
能登半島地震の発生から2年半。
被災地の復興は一歩一歩進められているものの、今なお爪痕は深く、人々の心には不安が残っています。
そんな中、自ら動き、現場の声を市政に届けるを信念に、発災後の避難所運営から、現在の創造的復興プランの推進まで、常に被災者の最前線に立ち続けている女性がいます。
七尾市議会議員であり、看護師、そして防災士の資格を持つ木戸奈諸美(きど・なおみ)さんです。
壮絶な震災当日の記憶、避難所での命を守る闘い、そして彼女が描くこれからの七尾・能登の未来へのビジョンを詳しくお聞きしました。
Contents
木戸奈諸美プロフィール

木戸奈諸美さんは1974年輪島市生まれ。
中学を卒業後、七尾市にある石川県立田鶴浜女子高等学校衛生看護科に入学。
公立能登総合病院付属看護学校を卒業後、看護師として公立能登総合病院に21年間勤務しました。
医療の最前線で多くの命と向き合い、お一人お一人の人生に寄り添ってきた経験が、彼女の活動の原点です。
2021年、志を抱いて七尾市議会議員選挙に立候補し初当選。市議として活動する傍ら、防災士、七尾市女性消防団、いしかわ観光特使など地域に根ざした活動をしてきました。
木戸さんが最も大切にしていることは、目の前に困っている人がいれば、どんな立場であろうとも全力で手を差し伸べ、できない理由ではなく、できる方法を探して実行するということ。この看護師・防災士としての現場主義と寄り添う心が、激動の被災生活において多くの市民を救う光となりました。
2024年1月1日忘れられない発災の瞬間と壮絶な孤立
2024年1月1日。木戸さんは久しぶりに実家のある輪島市打越町(うちこしまち)へ帰省していました。
激しい揺れが襲ったその瞬間、家々がきしみ、容赦なく天井や壁、ガラス戸が崩れ落ちてきました。木戸さんは闘病中だった母親を必死に抱え、父親、妹とともに何とか外へ脱出しました。


しかし、外の景色に愕然とします。近所の住民が土砂の下敷きになっており、個人の力ではどうしても助け出すことができない現実。打越町という小さな集落は、道路が完全に寸断され、完全な孤立状態に陥ってしまいました。
それから3日間、絶え間なく続く激しい余震におびえながら、車中で過ごす生活が続きました。
「ここにいて、ただ助けを待っているだけでは、誰も私たちを見つけてくれない!」


そう確信した木戸さんは行動を起こします。チェーンソーを片手に持ち、倒木の下をくぐり、土砂崩れを起こした山道を切り開きながら、半日以上険しい山を歩き続けました。ようやく辿り着いた県道で、通りかかった自衛隊に遭遇。必死に集落の窮状を訴え、救助を求めました。この必死の行動が実を結び、一週間後、孤立していた集落の住民が救助されることとなったのです。
七尾への決死の帰還と「恩送り」との出会い
集落の救助の目処をつけた木戸さんは、自身の活動拠点である七尾市の市民の安否を確認するため、出発を決めました。
「何日かかってでも、歩いて七尾へ行こう」。
その道中、奇跡的な出会いがありました。東日本大震災で自身も被災し、能登へ支援物資を届けに駆けつけていた野村太一さんの車に遭遇したのです。野村さんは
「かつて自分が受けたご恩を、今度は能登へ返すために来た。これが恩送りです」
と語り、木戸さんを車に乗せてくれました。
寸断された道路を迂回しながら、実に8時間をかけて七尾市に到着。
「いただいたご恩を、今度は私が誰かに返していこう」
この時心に深く刻まれた恩送りの精神が、その後の木戸さんの果てしないボランティア活動の原動力となりました。
看護師・防災士の視点で挑んだ避難所運営
七尾に戻った木戸さんは、休む間もなく各避難所の巡回を始めました。
発災直後の避難所は避難者・職員共どこも混乱しており、食料も水も致命的に不足していました。

七尾市で最大規模の避難所となった矢田郷コミュニティセンターでは、断水によってトイレに人が殺到し、90トンの貯水タンクがわずか2日で空になるという危機的状況に直面しました。
そこに自衛隊が支援に入り給水車の手配を迅速に行い、水の確保ができたとのこと。
その後仮設トイレを設置するも、避難者が多くすぐに飽和状態となりました。木戸さんは七尾市の浄化槽清掃業である環境日本海サービスの社長に直接電話でお願いし、朝一番にバキュームに入ってもらうことができたのです。

そんな切羽詰まった現場を目の前にし、共に解決できることを一つ一つこなしていきました。
そして、木戸さんの発信力と行動力は、多くの外部支援を呼び込みました。


食事の支援: 避難所生活の疲れが見え始めた1月5日には、一本杉通りの一本杉 川嶋のシェフや県外ボランティアと協力し、母校である田鶴浜高校へ温かい白かぶのシチュー丼の炊き出しを届けました。


医療・看護班の確保: 避難所における体調不良や感染症対策が深刻化する中、木戸さんは民間団体NurseMen(ナースメン)の災害看護師たちと情報共有を行い、いち早く避難所の健康管理体制を構築。SNSを通じて現場の医療ニーズをリアルタイムで発信し、それに応じた日赤山口県チームやDMAT、日本看護協会などの医療班へのスムーズな引き継ぎを成功させました。

木戸さんのSNS発信は、現場のニーズを拾う → 読者がすぐに反応し手配する → その報告を速やかに発信して次の支援に繋げるという非常に強力なサイクルを生み出しており、その的確な看護師目線のアドバイスと健康管理への注視は、とても頼りになるものでした。

また、被災当時たくさんの方が罹災証明申請について混乱した状況の中、木戸さんは行政と協力し避難所で相談窓口を開設しました。
罹災証明の申請についてや、生活に関する相談を請け負い、それは避難所が9月に閉所されるまで続きました。
直面した課題と葛藤、そして市長選への挑戦

震災対応に明け暮れる中、木戸さん自身も大きな過渡期を迎えていました。
当時勤務していた民間企業(災害拠点SSとしての役割を担うガソリンスタンド等運営会社)において、震災直後の急な開店判断や、今後の地域貢献に対する方向性を巡り、オーナー側との価値観の相違が生じました。「災害拠点として、もっと地域のためにできることがあるはずだ」という木戸さんの強い信念は譲れず、2024年3月末、3年間勤めた企業を退職することを選びました。
議員としての仕事、自身の収入、そして全壊した輪島の実家の公費解体や、水回りが壊れ傾いた七尾の自宅での不自由な生活など、木戸さん自身も一人の被災者として深刻な課題を抱えていたのです。

それでも市民からのSOSは止まりませんでした。発災から9ヶ月が経っても進まない公費解体、パンク寸前の災害廃棄物仮置場、住民から漏れる安心して住めない、生業を続けられない、行政は私たちの生活に興味がないのではという諦めの声。
「できない理由を探すのではなく、できる方法を実行する、強い七尾市の体制をつくらなければならない」

多くの市民の声に後押しされ、木戸さんは2024年10月、会派や派閥にとらわれない市民本位の政治を実現するため、七尾市長選挙への立候補を決意し、市議会議員を自動失職して不退転の覚悟で挑みました。結果はあと一歩、僅差で及びませんでしたが、彼女の熱い想いと自ら動く優しさと強さは、半数近い多くの市民の心に印象づけました。
その後も木戸さんは立ち止まることなく、一人の看護師・防災士として地域を回り、不登校児の支援や、母校である田鶴浜高校の同窓会会長就任など、地域コミュニティの再生のために動き続けました。そして2025年10月、多くの市民の期待を背負い、七尾市議会議員へ見事返り咲きを果たしたのです。
木戸奈諸美さんが描く「子どもを真ん中に据えた復興ビジョン」
木戸さんに今後の具体的な復興施策と、全国へのメッセージを語っていただきました。
① 復旧・復興の進め方の根本的見直し
震災直後、全国からたくさんの善意やボランティアが届きました。しかし行政の受け入れ体制が受け身であったため、せっかくの応援を活かしきれなかった苦い経験があります。今後は、市長や行政が主体的に国・県・民間、そしてNPOとの連携を強化し、お金を出す側からもこの地域には投資する価値があると思ってもらえるような、具体的で魅力的な復興プランをこちらから提示していく必要があります。
② 子ども・教育・福祉・介護の充実(子どもを真ん中に据えた街づくり)
被災をきっかけに、多くの現役世代や子どもたちが金沢や県外へ流出しています。これ以上の人口流出を止めるためには、子どもたちがこの街に住み続けたいと思える環境を最優先で作ることです。
具体的には、遅れている小中学校の修復作業を早急に終わらせること。そして、七尾の子育て世代が最も悩んでいる屋内の遊び場不足を解消するため、遊休施設を活用した日本海側初となるおもちゃ美術館のような、能登の木材に触れ合える大型屋内遊び場(木育施設)を誘致することです。ここに福祉や介護の総合相談窓口を併設すれば、世代を超えてみんなが笑顔で集まれる場所になります。
③ スクールソーシャルワーカーの積極活用と不登校支援
私自身、息子が6年間の不登校を経験し、親子で先の見えない暗闇を歩むようなツラい日々を過ごしました。だからこそ分かります。現在、教育支援センターわかたけでの小学生受け入れなど、3年間議会で訴え続けてきたことが少しずつ形になっています。
スクールソーシャルワーカーを積極的に活用し、不登校やヤングケアラーなどの問題を早期に発見し、学校・医療・地域が一体となって寄り添う体制を強化します。

ちなみに、我が家の不登校だった息子は、震災時のボランティア活動などを経て、2026年春から看護師を目指して七尾看護専門学校に入学しました。人生どう転ぶか分かりません。その経験を活かし、悩む親御さんの相談にこれからも乗り続けます。
④ 和倉温泉の創造的復興
七尾の宝である和倉温泉の復興こそが、能登全体の復興のシンボルになります。2024年末に開催された和倉トークでも、大学生や専門家を交えた素晴らしいフロートビジョンが提案されました。七尾の豊かな食文化や、充実した医療体制を組み合わせることで、震災前よりもさらに魅力溢れる創造的な和倉温泉へと生まれ変わらせるため、市が一番の相談者・支援者としてコミットしていきます。
⑤ 防災士の組織化とコミュニティの強化
七尾市内には300人以上の防災士がいます。この力を眠らせておくのはもったいない。市の防災部局と直接連携できる体制を整え、各地区のコミュニティセンターや地域づくり協議会の防災機能をシフトアップします。平時から他自治体や民間と災害時協協定を結び、次の災害に備えた自助・共助の強い地域力を育てます。
全国のみなさまへのメッセージ


元日の激震から始まり、豪雨災害など、本当に激動の2年間でした。私自身、仕事や家を失い、2026年の1月にようやく仮設住宅に入居が決まったという、一人の被災者です。自分の家族を後回しにして走り続けてきましたが、この2年間でこれほど多くの全国の方々に助けられ、支えられ、思いを託された年はありませんでした。心から感謝申し上げます。
私はこの試練を通して、さらに強くなりました。
災害の現場を経験したからこそ、政治の判断一つが、私たちの生活、そして生死にまで直結することを痛感しています。誰がやっても同じではありません。
震災で得た一番の財産は、多くの全国の人と繋がれたことです。防災士・看護師として知識はあったつもりですが、当事者となり防災意識がさらに高まりました。この経験を「自分事」として、今後の活動に生かします。
能登の、七尾の復旧・復興には、まだまだ長い時間が必要です。どうか、能登を長期的な視線で見守り続けてください。そして、ぜひ能登へ、七尾へ足を運んで、頑張っている私たちの姿を見に来てください。
災害に強く、一人ひとりに優しい、誰もが希望を持てる七尾を創るため、私はこれからも諦めず、自ら動き続けます。今後とも、皆様の温かいお力添えをよろしくお願いいたします。
以上が木戸さんからの力強いメッセージです。
自身も被災しながらできる方法を模索し、看護師・防災士・市議の視点で走り続ける木戸奈諸美さん。彼女が蒔く子どもを真ん中に据えた復興の種は、次世代へ希望を繋ぐ一歩となっています。
木戸奈諸美(きど・なおみ) 事務所/活動情報
住所 : 〒9260014 石川県七尾市矢田町2-41-4
木戸なおみ事務所
連絡先:木戸奈諸美Instagramアカウント https://www.instagram.com/kido.naomi/
主な役職一覧
七尾市議会議員/看護師/防災士/矢田郷地区まちづくり協議会防災部会長/
石川県立田鶴浜高等学校同窓会会長/石川県男女平等推進協議会理事
女性消防団員/いしかわ観光特使


















