「老人保健施設 寿老園」能登震災を乗り越え、地域に寄り添うケアの形|七尾市

「介護って、特別なことじゃないんです」——そう穏やかに話す辻口百代さんは、石川県七尾市中島町にある介護老人保健施設 寿老園の施設長です。2024年元日、能登半島を直撃した大地震はこの施設にも容赦なく牙をむきました。スプリンクラーが一斉に作動し、停電と断水が重なるなか、辻口さんは職員とともに利用者一人ひとりを守り続けました。震災という試練を経てなお、地域に根ざしたケアを続ける辻口さんにお話を伺いました。 

受け継がれた志、地域「中間の場所」へ

寿老園が開所したのは1994年(平成6年)のことです。その歴史は、辻口さんのお父様が長年営んできた辻口医院にさかのぼります。お父様は、退院後も十分なケアを受けられない高齢者の現状を目の当たりにし、その受け皿として特別養護老人ホーム秀楽苑を設立しました。

その後、病院を継いだお兄様の中に、病院と自宅の間をつなぐ場所が必要だという思いが芽生えます。入院後、いきなり自宅へ戻るのではなく、リハビリを行いながら心身の状態を整え、元気になってから帰宅できる場所をつくりたい――。そんな願いから誕生したのが、介護老人保健施設寿老園でした。 

「利用者も職員も、お互いが心地よい介護を」

辻口さんが長年大切にしてきたのは、利用者だけでなく、職員も無理なく働ける介護の在り方です。「腰を痛めるとか、介護する側だけが大変というのは違う」と話します。スライディングボードや福祉用具を積極的に取り入れ、力任せではない自然な介助ができる環境を丁寧に整えてきました。

「グッと力任せに抱えられたら、される側も嫌な気持ちになりますよね。お互いが気持ちよく過ごせる介護を目指したい」

それは利用者の尊厳を守ることであり、同時に職員が長く、いきいきと働き続けられることへの願いでもあります。 

あの日、スプリンクラーが一斉に降り注いだ

202411日の午後、穏やかなお正月のひとときは突然終わりを告げました。激しい揺れが収まった瞬間、施設中のスプリンクラーが一斉に作動し、室内は水浸しに。停電で厨房も使えず、濡れたベッドに暗闇が迫るなか、辻口さんは職員とともに利用者全員を食堂に集め、乾いた毛布や衣類をかき集めました。

夕食は作れないため、利用者さん個人からお預かりしていたおやつをまとめて、皆さんに食べていただき、服薬と水分補給だけは何とか確保しました。辻口さんはそのまま施設に泊まり込み、翌朝からは備蓄のアルファ米やクラッカー、石油ストーブでお湯を沸かして食事を用意しました。23日後にはDMAT(災害派遣医療チーム)が駆けつけ、地域の方々からも食材が届くようになると、職員と献立を考えながら、おでんや焼き魚を利用者にふるまいました。

「普段食べられないものが食べられるって、利用者さん、結構喜んでくれましたよ。」

断水中のトイレに関しては、近隣の山の湧き水や七尾市から借りたラップ式の簡易トイレを利用し、仮設配管工事が整うまでしのぎました。建物西側の外装と基礎は断裂し、認知症棟の床は傾いて車椅子が自然に動いてしまうほどの被害を受けました。

(画像提供:寿老園様より) 

20名の転送、そして「ここでやろう」という覚悟

幸いにも、利用者・職員への直接的な負傷者は出ませんでした。しかし数日後、DMATから「重症化リスクの高い方を外部施設へ転送したい」と告げられました。辻口さんたちは断腸の思いで、約20名の利用者を他の施設へ送り出すことを決断しました。

残りの利用者については、職員全員でこう決めました。

「どこへ行っても一緒だろうから、ここでやろうよ。」

慣れ親しんだ場所で、顔見知りの職員に囲まれて過ごすことが、利用者にとってきっと安心できる——そんな思いが、あの言葉の奥にありました。転送された方の中には金沢の家族のもとに残られた方も、1年ほど経ってから「戻りたい」と帰ってこられた方もいます。どちらも、家族と施設が思いをすり合わせながら下した、大切な答えでした。 

「施設だから大丈夫」という思い込みを、やめてほしい

震災を経て、辻口さんが強く伝えたいことがあります。

「施設だからなんとかなるだろう、という考えはやめてほしいんです。ただ、できることは何でもします。」

寿老園は七尾市から災害時福祉避難所に指定されています。しかし実際には、入所者を守るだけで精いっぱいでした。もし次に災害が起きた時にどうするか——その問いは今も胸に重く残っています。

そのなかで一つ、できたことがありました。通所リハビリ(デイケア)をなるべく早期に再開したことです。避難所で暮らす高齢者は、身体が不自由だったり、お風呂に入れなかったりと孤立しがちです。施設がいち早く扉を開けることで、そうした方々の居場所と心の支えになれる——そのことを、職員たちとともに改めて実感した経験でもありました。 

経験が書き換えたBCP——備えの実感

震災前から、寿老園ではBCP(業務継続計画)検討委員会——もしもの時に施設を動かし続けるための計画づくりの場——を設け、備蓄品の見直しや非常時の行動手順を整えていました。しかし実際に被災してみると、これは役に立たないこれが足りないという気づきが次々と生まれました。今では委員会の議論も、より実践的な視点で進むようになったといいます。

「いつ何時起きても困らないように、備えておかなければいけないという考えは、身についてきたかなと思います。」 

外装の損傷、断たれた配管——続く仮設の日々

震災の傷跡は、今も建物に刻まれています。外装と基礎の断裂に加え、配管も壊れてしまい、現在も応急処置を施した仮設配管でつないでいる状態が続いています。西側の10床は使用できないまま、90床での運営が続いています。

本格的な建て替えや大規模改修には莫大な費用がかかります。物価高騰が続くなか、数十年先の返済や人件費を見据えた経営判断は、施設にとって重くのしかかる課題です。辻口さんは「先の短い者が考えてもどうかって思うこともある」と苦笑しながらも、地域に欠かせない施設である限り、立ち止まるわけにはいかないと静かに話してくれました。

 

「足がないから行かん」——高齢者の孤立を防ぐために

施設で日々利用者と向き合うなかで、辻口さんが気になっているのが、地域に暮らす高齢者のの問題です。買い物にも、近隣にある能登演劇堂へ演劇鑑賞にも、選挙にも——「足がないから行かん」という声を、どれだけ聞いてきたことでしょう。だから車が手放せない。でも運転に不安を感じながら乗り続けるお年寄りも少なくありません。

「大きなバスじゃなくていい。10人乗りくらいのバスが周期的に回ってくれるだけで、もうちょっとお年寄りも元気になれると思うんです。」

外出の機会が減れば、認知症も進みやすくなります。誰かと話す場所へ、季節の花を見に行ける場所へ——そんなちょっとのお出かけを支える仕組みが、この地域にはまだ足りていないと辻口さんは感じています。 

春はワラビ、秋は栗ご飯——能登の四季とともに

そんな辻口さんが大切にしているのが、季節の食を通じた暮らしのリズムです。春になれば職員と一緒にワラビやタケノコを採りに行き、竹の子ご飯や味噌汁を振る舞います。秋は栗ご飯。旬の味が食卓に並ぶたびに、「あぁ、今年もこの季節やね」と利用者さんの顔がほころびます。

かつては利用者100人分のキスの天ぷらをふるまうべく、漁師さんと船で釣りに出かけたこともありました。ボート免許まで取得して、親戚のヨットで能登島周りの朝焼けの海を駆けたこともあるといいます。

「エンジンなしで風だけで走るヨット、あれは本当に気持ちいい。能登の海を、もっといろんな人に体験してほしい。」

能登は震災があった場所ではなく、日本本来の自然と風習、素朴な暮らしが息づく場所——そのことを、もっと多くの人に知ってほしいと辻口さんは願っています。 

「介護は特別なことじゃない」——辻口さんからのメッセージ

取材の最後、辻口さんはこう話してくれました。

「介護って、特別なことじゃないんです。昔はみんなおうちで見てたわけですから。生活の中で自然に手を差し伸べられる人が、一人でも増えてくれたらいいなと思っています。」

利用者さんと年が近いから、教えてもらうことも多い、と辻口さんは笑います。「あんたこんなん知らんがけ」と言われることも、しょっちゅうだそうです。介護する側とされる側、という線引きではなく、ともに暮らす人として日々を重ねていく——寿老園のケアには、そんな温かさが根づいています。

震災の傷跡が残る建物で、10床が使えないままの状況でも、辻口さんと職員たちは今日も扉を開けています。地域の人たちのここに来てよかったという気持ちが、きっとその背中を支えているのだと思いました。 

企業詳細

介護老人保健施設 寿老園

住所 石川県七尾市中島町鹿島台は部14番地1

TEL  0767-66-0300

提供サービス 介護老人保健施設、短期入所療養介護、通所リハビリテーション

       居宅介護支援、在宅介護支援センター

公式ホームページ https://care-net.biz/17/jyuroen/company.php

 


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