
能登で暮らす人にとって、家はただの建物ではありません。雨や雪をしのぎ、家族の時間を重ね、毎日の安心を育てていく大切な場所です。だからこそ、屋根の傷みや雨漏り、地震による傾きといった住まいの不具合は、そのまま暮らしの不安につながっていきます。
そんな地域の困りごとに長年寄り添ってきたのが、七尾で住宅修理の仕事を続けてきた谷川社長です。机ひとつ、黒電話ひとつから始まった小さな会社は、時代の変化や経営の苦労、そして能登半島地震という大きな出来事を乗り越えながら、今も地域に必要とされる存在であり続けています。今回は、谷川社長の歩みと仕事への思い、そして能登で暮らしを支える住宅修理の役割についてお話を伺いました。
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机ひとつ、黒電話ひとつから始まった
谷川社長は七尾のご出身。若い頃は金沢の大きな左官会社で10年にわたり修業を積み、現場の世話役も任されていたそうです。確かな技術を身につけたのち、25歳で独立。そして35歳で会社を立ち上げ、住宅修理の仕事を始めました。
創業当時の話をうかがうと、谷川社長ご本人と電話番の女性、作業員が一人、そして犬が一匹。それくらいの規模だったのだとか。けれど、その言葉の奥には、何もないところから事業を始める厳しさもにじみます。事務所には机がひとつ、黒電話がひとつ。それだけでの出発でした。
今でこそ住宅修理は暮らしの中で必要な仕事として広く知られていますが、当時は七尾でも珍しかったそうです。だからこそ、最初は仕事を待っていても始まりません。谷川社長はチラシを作り、自ら配って歩きました。ところが、7月にスタートしてから10月まで、電話は一本も鳴らなかったといいます。このままではまずい。破産するかもしれない。そんな不安と向き合いながら過ごした日々だったそうです。
小さな仕事が、商売の手応えを教えてくれた
そんな中、最初のきっかけになったのが網戸の張り替えでした。飛び込みで入った依頼に応えてみると、1枚ごとの単価は大きくなくても、枚数が増えればきちんと仕事になる。暮らしの中の小さな困りごとにも、ちゃんと価値がある。谷川社長はそこで、住宅修理という商売の手応えをつかんでいったのだそうです。
さらにその年の秋、台風によって屋根などが傷んだ家から修理の依頼が一気に増えます。10月だけで100件もの注文が入ったものの、今度は仕事を受けきれないという別の悩みに直面しました。人手が足りず、お客さまからお叱りを受けることもあったそうです。それでも仲間を集め、下請けの力も借りながら、一件一件なんとか応えていったと話してくださいました。
冬になると、今度は雪下ろしの依頼が舞い込みます。雪国では、屋根の雪を下ろすことも命に関わる大切な仕事です。高齢の方から「値段が高くても来てほしい」と頼まれることもあり、その切実さが伝わってきます。自然の厳しさがある地域だからこそ、暮らしを支える仕事には切実なニーズがある。そのことを、谷川社長は現場で何度も実感してきたのでしょう。
順調な時ばかりではなかった経営の日々
売り上げは年々伸び、事業が順調に軌道に乗り始めた頃、突然の危機が訪れました。取引先の倒産により、多額の焦げ付きが発生。谷川社長も「自分の会社も倒産するかもしれない」と感じたといいます。苦しいとき、思うように助けてもらえない現実もあったそうです。そんな中で手を差し伸べてくれた人がいて、なんとか持ちこたえることができたのだとか。元の状態に戻るまでには3年ほどかかったそうですが、その経験は、経営の厳しさだけでなく、人のありがたさも深く教えてくれたのだと思います。
「あの時、手を差し伸べてくれた方への感謝は、今でも忘れません。商売は、人とのつながりで生かされているんだと、心から思いました」
その後、会社はさらに大きくなりました。従業員は30人、40人と増え、最も多いときには78人に。売上も3億円近くにのぼったそうです。住宅修理だけでなく、大手ゼネコンの現場を支える協力会社としての仕事や、人材を現場・事務に送り出す業務、さらには配送の仕事まで、幅広く手がけてこられました。けれど、人が増えればその分、社会保険など会社が負う責任も大きくなります。雇用を守ることの重みを、経営者として強く感じてきたことが伝わってきました。

「直す」仕事にある、職人の誇り
現在も谷川社長の会社の中心にあるのは、直しの仕事です。屋根、瓦、雨漏り、サッシ、建物の補修、そして家の傾き直しまで。住まいに起きるさまざまな不具合に向き合い、暮らしを元に戻していく。それがこの仕事の役割です。
お話の中で印象的だったのは、谷川社長が「我々はプロなんだ」と語った場面でした。今の新築住宅は、工場でつくられた部材を組み立てる形が多くなっています。一方で、昔ながらの家の修理は、それとはまったく違う技術が必要になるのだそうです。削る、合わせる、工夫する。その場その場で家の状態を見て、最善の直し方を考える。経験がものをいう世界です。
だからこそ、住宅修理はただの作業ではありません。長年積み重ねてきた職人の感覚と判断力があってこそ成り立つ仕事なのだと感じます。谷川社長の言葉からは、そんな職人としての誇りがまっすぐに伝わってきました。
能登半島地震のあと、鳴り続けた電話
2024年の能登半島地震のとき、谷川社長は買い物に出ていた先で揺れに遭ったそうです。正月休み中に起こった大きな地震。道路は混乱し、自宅に戻るのも簡単ではなかったといいます。けれど休みが明けると、電話は鳴りっぱなしになりました。
寄せられたのは、屋根の棟直し、ブルーシートかけ、瓦の補修、家の傾き直しなどの依頼です。特に屋根まわりの被害は多く、応急対応だけでも100件以上の仕事が入ったそうです。長年商売を続けてきたからこそ、「ここに頼めば何とかなる」と思って連絡をくれるお客さまが多かったのでしょう。
今は以前のように谷川社長ご自身が現場作業に出ることはなくなったそうですが、依頼を受けたお客さまのもとには、できるだけ挨拶に行くようにしているのだとか。それが自分の信念だから、と穏やかに話されていました。顔を見せるだけで安心してもらえることがある。災害の後なら、なおさらです。修理の技術だけではなく、人としての寄り添いが、この会社の大きな力になっているのだと感じました。
喜ばれること、それがいちばんのやりがい
谷川社長に仕事のやりがいをたずねると、返ってきたのはとてもまっすぐな言葉でした。
「お客さんに喜ばれること」。
そしてもうひとつ、「雇用を守ること」。
商売を続けることは、ただ売上をつくることではなく、困っている人の役に立つことでもあり、働く人の居場所を守ることでもある。豪快に笑いながら語るお姿の中に、そんな責任感がしっかりと根を張っているように感じました。
最近は、同年代のお客さまの家を訪ねて、元気にしているか声をかけることも楽しみのひとつだそうです。地元のいちごを持って「食べてください」と届ける。そんな何気ないやりとりも、谷川社長らしいあたたかさにあふれています。商売人らしいユーモアを交えながらも、根っこにあるのはやはり、人を大切にする気持ちなのでしょう。
能登で暮らしを守り続けるために
「能登だって人間が生きる地なんです」
最後にそう語られた言葉が、強く心に残りました。
住宅修理は、壊れた家を直すだけの仕事ではありません。住む人の不安をやわらげ、暮らしを守り、地域の日常をつないでいく仕事です。能登半島地震を経験した今、その役割はこれまで以上に大きくなっています。
机ひとつ、黒電話ひとつから始まった会社は、長い歳月を重ねる中で、地域に信頼される存在になりました。困ったとき、すぐ来てくれる。そんな人がいることの心強さを、谷川社長のお話からあらためて感じます。
能登の暮らしを支える住まいのそばには、今日もまた、誰かの安心を守ろうと動いている人がいます。そのあたたかな積み重ねが、この地域の明日をそっと支えているのかもしれません。
企業詳細
有限会社 住宅修理センター
住所 石川県七尾市佐野町ロ部99-1
TEL 0767-53-5645


















