
能登半島地震から時が経ち、復興へ向けて一歩ずつ歩みを進める七尾市。歴史ある「一本杉通り」にも、少しずつ日常の風景が戻り始めています。
今回訪れたのは、心安らぐ香りで人々を迎え入れてくれる「茜屋珈琲茶房」。
店主の関川由美子さんが、震災を乗り越え、大切なお店を守り続ける想いと、そこに集う人々の温かい物語を伺いました。
Contents
子どもたちに笑顔を。心をつなぐ「ソックアニマルズ」
お店に足を踏み入れると、珈琲の芳しい香りと共に、なんとも愛らしいぬいぐるみたちが迎えてくれました。これは「ソックアニマルズ」といって、靴下(ソックス)で作られたお人形だそうです。
きっかけは、関川さんの同級生で、神奈川県逗子市にお住まいの方からの「何か支援がしたい」というお申し出でした。そのご友人は、ご自身が子どもの頃の通学路だったこの一本杉通りのために、手作りのソックアニマルズを販売し、売上を寄付してくださったのです。
このソックアニマルズは、東日本大震災の際に、子どもたちを励ましたいと宮城県東松島市で復興への願いが込められた「ソックモンキー」をモデルにしているのだとか。ソックモンキーとは、アメリカで100年以上前から作られている靴下でできたぬいぐるみのことです。
「ソックスでできているから、とても柔らかくて肌触りがいいんです。地震で心を閉ざしがちな子どもたちにも、きっと受け入れてもらえる」と、関川さんは目を細めます。
実は、関川さんには忘れられない思い出がありました。
東日本大震災の時、七尾市に避難されてきたご家族がお店を訪れました。地震以来、笑わなくなってしまったというお子さんのことをご家族が心配されているのを見て、関川さんはご自宅にあったぬいぐるみをそっと手渡しました。すると、その子が「にっこり」と笑ったのです。ご家族が大変喜ばれたその光景が、ずっと心に残っていました。
震災から1年10カ月たった今年(2025年)の10月5日、茜屋珈琲茶房のある一本杉通りでイベントが開催されました。「今回子ども向けのイベントが開催されると聞いて、この可愛いソックアニマルズを店頭に飾りたいと思ったんです。お店を巡る子どもたちが、これを見て少しでも喜んでくれたら嬉しいな、って」
そして、神奈川県に住むご友人に製作を依頼されたそうです。このソックアニマルズは一つ一つ手作りのため、どれ一つとして同じものはないのです。
優しい想いが込められたソックアニマルズは、お店を訪れる人々の心も温かくほぐしてくれているようでした。

「いつもの茜屋さん」を守りたくて。奇跡が早めた再スタート
地震は、茜屋珈琲茶房にも大きな爪痕を残しました。外壁は一部が崩れ、店内では飾り棚や置物が倒れて破損。内装の壁はうねり、床のタイルも割れてしまいました。特に、関川さんが大切にされていた高価な食器も、その多くが割れてしまったそうです。




胸が痛む状況の中、お店の修繕にあたり、関川さんには一つの強い想いがありました。
「お店の中を、ガラッと変えないでおこう」
それは、お客様が再び訪れてくれた時に、地震前と変わらない「いつもの茜屋珈琲茶房」の雰囲気を感じて安心してほしい、そして関川さんご自身も、愛着のあるお店のままで営業を続けたい、という切なる願いでした。
壁紙は、以前と全く同じ柄はもう無かったものの、一番近い色のものを選びました。そして、割れてしまった床のタイル。これが奇跡的にも、同じ種類のタイルが残っていたのです。
「このタイルが見つかったおかげで、修理に早く取りかかることができました」
2月中旬に水道が復旧すると、まずはお客様を迎える足元からと、玄関ステップや店内の床の修繕を開始。そして震災から約2ヶ月半後の3月15日、茜屋珈琲茶房は、再びお店のあかりを灯すことができたのです。

一杯の珈琲がくれた「日常」。マルシェで取り戻した前を向く力

地震発生時、関川さんは外出先の車中でした。経験したことのない大きな揺れの後、急いで自宅へ戻ると息子さんから「津波が来る!」といわれ、防災バック、ご近所の方の分もとたくさんの使い捨てカイロを持ち急いで避難場所である高台へ向かいました。その後、約1ヶ月間の避難所生活を送られました。
避難所で重要なことはやはり衛生管理です。コロナやインフルエンザなどの感染症が蔓延する恐れもあります。そういったことから、関川さんのいる避難所では、石川県のコロナ対策認定店だった経験を活かし、関川さんが中心となって徹底した感染症対策を実施。誰一人として感染者を出すことなく、皆で困難な時期を乗り越えられたそうです。
お店の再開が見えない中、大きな転機となったのが、2月に開催された「一本杉マルシェ」でした。
「一本杉振興会の会長が『マルシェをやろう』と声を上げたので、『私もやろう!』とすぐ思えました。家の片付けだけでは、気が滅入ってしまいますから」
マルシェに参加したのは、一本杉通りの数軒のお店と南三陸からも支援者の方のお店でした。そして、たくさんのお客様が訪れました。
「外でお客様とお話ができたこと、安否確認ができたことが、本当に嬉しかった。このマルシェのおかげで元気をもらえて、気持ちが前を向くことができました」
そして、もう一つ、関川さんの心を支えたものがあります。それは、たった一杯の珈琲でした。
地震後、お水ばかりを飲んでいた日々。富山から支援に来てくれた同業者の方が淹れてくれた珈琲を口にした時、「あまりの美味しさに感動したんです」と振り返ります。
「日頃当たり前に飲んでいた珈琲が、こんなにも心に染みるなんて。その時、人はやっぱり『日常』を求めているんだなぁと、強く感じました。非日常の酷い状況が続くと、人はダメになってしまう。でも、たった一杯の珈琲を飲むことで日常を感じられれば、心が少し楽になるんです」
その気づきが、「お店を早く再開したい」という原動力にも繋がっていきました。
「人や物を大切に」。珈琲が結ぶ、一期一会と深いご縁
来年(2026年)の7月7日で、開業20周年を迎える茜屋珈琲茶房。関川さんがお店を続ける上で、一番大切にされていることは、「人や物を大切にすること」だと言います。
「観光で来られた方とも、地元の方とも、その繋がりを大切にしたいんです」
京都から来られたご夫婦とは、15年のお付き合い。きっかけは、関川さんが記念撮影をして差し上げたことでした。「魔よけに」とヒイラギのドライフラワーを送ってくださり、今年1月にもお店を訪ねてくれたそうです。
また、お店はお客様同士が自然と仲良くなる、不思議な「ご縁結び」の場所でもあります。
地震前に来店された台湾からのお客様と東京からのお客様がここで意気投合し、お友達になったそうです。関川さんも台湾のお客様と連絡先の交換をされました。そして、今年の台湾大地震の際、関川さんは心配して連絡をとり、安否の確認をしたこともあったそうです。最近、その台湾のお客様が日本に来日されたとき「七尾市に行くことはできないけど、お土産を送りますね」と連絡をくださり宿泊先のホテルからお土産が届いたそうです。
再開初日に来てくださったのも、ご近所の方でした。「うちは本当に、周りの方々に助けられてここまで来られた。ご近所さんは、とても大切な存在です」
一期一会を、その場限りで終わらせない。関川さんの温かいお人柄が、人を惹きつけ、深い絆を育んでいるのですね。
こだわりの一杯を、能登で。「幻の珈琲」に込めた想い
茜屋珈琲茶房のこだわりは、「自然の物、体に良いものを使うこと」。
その想いが詰まったおすすめの珈琲が、「トアルコトラジャコーヒー」です。
かつて「幻のコーヒー」と呼ばれたこの豆を、キーコーヒーがインドネシア3000m高地の農園で復活させました。徹底した品質管理と手摘みでの収穫、そして環境に配慮したサスティナブルな栽培方法で、その美味しさは守られています。
この厳選された豆を、関川さんが一杯一杯、ハンドドリップで丁寧に淹れてくれます。その芳醇な香りと深い味わいは、慌ただしい日常を忘れさせ、心にそっと寄り添ってくれるようです。

復興へのメッセージ「能登の経験を、忘れない」
「震災後、来店されたお客様に『もう能登に来てもいいのかな?邪魔じゃない?』と尋ねられることがあります」と関川さん。そんな時、関川さんは「こんなお店もありますよ」と、笑顔で能登の今を伝えているそうです。
最後に、全国の皆様へのメッセージをいただきました。
「東日本大震災で被災された方から『あなたたちは良いよ、私たちは、津波で何にもなくなってしまった』と言われた言葉が忘れられません。能登は今まで災害が少なく、『能登はいいところ』と育ってきたから、備えが皆無でした。この経験を絶対に忘れず、教訓にしなければなりません。どこで何が起こるか分からない。皆さんも、どうか対策だけはしっかりとしておいてください」
一本杉通りも、若い人たちが頑張り、少しずつですが確実に元気を取り戻しています。
もし能登を訪れることがあれば、ぜひ茜屋珈琲茶房の扉を開けてみてください。そこには、変わらない日常の温もりと、関川さんの優しい笑顔、そして心を満たす最高の一杯が、あなたを待っています。

企業詳細
茜屋珈琲茶房
店主 関川 由美子
住所:石川県七尾市一本杉通り31-12
電話: 0767-53-8807
営業時間:9:00~17:00
定休日:水曜日


















