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観音崎の「観音堂」は鹿渡島の6軒で守り続けられている由緒あるお堂【七尾市】

のとルネアンバサダー、観光担当のっちです!

七尾市の先端ともいえる鵜浦町崎山地区鹿渡島に、不思議な言い伝えのあるお堂がありますよ。

※2022年3月15日、観音堂での涅槃会の様子を追加いたしました!是非最後までご覧下さいませ♪

七尾最東北端にある観音崎

七尾市鵜浦町から望むことのできる景色は、能登に住む私たちにとっては宝の景色です。

鵜浦海水浴場

能登観音埼灯台

観音島とも呼ばれる観音崎

この観音埼灯台の麓は、一見海に浮かぶ島のような、観音崎があります。

周囲約650mほどの小さな観音崎です。

島のように見えますが、ちゃんと道があります。

昔はこのようにコンクリート舗装がされていたわけではなく、石づたいでこの観音崎に渡っていたそうです。

この美しい波打ち際!

雑音がなく、ただただ波の音が聞こえる静かな場所です。

観音崎に渡り、すぐに小径があります。小径の先にはお堂があります。

この観音崎には古いお堂があり、その名も「観音堂」です。

能登国三十三観音 第4番

観音堂は、能登国三十三ヶ所観音霊場の第4番とされています。

集落で守られ続けてきた観音堂

観音堂には人影がありませんでした。

ただ、中に灯りがついていました。

観音堂のある観音崎の対岸に、集落が見えます。

観音崎のある地区は「端(はな)」と呼ばれています。

観音堂は、この端に住む6軒の家で守り続けられているというのです。

以前は7軒あったのですが、現在は6軒だということです。

観音堂をお守りする鹿崎さん

この端に住み、代々と長年観音堂を守っている家の一軒である鹿崎さん。

今回、特別に観音堂を開いていただきました。

「多くの文献も残っていないこの観音堂を、後世に伝えることができるのならば」ということでお話を聞かせていただきました。

貴重なことであり、本当にありがたいことだと思います!

観音堂をお守りする役目のある家は、毎日交代で観音堂の鐘を突きます。

毎朝、毎夕鐘を突き、

毎朝お佛飯を持参してお参りをし、観音堂のお掃除、まわりの手入れをされているとのこと。

古くから、地域で守られ続けている観音堂。

とても大切に守られているのですね!

長年続けられているお役目を、自然の流れのように話してくださる鹿崎さんは、とても柔らかい話し方で、穏やかな表情です。

聞いているこちらまで穏やかな気持ちになりました。

そしてこういったお話は他にきいたことがなく、とても感銘をうけました。

古い由来のある鹿渡島 観音堂

観音堂の仏像は、向かって右から
阿弥陀仏
観音菩薩
勢至菩薩
と並んでいらっしゃいます。

観音堂の由来は二つの言い伝えがあるそうです。

ひとつは、

推古天皇(594年頃)の頃、9月の暴風雨の夜に老人がこの島に辿り着き、魚類を守るためにここに来たのだといい、姿を隠したそうです。村人が渡ってみると、阿弥陀仏が岩上に立っていた。

そしてその約1世紀後、頭上に輝く玉を掲げた一角五色の霊鹿が島へ渡っていった。その輝く玉が観音になり、当時の天皇・文武天皇からお堂の名前を授かったと。

このあたりをさす「鹿渡島(かどしま)」という地名の由来はこの言い伝えからきているそうです。

ちなみに、現在もこの鹿渡島では、鹿(普通の鹿です!)の姿が目撃されるそうです。

ふたつめは、

修験道 の 開祖といわる役小角が修行中に火柱がたち、その端が虹となり島に達しているのが見えたと。島にやってくると八手観音があり、堂を建てて観音像を祀ったという。

この言い伝えは書面にのこされており、観音堂の中に掲げられています。

こちらに掲げられている書面は古い時代の物ではないものの、貴重な資料として残されています。

「鹿渡島観音」の額は、1715年、加賀藩家老の本多正敏(まさみち)による揮毫です。

年に二回だけ開かれる観音堂

今回は特別に開いていただいた観音堂ですが、

通常、観音堂が開かれるのは、元旦と、3月15日の涅槃会の二回のみです。

元旦0時の観音堂

元旦は、0時に端の集落6軒全員が集まり、お参りをします。

もちろん他の地域の方のお参りも可能です。

そして、観音堂を含め鵜浦町で大切にされている3つの地、福勝寺(ふくしょうじ)、御門主比古(みかどぬしひこ)神社を順に巡って詣るのを年行事としているそうです。

せっかくなので福勝寺、御門主比古神社にも訪れてみました。

観音崎に向かう途中にある、海にむかってある美しい佇まいの福勝寺さんです。

こちらは御門主比古神社です。

参道に木が茂っており、深い森のようにも見えます。参道の奥に神社があります。

参道から鳥居の方を振り返ると、鵜浦の海が見えます。

綺麗に見渡すことができました。

3月15日涅槃会の観音堂

釈迦の入滅の法要とされている涅槃会(ねはんえ)。

観音堂では毎年3月15日、平日休日に関係なく行われています。

この日にも、観音堂は開きます。

新型感染症流行前までは毎年カラフルな「涅槃団子」を撒いていたそうです。

鹿渡島で生まれ育ったという70代女性のお話によると。

「子供の頃はそれはもこの涅槃団子が楽しみで、お堂の前で座って待っていたものだ」と。

たくさんの方が集まったそうですよ。

涅槃団子はこの集落で作られ、ふるまっていたそうです。

開かれた観音様をお参りする貴重な日だったそうです。

2022年3月15日 涅槃会のレポート

観音堂を知ってから、楽しみにしていた「涅槃会(ねはんえ)」。2022年3月15日を迎えたので行ってまいりました。

前日まで冷たい雨が降っていたのですが、3月15日当日は曇り時々晴れ。かろうじて雨があたらないといったお天気でした。

風がとても強かったのですが、不思議と観音堂の周りはこの穏やかな海!!不思議です。

観音堂が開かれており、地元の民のたくさんの方々がいらっしゃいます。

御堂に収まりきらず、外でお参りするかたもいらっしゃいました。

鵜浦町にある3つのお寺さんによりお経を唱え、

その後説法をうけます。

その後、地元の方々で作られた涅槃団子をいただきます。

例年、涅槃団子はまかれていたのですが、新型感染症影響により、袋に入ったものを頂戴いたしました。

涅槃団子は、三方にのせられ、お供えされていたものです。

袋に入れて、大事に保存してお守りにる方が多いそうです。

「おなかにいれてしまってもいいんですよ」と地元の方にお聞きしましたよ。

食べても良いそうです。

綺麗な涅槃団子!

私は、せっかくですので有り難く食べさせていただきました。

小さくてすぐに焼き上がり、もっちりとしたお団子です♪

良い時間を過ごせ、経験を積ませていただきました。

ありがとうございました!

観音堂の不思議な言い伝え

地元に住んでいらっしゃる70代男性の方に観音堂にまつわる不思議な言い伝えを教えていただきました。

ある日、仏像が盗まれたときがあった。

泥棒が夜中に盗んで、舟で逃げた。

夜通し舟を漕ぎ、ずいぶん遠くまで出たと思って夜が明けると、

観音崎のすぐそばにいたと。

一晩中、観音崎の周りをグルグルまわっていただけで、ついに観音崎から出ることが出来ず、盗み出すに至らなかった。

という何とも不思議なお話です。

霊験のある仏像です。

時化ても波をかぶらない観音堂

海に囲まれている観音崎。海辺に建つ家々は、台風など時化ると波をかぶるそうです。

しかし、観音堂はなんと波をかぶったことがないそうです!

こんなに海の際に建っているのに、不思議ですね!

これも観音様のお力なのでしょうか?!

ちなみに、ここ観音崎でお天気次第では綺麗に立山連峰が見えます。

しかし、綺麗に見えれば見えるほど、「海が荒れる日が近い」と地元の方は知っているそうです。

尼さんが住んでいた?!観音堂

地元に住む70代の方のお話では、その方が小さい頃、ここに尼さんが住んでいたと聞いたそうです。

観音堂の横手には井戸がありました。

現在は使用されていませんが、井戸で使用する釣瓶の滑車がのこっていました。

奥をのぞくと、深い底に水が見えました。

こちらのお水は海水ではなく、真水だそうです。

こちらのお水で、尼さんが生活されていたのでしょうか。

海の行燈 観音堂

観音堂では、24時間365日、灯りがついています。

夜、漁師のかたが観音堂の方をみると、「まるで海の行燈だ」とおっしゃったそうです。

暗い海に灯されている、幻想的な灯りなのでしょうね。

観音堂から見える観音埼灯台

そして、この観音堂から、観音埼灯台が見えます。

能登観音埼灯台

観音埼灯台からも、観音堂が見えますよ。

夕暮れの観音崎

夕暮れの観音崎は幻想的です。

こちらの写真は七尾市在住のYさんにいただきました。ご夫婦で訪れ、この景色をご覧になったそうですよ。

穏やかな気持ちになりますね。オススメの癒しスポットです。

 

【観音堂 詳細】

七尾市鵜浦町鹿渡島


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