
石川県穴水町で、長く地域の車を支えてきた北日本自動車株式会社。軽自動車や普通車はもちろん、トラック、ダンプ、ミキサー車、さらには特殊車両まで幅広く対応できる技術力を持つ、能登では頼もしい存在です。
取材で印象に残ったのは、高野憲治社長の明るく気さくなお人柄でした。冗談を交えながら場を和ませつつも、仕事の話になると、車を預かる責任や地域への思いをまっすぐに語ってくださる。その言葉の端々から、この土地で働き、暮らしを支えることへの誠実な姿勢が伝わってきました。
能登半島地震で日常が大きく揺らいだあとも、止まることなく地域の車を支え続けてきた北日本自動車株式会社。震災で直面した現実や復旧までの歩み、そして今だからこそ感じている能登への思いについて、お話を伺いました。
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戦後から続く、地域の「困った」に応えてきた会社
北日本自動車株式会社の始まりは、昭和23年の「高野自動車」。昭和28年に会社を設立し、昭和38年には現在の穴水町鵜島に工場を構えました。戦後間もない時代から、地域の車のある暮らしを支え続けてきた会社です。
高野社長自身は、平成元年から平成4年までスズキ株式会社で勤務したのち、地元へ戻って北日本自動車へ入社しました。家業を継ぐことに特別な迷いはなかったといいます。
「潰すのはもったいない」
高野社長はそう話します。その言葉には、会社の歴史だけでなく、地域で必要とされる仕事をこれからも続けていきたいという思いが感じられました。
ただ、高野社長は老舗であることをことさらに強調しません。お客さまにとって大切なのは、創業から何年経っているかということよりも、今困っていることにきちんと応えられるかどうか。
車が動かない。整備が必要になった。事故や故障で困っている。
そんな時に頼ってもらえることこそ、この会社の価値なのだと、自然な言葉で教えてくれました。

「誠実・安全」――当たり前を当たり前に守る仕事
会社として大切にしていることを尋ねると、高野社長は飾らず、まっすぐにこう話してくれました。
「誠実・安全。それしかないわい」
車を扱う仕事は、命を預かる仕事です。点検や整備の現場では、ほんの小さな気のゆるみも見過ごせません。締め忘れや見落としがあれば、事故につながる可能性があります。だからこそ、安全第一は、あえて声高に掲げるものではなく、現場で働く人たちにとって当たり前でなければならないのだといいます。
うっかりが許されない仕事だからこそ、一人ひとりが誠実に仕事へ向き合う。その積み重ねが、北日本自動車株式会社の信頼を支えてきたのでしょう。高野社長のさっぱりとした語り口の奥には、長年現場を守ってきた人ならではの厳しさと責任感がありました。
「誠実・安全」を当たり前に守り続ける姿勢こそが、地域の人たちから信頼を寄せられてきた理由なのかもしれません。

震災で止まった工場、それでも止められなかった暮らし
令和6年1月1日の能登半島地震。高野社長は自宅で揺れを経験しました。その夜は停電のため、石油ストーブのある会社の事務所で家族と過ごしたそうです。自宅の電気は比較的早く戻ったものの、水の復旧には時間がかかりました。会社の水道が復旧したのは2月中旬、自宅は4月に入ってからでした。生活用水に苦労し、お風呂や洗濯のために金沢へ通う日々が続いたといいます。
会社もまた、大きな影響を受けました。200ボルトの電気が通らず、シャッターも上がらない。コンプレッサーも動かず、パンク修理さえできない状態で、1月いっぱいは休業を余儀なくされました。仕事を再開できたのは2月1日から。それまでは電話で依頼を受けながら、「電気が来たら連絡します」と伝えるしかなかったそうです。
さらに大きかったのは、従業員のみなさんもまた被災者だったということでした。自宅が全壊した人も多く、生活の立て直しという難題を抱えながら、それでも少しずつ職場へ戻ってきたといいます。最初は午前中だけ、次は3時まで、4時までと時短営業を続けながら、ようやく通常の形へ戻していきました。
高野社長が振り返って特に大変だったと話すのは、断水でした。整備の仕事は、どうしても手や道具が汚れます。手を洗う水がないことは、想像以上に厳しいことだったそうです。地域の人が井戸水をポリタンクで運んでくれたこともあり、その助けに支えられながら乗り越えていきました。震災直後の混乱の中でも、地域のつながりが確かに生きていたことが伝わってきます。
軽自動車から特殊車両まで、能登の復旧を支える技術力
北日本自動車株式会社の大きな強みは、対応できる車両の幅広さです。軽自動車や普通車だけでなく、トラック、ダンプ、ミキサー車、バイク、大型車、さらにはタイヤショベルやクレーン車まで扱えるというのは、地域の車屋さんの中でも大きな特徴です。
震災後は、復旧工事に入るダンプや工事車両、県外ナンバーの車の整備依頼が一気に増えました。仕事量は体感で5割ほど増えたそうです。しかも増えたのは、軽作業ではなく、負荷の大きい大型車両の対応です。道が傷み、あちこちに落下物があるなかで、パンクや故障も増えました。そんな状況でも、「北日本自動車へ行けばちゃんとやってくれる」と口コミが広がり、依頼はさらに増えていったそうです。
派手にアピールするのではなく、必要な時に確かな技術で応える。その積み重ねが、地域の信頼につながっているのだと思います。震災後の能登では、車は暮らしの足であると同時に、復旧を支える仕事の道具でもあります。そのどちらにも応えられる技術が、今も能登の暮らしと復旧を支えています。
今、いちばん必要なのは「経験を活かしてくれる人」
取材の中で、高野社長が何度も口にしていたのが、「人がほしい」という切実な思いでした。震災後、子育て世代の従業員が地域外へ移り、現場の人数は減少しました。一方で、復旧に関わる車両の整備は増え続けています。現場の仕事は確実に増えているのに、それを担う人が足りない。会社にとっても、地域にとっても大きな課題です。
特に求めているのは、経験のある整備士の方。資格を持ち、現場で働いてきた経験がある方に来てほしいと、高野社長は率直に話します。今は仕事量が多く、一から教える余裕がなかなか持てないからこそ、これまでの経験をすぐに活かせる人の存在が本当にありがたいのだそうです。
年齢についても、「まだ働けると思っとる人なら応募してほしい」と語ります。実際に、現場では60代のスタッフも活躍中。ディーラーなどで定年を迎えた方、資格も技術もあるのに、次の働き先を探している方にとっては、その経験を生かせる場所になりそうです。
社長自身がとてもフランクで明るい方だからか、会社の空気にもどこか堅苦しさがありません。「縛りはゆるいよね、社長がゆるいから」と笑って話す姿に、現場の人への信頼や、無理に構えず働ける雰囲気がにじんでいました。
能登の復旧を、車の整備というかたちで支える仕事があります。もしこれまで積み重ねてきた経験を、次は地域の力に変えてみたいと思うなら、北日本自動車株式会社には、その技術を必要としている現場があります。
暮らしを取り戻すために、地域に必要なもの
復興について尋ねると、高野社長はとても現実的でした。「復興というより、まずは復旧」という感覚に近いのだそうです。元通りには戻らない。だからこそ、今ある暮らしを少しずつ立て直していくしかない――そんな実感のこもった言葉でした。
その一方で、これからの能登に必要なものについては、はっきりした思いもあります。宿泊施設や飲食店、人がほっとできる場所がもっと必要だということ。特に外食について話すなかで印象的だったのが、「自分で作らなくていいごはんは、それだけでごちそうや」という感覚でした。献立を考えなくていい、作らなくていい、片づけもしなくていい。そんなひとときが、忙しく張りつめた毎日の中では、大きな癒やしになるのだと頷かされました。
最後に、能登の外にいる人へ伝えたいことを聞くと、高野社長は「遊びに来て、金を使ってください」と話しました。明るい笑顔で語られたその言葉は、率直でありながら、今の能登に本当に必要なことをまっすぐに伝えていました。遠くから思いを寄せるだけでなく、実際に足を運び、食べて、買って、過ごしてもらうこと。それが地域にとって確かな力になるのだと教えてくれます。
明るく、気さくで、それでいて地域の現実をしっかり見つめている高野社長。北日本自動車株式会社は今日も、車を直すだけでなく、能登で暮らす人たちの日常を支え続けています。その確かな技術と誠実な仕事は、これからの能登を支える大切な力であり続けるでしょう。
現在、北日本自動車株式会社では、一緒に働く整備士を募集しています。これまで培ってきた経験を、能登の復旧や地域の暮らしを支える力として生かしたい方にとって、新たな活躍の場になるかもしれません。

北日本自動車株式会社 企業詳細
住所 石川県鳳珠郡穴水町字鵜島ニの22
電話 0768-52-1313


















