬉しい」といいます。

復旧・復興に伴う建築関係の依頼は震災前より増えており、当面は対応が続くと見ています。

しかし同時に、その先に訪れる反動も静かに見据えているようでした。 

遊び場のない七尾に、ゴルフという選択肢を

内装業のほかに、反田さんはもうひとつ事業を行っています。それは、七尾で営むシミュレーションゴルフ施設です。

きっかけは、コロナ禍でゴルフ人気が高まっていたこと。七尾には打ちっぱなし練習場はあっても、屋内で本格的にプレーできる施設がなかったことに目をつけ、再構築補助金を活用してオープンにこぎつけました。

床が動き、実写映像で世界200コースを再現する高性能な機材を導入。全国の店舗とオンラインでつながるコンペには、1500人ほどが参加したこともあるそうです。

 

意外なことに、反田さん自身はゴルフをしないそうです。使ってみたのもまだ23回。それでも施設を作ったのは、「七尾に遊ぶところとか食べるところとかを作って、若い人が住みやすい地域にしたい」という思いからでした。自分が楽しむためではなく、地域に遊び場をつくりたい。それがこの施設の出発点だったのです。

震災後は一時、会員が離れた時期もあったといいます。住む場所を失った人も多い中、自分だけゴルフを楽しんでいる場合ではない。会員の中には、そう感じた人も少なくなかったのではないか、と反田さんは振り返ります。今年に入り、会員は少しずつ戻ってきているそうです。

二つの仕事に共通する、変わらない姿勢

内装業とゴルフ施設、性格の異なる二つの仕事に共通するのは、七尾で暮らす人たちの日常を支えているということです。震災前と震災後で、仕事に向き合う気持ちは変わらないと反田さんは言い切ります。

能登では人口減少が続いていくだろうと思いながらも、反田さん自身は「ここにはずっとおるつもりだ」と話します。出張で県外に長く滞在することがあっても、やはり地元が一番だと感じるのだそうです。 

温かく見守ってほしい、というメッセージ

能登の人たちに向けたメッセージを尋ねると、反田さんは少し笑いながらこう答えてくれました。

「できること頑張りましょう」

気負いのない、けれど温かい言葉でした。

そして、この記事を読んでくださる全国の方へも、言葉を寄せてくれました。もちろん、震災の受け止め方は人それぞれです。そのうえで、私の周囲では、起きてしまったことを受け止め、少しずつ前を向こうとしている人が多いと感じています。

反田さんは最後に、こう言葉を結びました。

「温かく見守ってもらえたら」 

壊れたものは、直せばいい。そのまっすぐな姿勢に、能登で暮らす人たちの日々の強さが表れているように感じました。

七尾の街に立ち並ぶ建物の一つひとつにも、こうした職人の手が入っています。反田さんはこれからも、丁寧な仕事をこの街に届け続けてくれることでしょう。 

有限会社ウイルコーポレーション 企業詳細

代表 反田 隆之

住所 石川県七尾市古府町へ33-2

TEL 0767-62-9490

 ホールインワン(シミュレーションゴルフ練習場)

住所 石川県七尾市古府町へ34-2

TEL 0767-58-6220

公式HP  https://hallinone-1.com/

 


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