「有限会社古木重機」 ICT施工で支える能登の復興|七尾市

大きな揺れに見舞われたあの日から、能登では今もなお、暮らしを取り戻すための時間が続いています。道路を通れるようにすること、崩れた場所を整えること、安心して生活できる土台をつくること。そんな復旧・復興の最前線で力を尽くしてきたのが、七尾市の有限会社古木重機です。

重機を扱う土木の会社、と聞くと、力仕事の現場を思い浮かべる方も多いかもしれません。けれど同社が見据えているのは、昔ながらの経験だけに頼るのではない、新しい建設のかたち。3次元データやICT施工、メタバース、AIといった技術を取り入れながら、少ない人手でも安全に、正確に、地域を支える仕組みづくりに挑んでいます。

先代から受け継いだものづくりの誇りと、能登への深い思い。その両方を胸に歩む古木社長に、震災当時のこと、そこから続く苦労、そして未来への願いを伺いました。 

現場の苦労を減らしたい。その思いから始まった挑戦

有限会社古木重機が力を入れているのが、ICT施工です。ドローンやスキャナーで現場の地形を立体的に把握し、そこへ3次元の設計データを重ねることで、どこをどれだけ削るかどれだけ土を盛るかといった作業を、より正確に進められるようになります。

さらに、その設計データを重機に入れることで、機械が完成形をなぞるように動き、掘りすぎや削りすぎを防ぐこともできます。これまでは重機のオペレーターのほかに、測量や高さ確認を行う人が必要だった現場も、少ない人数で対応できるようになりました。熟練者でなければ難しかった作業も、若い世代が扱いやすくなるのだそうです。

古木社長がこうした技術を取り入れたのは、67年ほど前。現場での苦労を減らしたいという思いが、いちばんの出発点でした。人手不足が進む中で、3人必要だった作業を1人で進められるようにすることは、単なる効率化ではなく、地域の仕事を未来へつなぐための備えでもあります。 

(3D画像:古木重機様HPより引用させていただきました。)

震災直後、すぐに始まった応急対応

能登半島地震が発生したとき、古木社長は自宅にいました。津波警報が出るなか、すぐに高台へ避難。従業員もそれぞれ避難していましたが、発災直後は安否確認もなかなか取れなかったといいます。

そんな混乱の中で、七尾鹿島建設業協会からはすぐに出動の連絡が入りました。道路には大きな段差ができ、車が走れない場所もある。まず必要だったのは、命や生活をつなぐための応急対応でした。

作業は、陥没した道路に砂利を入れ、段差をなくして車が通れる状態に戻すこと。目立つ仕事ではないかもしれませんが、救援や物流、医療、そして地域の暮らしを支えるために欠かせない作業でした。

12日から七尾で作業に入り、14日からは能登空港方面へ。国土交通省の災害対応拠点の準備にも携わり、しばらくは車中泊を続けながら現場を回る日々が続きました。

その応急対応は、1年近く続いたそうです。 

被災しながら働く日々の中で

震災後の苦労は、現場の厳しさだけではありませんでした。震災前から珠洲で進めていた田んぼの圃場整備工事の現場も被害を受け、工事は中止に。けれど道路が通れず、現場に置いていた機械を運び出すことができない。リース機を2か月ほど置いたままにせざるを得ず、その費用も会社の負担になりました。

さらに奥能登豪雨では、町野川(輪島市)の氾濫によって重機やダンプが水に浸かり、泥に埋もれる被害も受けました。道が崩れて近づくことも難しく、まずは道路を復旧しなければ機械を助け出すことすらできない。埋もれた重機を出すまでに、1年半ほどかかったといいます。

(画像提供:古木重機様より)

災害現場では安全への配慮も一層重要です。同社では単独作業はさせないと決め、必ず複数人で動く体制を徹底してきました。通常とはまったく違う環境だからこそ、何かあったときにすぐ助け合えるようにする。その慎重さが、仲間の命を守ることにつながっていました。

当時は食事やトイレの確保も簡単ではなく、奥能登の現場へ向かう前に七尾で食料を買い込むのが当たり前だったそうです。七尾でも断水が続き、自宅の井戸水を汲んでしのぎました。復旧に向かう人たち自身もまた、被災生活の中にいました。 

「ありがたい」のひと言が力になった

それでも、厳しい日々の中で忘れられない場面があると古木社長は話します。豪雨災害の翌日、現場は股下まで泥につかるような状態でした。タイヤショベルで土砂をかき出していたとき、近所のおばあちゃんが手を合わせて「ありがたい、ありがたい」と声をかけてくれたのだそうです。

どけてもどけてもまた泥が流れてくる。終わりが見えない作業の中で、その言葉は大きな力になりました。ただ作業をこなしているのではなく、待っていてくれる人がいる。喜んでくれる人がいる。その実感が、使命感につながっていったのだと思います。

 

先代から受け継ぐ、ものづくりの原点

有限会社古木重機の原点には、先代から受け継がれたものづくりへの想いがあります。創業は1976年。重機オペレーターだったお父様が一人で立ち上げた会社でした。

お父様は、1970年の大阪万博をきっかけに未来のものづくりに触れ、その後七尾へ戻り、地域に根ざした仕事を積み重ねてこられました。

その想いを受け継ぐ古木社長が見据えているのは、単なる工事の完成ではありません。地域に必要な仕事を、この先も地域の中で続けていくことです。

現在、現場の機械設定には社長しか対応できない部分もあり、若い世代への技術継承や人材育成にも力を注いでいます。そんな想いが、日々の仕事の中に込められています。 

若い世代へつなぎ、能登の未来へつなぐ

今、会社には若い世代も入ってきています。古木社長は「賑やかになった」とうれしそうに話します。一方で、土木の仕事は若い人にとって決して選ばれやすいものではありません。暑さや重労働もあり、人材確保の難しさは今も大きな課題です。

だからこそ同社は、3次元のその先を見据えています。時間や場所、情報共有まで含めた4次元、さらにAIの活用による5次元の世界へ。すでにメタバースの会議室を導入し、現場の3Dデータを共有しながら打ち合わせができる環境づくりも進めています。現場に行かなくても進捗を把握でき、書類業務の負担軽減にもつながる。そうした新しい仕組みが、働きやすさを変えていこうとしています。

古木社長がこの仕事の魅力として語るのは、「自分がつくった形が、そのまま目の前に残ること」。道路や土地、まちの形として地図に残り、人の暮らしを支える。その喜びがあるからこそ、長く続けてこられたのだといいます。 

元に戻すだけでなく、元以上の能登へ

古木社長が願うのは、ただ震災前に戻ることではありません。道が良くなり、街が整い、前の生活以上に暮らしやすい能登になること。人口減少や若者の流出という課題がある中でも、地域に合った復興の形で、元以上に良くなってほしいと話します。

また、県外からの支援への感謝も強く口にされていました。地元だけではとても追いつかない規模の復旧・復興だからこそ、全国から来てくれた人たちの力が本当に大きかった。「ありがとう」という言葉には、その実感がにじみます。そして、支援に来た人が能登の自然や人のあたたかさに触れ、「ここが好きだ」と思ってくれたら――そんな願いもまた、地域への深い愛情そのものでした。

壊れた道を直すことは、暮らしをつなぎ直すこと。有限会社古木重機が取り組んでいるのは、まさに能登の未来の土台をつくる仕事です。静かで力強いその歩みが、これからの能登を少しずつ、でも確かに支えています。 

有限会社古木重機 企業詳細

住所 石川県七尾市国分町カ部3番地

TEL 0767-53-6380

公式HP  https://www.furukijyuki.co.jp/


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