「意味のないこと」に意味がある―松尾社長、故郷・能登から世界へ

七尾駅からほど近い能登食祭市場。震災の傷跡がまだ色濃く残るこの場所で、力強く事業を営んでいる方がいます。マンデダーラグローバル株式会社の松尾社長です。

東京で事業を軌道に乗せたのち、あえて本社を地元・七尾に移した松尾さん。発災という試練を経てもなお、七尾から、そして能登から世界へと視線を広げ続けるその姿には、この土地の未来を照らす確かな光が見えました。こんな方が地元にいてくれるなら、七尾の未来はきっと大丈夫。取材を通じて、そう思わせてくれる時間でした。

東京での成功を経て、あえて選んだ「地元」という原点

松尾さんが手がけているのは、本場韓国の味を再現したフライドチキンブランドチョアチキンです。2019年に東京・大田区でカレー店を開いたのをきっかけに飲食業へ本格参入し、2020年末からはテイクアウトやデリバリーの需要を追い風にチョアチキンの展開をスタート。わずか数年のうちに全国90店舗以上を数えるフランチャイズブランドへと育て上げました。

※写真は2023年4月のオープン時の様子です。

松尾さんが東京から七尾に本社を戻したのは、もともと「能登の企業として全国に展開する店を作りたい」という若い頃からの思いがあったからだといいます。逆輸入のような形で地元に戻り、自らが暮らすことで、少しでも地域の経済を回していきたいという願いもあったそうです。

戻ってみて感じたのは、東京との良い意味での真逆さでした。効率や合理性で動くことの多い東京に対し、七尾では、一見無駄に見えるような時間の中にこそ本当の価値があります。ただ一緒にお酒を飲むだけの時間が、後々「あいつになら頼める」という信頼につながっていくといいます。そうした人との繋がりの豊かさに、戻ってきてから改めて気づかされたそうです。

今では東京での仕事も増え、事業の比重は東京2、地元1ほどの割合になっているといいます。それでも本社も住民票も七尾に置き続けているのが松尾さんのこだわりです。東京で稼げば稼ぐほど、七尾にとってありがたい話になる。当初思い描いていた形とは少し違っても、目指していた目的は着実に果たされているようです。

発災、そして半年に及んだ断水と復旧への道のり

発災時、松尾さんは自宅で外出の支度をしていた最中でした。揺れた瞬間に外へ飛び出し、以前経験した東日本大震災の揺れ方を思い出し、とっさに避難場所へ車を走らせました。自宅そのものの被害は大きくなかったものの、道中には倒壊した家屋も見受けられ、事態の深刻さを実感したそうです。

一方、経営する能登食祭市場の店舗は大きな被害を受けました。地中のガス管が破損し、ガス漏れも発生。表に出ていない配管だったため、全体を点検しなければガスを開栓できず、復旧には半年もの時間がかかったといいます。ゴールデンウィークにはキッチンカーで調理・販売する形で営業を再開したものの、店舗内での調理を伴う本格的な営業ができたのは、震災から半年以上が経った2024年のお盆でした。

断水も長く続きました。友人が暮らす石崎地区で偶然出会ったお年寄りに水を届けたことがきっかけで、いつしか近隣の10人ほどに毎日水を運ぶことになったといいます。井戸水を提供してくれる方々の協力を得ながら、20リットルのタンクを4本、5階まで階段で運ぶ生活を、断水が解消される4月頃まで続けたとのことです。「あの時だけ太ももに筋肉がついた」と笑いながら振り返る一方で、こうした負担を高齢の方々が一人で担うことの難しさも痛感したと語られます。

高齢化と後継者不足への危機感、そして福島から学んだこと

松尾さんが当時から強く感じていたのは、再建にかかる負担の重さでした。高齢の事業者が体力的に再建に耐えられるのか、借入をしても返済を担う後継者がいるのか。「直すのはいいけど、タダで直せるわけではない」という言葉には、実際に事業を営む立場だからこその実感がこもっていました。

松尾さんの念頭にあったのは、母方の実家がある福島第一原発近郊の状況です。今も戻れないいとこたちがいる一方で、東京電力と国による手厚い補償によって、県外に自由に家を建て直すことができているといいます。能登にはそうした仕組みがなく、なりわい再建のための支援も、いずれは返済が必要なものが中心です。時間が経っても本当の意味での復興は簡単ではないという現実を、松尾さんは冷静に見つめています。

キッチンカーと、被災地同士の助け合いが生んだ絆

営業再開の目処が立たない中、松尾さんが早い段階で動かしたのがキッチンカーでした。以前から1台所有していたキッチンカーに加え、震災直後にもう1台を用意し、店舗の営業ができない間の収入を支えたといいます。

その活動を後押ししたのが、富山県・新湊の方々でした。新湊の道の駅の社長や港キッチンの関係者が、出店料なしでキッチンカーを迎え入れ、集客の後押しまでしてくれたそうです。液状化などの被害を受けた新湊もまた被災地であり、被災者同士、助け合うという関係が自然と生まれたのかもしれません。能登食祭市場のお土産の販売スペースが確保できずにいた際には、道の駅新湊に特産品コーナーを設けてもらい、商品を買い取って販売してもらうという支援にもつながりました。

※写真はマンデダーラグローバル株式会社様よりご提供頂きました。

「能登グローバル」に込めた、世界を見据えた覚悟

震災後、松尾さんは会社名を改め、グローバルの文字を加えました。能登を良くするためには、日本国内だけでなく世界を視野に入れた挑戦が必要だという強い思いからだといいます。目指すのは、能登に本当の外貨を呼び込む仕組みづくり。震災によって図らずも能登の名が全国や海外に知られることとなった現状を、松尾さんは「これを機に能登の魅力を正しく発信して、復興の足がかりにしたい」と前を向いています。

実際、震災後は東京を拠点に全国各地とつながる機会が急増し、コロナ禍が明けたタイミングも重なって、北海道から沖縄まで多くの地域の事業者と関わる機会が生まれたといいます。能登の名が知られたことで、さまざまな事業提案が舞い込むようになったそうです。

その一つが、無添加のまま7年間保存できる加工技術との出会いでした。生の魚介類はそのままでは扱えないものの、一度調理して真空パックにし、特殊な機械にかけることで、常温で長期保存が可能になるといいます。売り物にならない小さな魚や、日持ちのしない美味しい食材も、調理を施せば長く保存できる商品に生まれ変わります。漁師さんの会社と機械メーカー、そして自社が持つ加工場やEC(ネット販売)の仕組みを組み合わせれば、能登発の災害食を生み出せるのではないでしょうか。松尾さんはそんな構想を、まさに今、具体化させようとしています。

NOTOというブランドそのものを世界に発信していきたいという構想には、AI翻訳の進化への期待も重なっています。数年前まで機械翻訳には違和感がありましたが、今では十分に通用する水準になってきました。

能登には、それぞれの持ち場で頑張っている方がすでにたくさんいる、と松尾さんは感じています。ただ、一つひとつの取り組みが個別に発信されているだけでは、どうしても力が分散してしまいます。だからこそ、世界に向けて動くときはタイミングをそろえ、みんなで同じ方向を見て力を合わせることができれば、能登はもっと大きな存在になれるはずです。松尾さんはそんな思いを描いています。

これからの七尾、そして能登へ

能登食祭市場の客足は、震災前と比べてまだ2〜3割程度にとどまっているといいます。それでも松尾さんは、失敗を恐れて前例を踏襲するばかりのやり方を変え、長期的な視点でイベントを企画していきたいと前を向いています。

地元の皆さんには「前向きに同じ方向を向いて、一緒に頑張りましょう」と。そして全国の皆さんには「一度、能登に足を運んでほしい」と、松尾さんは呼びかけます。「七尾インターを上がっていくところから見える景色が、僕は一番好きなんです。将来はあそこに家を建てたいくらい」。そう語る松尾さんの言葉には、この土地への尽きない愛着がにじんでいました。

東京での成功を手にしながらも、あえて地元に軸足を置き、そこから世界を見据える。松尾さんのような方が七尾にいる限り、この土地の未来にはまだまだ希望があると、取材を通じて強く感じました。

チョアチキン能登食祭市場店 店舗詳細

チョアチキン能登食祭市場店

住所:石川県七尾市府中町員外13-1 能登食祭市場1階

電話: TEL 0767-58-6445

営業時間:11:00~19:00

定休日:能登食祭市場の休館日に準じます(通常火曜日が定休日)


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