真の復興と安らぎの場―古民家宿「つむぎ庵」野竹夏子さんの信念 | 七尾市

穏やかな富山湾を目の前に佇む、築百数十年の歴史を湛えた一軒の古民家宿。
ここには、能登半島地震を経ても変わらぬ凛とした空気が流れています。


「つむぎ庵」。ここは、代表の野竹夏子(のだけなつこ)さんが、能登の豊かな自然、そして日本の伝統文化を慈しみながら守り続けてきた場所です。

未曾有の震災を経験し、野竹さんは何を思い、どのような未来を見据えているのか。彼女の言葉から復興への歩みと、次世代へ繋ぐべき大切な価値観を探りました。

企業は人なり、政治も人なり

つむぎ庵は、単なる宿泊施設ではありません。能登の里山里海の恵みを五感で体験し、古民家の趣の中で伝統文化にふれることができる場所です。
基本は宿泊と食事の予約のみを受け付け、昼夜を問わず、訪れる人の心に寄り添う最高のおもてなしを提供されています。

野竹さんが事業を営む上で、何よりも大切にしている信念は、
「政治も人なり、企業は人なり。結局、最後は人間性なんです」

どんなに立派な建物や看板を掲げていても、そこで働く人の心が伴っていなければ意味がない。野竹さんはそう語りその精神は宿のしつらえ一つひとつに現れています。
館内を彩る高価な花器や飾り物。それらは野竹さんの手によって、いつ起こるかわからない揺れに備え、一つひとつ丁寧に滑り止めが施されていました。
この日々の備えこそが、彼女の仕事に対する誠実さの表れでもあります。

202411日 茶室で迎えた運命の瞬間

2024年元日。つむぎ庵には、野竹さんの子供たちや孫たち、親族10人が集っていました。
年末年始は宿としての営業をクローズし、家族水入らずで過ごすのが野竹家の恒例行事です。

「日本の素晴らしい文化を、子供たちが小さいうちから肌で感じてほしい」
そんな願いから、毎年元日には、仏壇にお参りをした後にお節料理を囲み、茶室でお茶会を開くのが野竹家の習わし
まだ幼いお孫さんも、その時ばかりは茶室の厳かな空気を感じ取り、背筋を伸ばしておとなしく座っています。

運命の瞬間が訪れたのは、午後4時過ぎ。ちょうどお茶会が終わり、一同が居間でリラックスしていた時でした。

「凄まじい揺れでした。その時、孫がとっさに机の下に入らなきゃ!と動いたんです。でも、あの規模の揺れでは、重い家具の下に入るのはかえって危険です。その時、これまでの防災教育をもう一度見直さなければならないと痛感しました」

目の前は海。津波の危険があることから、一家はすぐさま高台へと避難しました。
夜になり、一時的に宿へ戻った際、野竹さんが最も案じたのは、愛する孫たちの心でした。
「この恐怖がトラウマになって、七尾や能登に来るのが嫌いになってほしくない。ただそれだけを願いました」

不安でいっぱいの子供たちに、まずは安心感を与えるため、その夜は家族10人大きな一部屋に集まり、互いの体温を感じながら眠りにつきました。その甲斐あってか、震災後も孫たちは「おばあちゃんのところに行きたい」と、何度も能登を訪れてくれているといいます。

断水の中での再開、そして支援者への報恩

地震による建物の被害は一部損壊。戸が閉まりにくくなるなどの影響が出ましたが、固定や滑り止めをつけるなど日頃の備えのおかげで、自慢の調度品は一つも破損しませんでした。

震災から1ヶ月も経たない1月下旬。野竹さんは大胆にも宿の予約受付を開始しました。
「実は、予約を始めた時はまだ断水していたんです。でも、私の勘で2月には絶対に水が通ると信じていました」

その直感は的中します。24日に水道が復旧し、翌5日には最初の宿泊客を迎えました。
訪れたのは、東京をはじめとする県外からの支援者たちでした。
「皆、能登を助けるために、自分の生活を置いて駆けつけてくれた人ばかりでした。本当に感謝しかありませんでした」


復旧支援に携わる宿泊客たちは、朝6時には現場へ向かい、夜8時を過ぎてから泥だらけになって戻ってきます。野竹さんは、疲れ果てた彼らのために、毎朝5時からお弁当を作り、夜中12時まで働き続けました。
「美味しい食事と、安らげる場所を提供すること。それが私にできる最大の恩返しだと思いました。体力的には過酷でしたが、感謝の気持ちがアドレナリンになっていたんでしょうね。気力だけで3ヶ月間を走り抜けました」

震災が教えてくれた「正しく生きる」ということ

未曾有の災害を振り返り、野竹さんは静かに語ります。
「震災を経験して、何でもない普通の日がどれほど有り難いことかを改めて実感しました。地位や名誉、権力なんて、大自然の前では本当に小さなことです。それよりも、正しく生きること。死ぬ時に後悔しないように生きようと、より強く思うようになりました」

支援についても、彼女の視点には独自の温かさがあります。
「日本は本当に恵まれた国です。物資が足りないと言う人もいますが、それは感謝が足りないのかもしれません。有難いと思えば、足りないと思うことはないはずです」

この足るを知る精神と、周囲への感謝の念こそが、野竹さんの強さの源であり、つむぎ庵の空間が持つ心地よさなのかもしれません。

能登の存亡を懸けた叫び――若者が「住めない」現実を打破せよ

震災は、つむぎ庵に一つの奇跡をもたらしました。
県外の大手広告代理店でキャリアを積んでいた野竹さんの息子さんが、震災をきっかけに故郷のために、親のためにと、家族を連れて七尾へ帰ってくることを決めました。

「これには本当に驚きましたし、親として、一人の能登人としてこれほど心強いことはありません。息子は震災後、何度も帰省して奥能登の復興支援の仕事に関わるうちに、自分のスキルをこの地で活かしたいと、七尾に住むことを決めたんです」

しかし、息子さんのUターンを間近でサポートする中で、野竹さんは能登が抱える、復興を根底から揺るがす冷酷な現実に直面し、強い危機感を抱くこととなりました。

「若者が志を持って能登へ帰ってこようとしても、物理的に住む場所がどこにもないんです。これが今、能登が直面している最も深刻な問題です」

野竹さんは、行政や社会に対し強く訴えます。
「現在、能登のアパートはどこも満室で、新規の入居は絶望的です。かといって家を建てようにも、資材費や人件費が異常なほど高騰し、若い世代が手を出せる金額ではありません。自分の実家が被災していれば、身を寄せる場所すら失われている。やる気のある若者が、移住やUターンを希望しても、入り口でシャットアウトされているのが今の能登なんです」

野竹さんが最も危惧しているのは、このままでは能登の次世代が完全に途絶えてしまうという、取り返しのつかない人口流出の加速です。

「人間の生活の基本衣食住と言いますが、その土台であるが崩れていては、安心して仕事も子育てもできるはずがありません。せっかく若い力が能登のためにと立ち上がってくれているのに、行政はその受け皿すら用意できていない。目に見える派手な復興事業も大切かもしれませんが、今すぐに取り組むべきは、若者が定住できる仕組み作りではないでしょうか」

野竹さんの提言は、具体的な支援策にまで及びます。
「若者への大胆な家賃補助、住宅建設への抜本的な助成、あるいは空き家の迅速な公的活用。若者が能登に住むことへのハードルを劇的に下げる政策が、今この瞬間に必要です。住む場所がなければ、人は消え、地域は力を無くしてしまいます。息子が帰ってくるとなって目の当たりにしたこの現実は、能登の未来に関わる大きな欠点だと思います」

この叫びは、一経営者の意見を超え、能登の未来を憂う一人の母として、そして地域を守る者としての、心からの警告です。

これからの展望――「和の文化」の聖地として

野竹さんの視線は、すでにその先の未来を見据えています。 「これからは、より一層茶道に力を入れていきたいと考えています」

茶道には、日本の食、住まい、花、そして礼節のすべてが詰まっています。この由緒ある古民家で、着物を正しく着こなし、五感ですべてを味わう。そんな和の文化を総合的に体現する場所として、つむぎ庵を昇華させていきたい。それが野竹さんの描く復興の姿です。

「まずは、私自身がこのつむぎ庵での生活を心豊かに楽しむこと。私が楽しんでいれば、それは必ずお客様にも伝わりますから」

【結びに】全国の皆様へ

最後に、野竹さんから全国の皆様へのメッセージをいただきました。

「能登は今、一歩ずつ前に進んでいます。私たちの力だけでは及ばないことも多いですが、皆様からの温かい支援、そして何より能登を忘れないでいてくれることが、私たちの大きな支えになっています。 つむぎ庵は、これからも皆様がただいまと帰ってこられる場所として、この地にあり続けます。ぜひ、能登の豊かな空気を感じに来てください。温かいお茶を淹れて、皆様のお越しを心よりお待ちしております」

野竹夏子さんというの魅力が、つむぎ庵という癒しの空間を作っているのだと感じるお話でした。困難な状況下でも感謝を忘れず、自らが楽しむことで周囲を照らす。
能登を訪れた際は、ぜひつむぎ庵を訪れてみてください。そこには、震災をも乗り越えた、凛とした日本の美しさが待っています。

御宿つむぎ庵 詳細

住所:七尾市庵町ノ部2
料金:1泊2食 18,000円~(大人1人あたり)
和洋室3部屋・最大定員8名
電話:0767-59-1615
チェックイン 15:30 ~ チェックアウト10:00
HP [つむぎ庵 公式サイト]https://oyado-tsumugian-nanao.com/


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