
「お米を通じて、この地域をどうしていくかですね」
そう静かに、けれどまっすぐな眼差しで語るのは、宝達志水町に本社を置く中橋商事株式会社の代表取締役副社長、中橋枝里子さんです。中橋商事は米穀の卸売や精米などを手がけ、長年にわたって能登や石川県の食を支えてきました。現在の社長はご主人で、枝里子さんは先代の次女として家業に入り、婿を迎えて継ぐという道を歩んできました。枝里子さんは、自分にできることを一つひとつ積み重ね、共に生きるという言葉を、静かに体現する経営者になっていきました。
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先代の強いリーダーシップから、一人ひとりが力を発揮する会社へ
「うちは『共に生きる』っていう社是なんです」
そう教えてくれた枝里子さんの言葉には、迷いがありませんでした。社員、農家、取引先、お客様、そして地域。会社は一人の力で成り立つものではなく、多くの人との関わり合いの中で、ようやく形になっていく——枝里子さんはそう考えています。

枝里子さんが会社に入った当時は、先代の強いリーダーシップのもと、トップの判断ひとつで物事が動く組織でした。その空気の中で枝里子さんは、社員一人ひとりが自分の力を発揮できる会社に変えていかなければならない、と静かに決意します。それぞれが持つ能力や個性を生かし、適材適所で力を合わせていく。外国人の方、高齢者の方、障害のある方、女性など、さまざまな背景を持つ人が、一人ひとりの違いを活かして働ける会社にしたい。枝里子さんは、そう考えるようになりました。
現在は、ご主人が代表取締役社長、枝里子さんが代表取締役副社長として、二人三脚で会社を経営しています。トップひとりの力で動かすのではなく、社員が自ら考え、動き、成長していく会社を、少しずつ、確かな足取りで目指してきました。
震災後、「供給を止めていいのか」と悩んだ
令和6年1月1日。能登半島地震が発生した時、枝里子さん夫妻は県外にいました。テレビの画面越しに映る地割れの映像を見て、何が起こっているのか分からない恐怖を感じたと言います。翌日には石川県へと急ぎ、ようやく降り立った小松空港付近のお店で目にしたのは、水も米もすべて消えた売り場でした。
会社に戻ると、社員たちはすでに倉庫などの被害状況を確認してくれていました。幸い、機械は動く。けれど、社員の安全を考えれば、しばらく営業を休むという判断もあり得ます。
一方で、売り場からは米という米が消えていました。水と米は、災害の時にまず求められるもの。それを枝里子さんは、自分の目で見てきたばかりでした。
「石川県の人たちに、今売る米がそこにあるのに、それを止めてしまってもいいのか」
社員の安全を守らなければならない。けれど、食の供給も止められない。二つの思いの間で揺れながら、枝里子さんは悩みました。
そして1月4日、中橋商事は営業の再開を決めました。社員を必ず2人1組にし、危険な場所には無理に向かわない。遠方への配送は控えながら、それでも必要としている場所へは、時間をかけてでも米を届ける。できることを、一つずつ、確かめるように進めていきました。
お米があるということは、単に食料があるというだけではありません。何もなかった売り場に米が並ぶ光景は、被災した人たちの心に、確かな安心をもたらすものでした。
食を扱う会社として、自分たちにしかできない役割を果たす。その一心が、震災直後の中橋商事を突き動かしていました。
500トンの被災米を「復興米」に
中橋商事自身も、決して小さくない被害を受けていました。複数ある倉庫のうち2つが被災し、そのうちの一つには約500トンもの米が保管されていたのです。
建物は大きく損傷し、倉庫の中ではコシヒカリなど、本来なら品種ごとに分けて販売されるはずの米が、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまいました。一度混ざってしまえば、そのままの品種として販売することはできません。
途方に暮れてもおかしくない状況の中、枝里子さんの頭に浮かんだのが復興米というアイデアでした。
「ピンチをチャンスに変えるしかない」
廃棄するのではなく、丁寧に精米し、選別し、胸を張って届けられる状態に整える。そして復興米として、全国へ送り出す。
1月7日に思いついたそのアイデアは、わずか数日後にはふるさと納税などを通じて、実際に販売にこぎつけました。やがてNHKなどのメディアにも取り上げられ、全国から数え切れないほどの問い合わせが寄せられるようになります。
被災した米は、こうして全国から寄せられた応援の気持ちとともに、新しい形で命をつなぐことになったのです。
支援を受けた側から、能登を支える側へ
震災後、中橋商事のもとには全国から米などの支援物資が届けられました。協力会社から10トントラックいっぱいの米が届いたこともあったといいます。
「使ってください」
その言葉とともに届けられた米を、今度は自分たちの手で被災地へと届ける。社員たちは、自分たち自身も十分な生活環境にはない中、支援物資の仕分けや配送に走り回りました。
「みんながくれたんだから、持っていかんなんし、やらんなん」
支援を受けたからこそ、今度は自分たちが届ける側になる。そのごく自然な感覚に導かれるように、中橋商事は米を通して、全国からの支援を能登の各地へとつなぐ役割も担っていきました。
能登の農業を、これからどう守るか
被災地の現状を自分の目で見つめるうちに、枝里子さんは能登の農業が抱える課題の重さを、あらためて痛感することになります。
高齢化や後継者不足に加え、地震による被害、さらには追い打ちをかけるような豪雨被害も重なりました。ようやく刈り取りを迎えられるはずだった田んぼが水に浸かり、農業を続ける気力そのものを失ってしまった人もいます。
「もう心が折れてしまった人がいっぱいおる」
米を扱う会社として、農家の方々と長く関わってきたからこそ、その言葉には、他人事とは思えない強い危機感がにじんでいました。
これからは、米を売るだけでなく、時には米をつくる側にも関わっていく必要があるのではないか。使われなくなった農地をどう生かすべきか、能登の農業を、この先どう残していくのか。中橋商事にとって、それは決して他人事ではありません。
「能登のお米は、おいしい」と枝里子さんは、少し誇らしげに言います。能登は世界農業遺産にも認定されており、新潟と同じくらい米づくりに恵まれた環境がある。だからこそ、その魅力をもっと全国に伝えていきたい。ふるさと納税などを通じて、全国の人に能登の米を選んでもらうことは、農家や会社だけでなく、地域全体を支えることにもつながっていく——枝里子さんは、そう信じています。

お米を通じて、この地域をどうしていくか
現在、宝達志水町のふるさと納税額は石川県内でトップクラス。その約9割を中橋商事のお米が占めています。
「ふるさと納税で町にお金が入り、そのおかげで町の子どもたちの給食費が無料になりました。従業員さんのお子さんの給食費が無料になれば、仕事へのモチベーションにも繋がりますしね。地域に根ざした好循環が生まれています」と枝里子さんは嬉しそうに語ります。
米を売ることが、農家を支え、会社を支え、地域を支える。そんな循環を生み出せるのも、お米という、暮らしに欠かせないものを扱っているからこそかもしれません。
「ここに根付いていることは絶対です」
枝里子さんがこれからの夢として語るのは、宝達志水町、羽咋地域に根を張り続けること。そして、お米というインフラを、これからも守り続けることです。
事業の幅を広げる可能性も見据えながら、無謀な拡大を目指すのではなく、着実に、一歩ずつ進んでいく。
「10やって1生きればOKという考え方もありますけど、私は着実に、正攻法で行きたい」
その言葉の奥には、会社を大きくすることだけを目的にしない、地域にしっかりと根を張った経営への静かな思いが息づいています。
震災を機に、枝里子さんは『中橋商事の教科書』を作成しました。そこには、人として成長するために大切な考え方や行動の仕方が記されています。毎朝、従業員全員で読み合わせ、同じ言葉を共有することで、組織の絆はより強く、温かいものへと変わっていきました。


社員を育てることから始まり、会社を育て、震災という大きなピンチをアイデアで乗り越え、今は能登の農業と地域の未来を見つめている。
「お米を通じて、この地域をどうしていくか」
枝里子さんが繰り返すこの問いは、中橋商事のこれからだけでなく、能登のこれからを考えるための問いでもあるのでしょう。
共に生きるという言葉を掲げ、社員とともに歩み、農家とともに米をつくり、地域とともに未来を考える。
中橋商事の歩みは、能登のお米を守ることが、能登の暮らしそのものを守ることにつながっているのだと教えてくれています。
中橋商事株式会社 企業詳細
住所:石川県羽咋郡宝達志水町柳瀬ヨ9番地1
電話;0120-000-415
FAX:0767-29-8888


















