仲代達矢さんの魂が息づく能登演劇堂が紡ぐこれからの物語|七尾市

石川県七尾市中島町。能登の緑に包まれたこの地に、能登演劇堂は静かに建っています。日本で唯一、舞台奥の大扉が開いて自然と一体になるこの劇場は、俳優・仲代達矢さんと無名塾が40年にわたって愛し続けた「聖地」です。

2024年11日の能登半島地震は、この大切な場所にも深い傷跡を残しました。震災からこれまでの歩み、仲代さんとの忘れられない思い出、そして演劇堂が描く未来について、七尾市長・茶谷義隆さんにお話を聞きました。

「直らないとは思わなかった。でも、いつになるのか

 震災後、茶谷市長が演劇堂の被害状況を確かめるために現場を歩いたとき、外観から受ける印象よりもずっと深刻な事態がそこにありました。

 「外から見た感じはそんなでもないんですけど、舞台装置や天井など直さないといけないところが結構あって。被害の大きさは、決して簡単に直るような感じではなかったです」

 特に専門業者にしか直せない舞台上部の吊り物と呼ばれる設備や、高さのある客席の天井など、修繕方法を考えるだけでも難しかったとか。また天井までやぐらを組むなどの大掛かりな作業が必要だったりして、時間もかかったそうです。

 それでも、休館中に「直らない」とは誰も思わなかった、と茶谷市長は言います。「いつになるのかな、というところは少しあったかもしれませんけどね」。その静かな言葉の中に、地域の人々が演劇堂に寄せてきた想いが滲みます。

 復興祈念公演「まつとおね」──それが、新たなスタートになった

 改修工事が進む中、復帰への大きな目標となったのが、震災前から決まっていた公演『まつとおね』の開幕でした。吉岡里帆さん、蓮佛美沙子さんら出演者たちのスケジュールはすでに決まっており、それに間に合わせることが至上命題となったのです。

出演者のお二人には当初、「こんな時期に演劇をやっていいんだろうか」という葛藤もあったようです。しかし最終的には気持ちを切り替え、「少しでも元気を届けたい」という強い思いで舞台に臨んでくれたことが、プロモーションドキュメンタリー映像でも紹介されていました。 そして迎えた本番。訪れた観客の実に約6割が「能登演劇堂に初めて来た」という方々でした。震災をきっかけにこの劇場の存在を知り、足を運んでくれた人もたくさんいたのです。茶谷市長は「結果的に演劇堂の復興公演のような形になって、本当によかった」と、穏やかな笑顔で振り返ります。

仲代さんが残してくれたもの

 2025年は無名塾と中島町の交流40周年、演劇堂開館30周年という節目の年。その年に上演されたのが、仲代達矢さん演じる「肝っ玉おっ母と子供たち」でした。92歳という年齢で、多くのセリフをこなし、踊りながら舞台を駆け回る。その姿は、会場全体を包み込む力がありました。

 茶谷市長は仲代さんのお芝居について、こんな印象を語ってくださいました。「舞台の上でほとんど囁くように喋るんです。それでもセリフがちゃんと耳に伝わってくる。しかも92歳で全20公演のロングラン。本当にすごいなと思いました」

 その公演が、仲代さんの生涯最後の舞台となりました。202511月、仲代さんは92歳でこの世を去ります。次の演目も決めていたといいますから、その突然の別れは、演劇堂に関わるすべての人の心に深い喪失感を残しました。

 「すごく腰が低くて、それでいて重みのある方でした。まだまだやれるというお気持ちはあったんだろうなと思います」と、茶谷市長は静かに言葉を継ぎます。

能登演劇堂で開かれた、温かな「しのぶ会」

2026年39日、能登演劇堂で仲代達矢さんのしのぶ会が開かれました。全国各地から集まったのは、仲代さんに想いを寄せる約300人の方々。演劇関係者の間では、中島はもはや「仲代さんの聖地」として深く認識されています。

 「にこやかに笑いながら思い出を語り、ふと涙する。そんな温かい会でした。湿っぽくするのではなく、割と明るい音楽を流して。本当にやってよかったなと思います」

 仲代さんは生前、「自分が亡くなればそれで終わり。華やかな葬儀はしない」という考えを持っておられたそうです。その意思を尊重しながらも、長年の功績と感謝をどうにか形にしたいという周囲の願いが、この温かな場を生み出しました。 茶谷市長は、密葬で行われた葬儀のエピソードも明かしてくれました。

「本当に親族とごく一部の方だけの葬儀で、無名塾の方々は裏方に徹していらっしゃいました。最初は参列者が少ない静かなお別れなのかと思っていましたが、いざ焼香が始まると、若村麻由美さんをはじめ100人以上の塾生の方々が、スーッと後ろから一列に並んで現れて。表に立つ派手なことはせず、影で静かに師を支える。それこそが無名塾の教えなのだなと、深い敬意を覚えました」

「日本のブロードウェイ」へ演劇堂が描く未来

 仲代さんという大きな柱を失った今、能登演劇堂はどこへ向かうのでしょうか。茶谷市長は「無名塾の塾生の方々や、これまで関わってこられた方々の思いをしっかり聞いていきたい」と言います。

 理想として描くのは、かつての無名塾のように、中島町で稽古をし、ここをスタートに全国へ旅立つ俳優たちの姿。無名塾を巣立ち、今も舞台で活躍している方々が、再び集うような場にできればという思いもあるそうです。実際に、若村麻由美さん出演の『頭痛肩こり樋口一葉』や、玄武というユニットのコミカルな劇なども動き始めています。

 そして、10年後の夢を聞くと、茶谷市長は少し弾んだ声でこう語りました。「中島町がブロードウェイのような感じになると嬉しいですね。場合によっては海外から外国の方が来て演じるようなこともあるかもしれない。仲代さんもシェイクスピアなど海外の劇をやっておられましたから」

 「あの舞台で演じたい」と思う俳優は、きっとまだたくさんいるはずです。仲代さんはもともと、海外にあった劇場のように、海のすぐそばに劇場を作りたいという想いをお持ちだったといいます。しかし七尾湾は波穏やかで、思い描いていた荒々しい海のイメージとは少し違った。それで探し歩いた末に「ここにする」と自ら決めたのが、この中島の地でした。海ではなく、緑に囲まれた、仲代さんが選んだその土地で、舞台奥の大扉はこれからも開き続けます。

心の復興に、演劇の灯りを

 中島の人たちは、長い年月をかけて無名塾の俳優たちと人のつながりを育ててきました。稽古の季節に賑わう集落、地域の人たちと俳優たちが肩を並べて歩いた道。震災後には、無名塾の方々が泥やがれきと向き合いながら、ボランティアとして復旧の現場に立ってくれました。その絆こそが、演劇堂の本当の財産です。

 「仲代さんの魂や思いは、そのまま残っていると思うんです。それを消さないように、関わる方々みんながそういう思いを持っていたいですよね」

最後に、能登、七尾の復興について今のお気持ちを伺いました。

 「復興にはある程度時間はかかりますが、ずっと下を向いているわけにはいかない。よく言われますが、心の復興も重要です。前に向かっていくためには、何かモチベーションが必要です。演劇もそうですが、音楽もスポーツも、前を向いていく力になる。多くの市民が参加して一緒になって楽しんだり盛り上げたりできるようなことをやっていきたいと思っています」

 仲代達矢さんが「ここにする」と決めた緑に包まれた劇場で、新しい物語はこれからも生まれ続けていきます。ぜひ観劇に、そして観光に、能登、七尾へいらしてください。きっと何か、あなただけの「いいもの」が見つかることでしょう。

能登演劇堂と仲代達矢氏について、詳しくはこちらから。

能登演劇堂 施設詳細

住所 石川県七尾市中島町中島上部9   

■お問合せ:公益財団法人演劇のまち振興事業団 
   TEL 0767-66-2323
   FAX 0767-66-2326
   営業時間:9:00~17:00 休館日:月曜日、祝日

 


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