
2024年1月1日、午後4時10分。 能登半島を、最大震度7の激震が襲いました。
その日、和倉温泉を代表する老舗旅館・加賀屋グループは、元日に特別な一日を過ごそうと訪れたお客様でにぎわっていました。チェックインを待つ方、温泉を楽しむ方、売店でお買い物をされる方、それぞれの楽しい時間が、この瞬間に一変しました。
広報担当の張原さんが、あの日のことを、静かに、丁寧に話してくださいました。

Contents
最初の揺れ、そして本震へ
「最初の揺れは午後4時6分ごろでした。震度5強ほどで、建物への大きな影響はないな、という感じでした」
加賀屋には「防災センター」と呼ばれる拠点があります。火災や非常時に、事務方のスタッフが集まって状況を確認する場所です。最初の揺れを受けてスタッフたちは一度そこに集合し、支配人が館内放送でお客さまに状況をお伝えしました。ひとまず落ち着いたように見えた、そのときでした。
事務所へと戻りかけたスタッフたちを、本震が襲いました。
「立っていられない揺れでした。硬いコンクリートの建物がきしむというか。見た目にも壊れていく感じで、柱や壁からコンクリートが剥がれ落ちてきて。砂埃のようなものが室内に漂って、曇っているような状態になりました」
張原さんは少し間を置いて、続けます。「これはまずいぞ、ということで、次は避難誘導、となりました」
吹き抜けで起きた、小さな奇跡
加賀屋の館内には、加賀友禅を施した大きな吹き抜けがあります。高さのある美しい空間で、チェックインの時間帯には到着されたお客さまが集まる場所でもありました。こちらは震災前の様子です。

「本震直前の揺れの時、あそこにはお客さまがたくさんいらっしゃったんです。でも実は、最初の揺れの直後に、2007年の能登半島地震を経験したスタッフが『次に大きいのが来たら危ない』と判断して、すぐに吹き抜けから奥のロビーに誘導していたんです」
その直後に本震が来ました。吹き抜けの大理石やガラスが、一斉に崩れ落ちました。10メートル四方に破片が飛び散る光景を、張原さんも後から目の当たりにされたといいます。


※こちらの写真は加賀屋様からご提供頂きました。
「もし本震の時にまだあそこにお客さまがいらっしゃったら、大変なことになっていたと思います。2007年の経験を持つスタッフがいたこと、それが本当によかったんです」
後日、防犯カメラの映像を確認すると、誘導するスタッフの背中からわずか1メートルほどのところに、崩れ落ちた石材が迫ってくる瞬間が映っていたそうです。「あともう少しで…」。張原さんはそっと言葉を選びながら、「そこは奇跡的なことでした」と話してくださいました。
400人のお客さまと、大津波警報
本震の直後、加賀屋の館内には約400名のお客さまと約300名のスタッフがいました。当日の予約は533名。まだチェックインされていない方々も、ちょうどバスで向かっている最中でした。
「まずは全員を外の駐車場へ避難誘導しようと、支配人が指示を出しました。でも直後に大津波警報が出て、海に近いそこも危険だということになって」
次の目的地は、近くの高台にある和倉小学校。徒歩で10〜15分の距離です。
1月1日の午後4時すぎ、冬の能登の寒さの中、お風呂上がりで髪が濡れたままのお客さまもいらっしゃいました。車椅子をお使いの方もいらっしゃったそうです。
「担当の客室係がそのまま寄り添って、一緒に小学校まで誘導しました。エレベーターが止まっているので若いスタッフが非常階段を何往復もして…本当に大変だったと思います」
それでもまだ館内に残っているお客さまがいらして、今から外に出ると逆に危険と判断し、一旦4階へ誘導しました。約60名のお客さまが集まり、津波情報を確認しながら1時間ほど待機されました。そのあと暗くなる前に、と判断したスタッフが和倉小学校へとご案内しました。
ちょうどその時間帯に到着した列車のお客さまも、バスの運転手が直接、和倉小学校へ誘導。この時点ですべてのお客さまが、高台へと向かいました。
避難所で始まった、もうひとつの戦い
「支配人が和倉小学校に着いた時には、もう食べるものも少ない、暖も取れない、という状況でした」
そこから始まったのが、加賀屋の後方支援です。館内に残ったスタッフたちが、支配人からの指示を受けて次々と動きました。
布団を運ぶ。売店のお菓子を持っていく。調理場のスタッフに戻ってもらって、おにぎりを作る。
「2000人ほどが避難されていたので、おにぎりは大きく作ると数が減ってしまう。だからできるだけ小ぶりにして数を多く、と。400個を2回ほど作ったと聞いています」
布団も、抱えて持っていくたびに途中で「ください、ください」と声がかかって全体に行き渡らなくなってしまいます。支配人は「心を鬼にして、一人一枚ずつ」と指示を出したそうです。
赤ちゃんがお腹がすいて泣いているという連絡が入ると、近くの保育園から粉ミルクを借りてきました。幸い電気が来ていたので電気ポットでお湯を沸かし、届けました。
お菓子を運び、おにぎりを運び、布団を運ぶ…加賀屋のスタッフは何度も往復し続けました。
夜11時、「どうやって無事に帰ってもらうか」
避難所のお客さまがひと息ついたころ、加賀屋の事務方スタッフが館内に集まりました。夜の11時のことです。お客様にどうやって無事に帰路についていただくか。これがまた大きな問題でした。
「七尾線は止まっている。でも金沢まで行ければ・・・その時、テレビのテロップに、和倉-金沢は運休。金沢から各方面は早くても2日午後以降と情報が流れました。 まずは金沢まで行けるかどうかが勝負だ、という話になりました」
バス会社に問い合わせても、道路状況が読めず運行計画が立てられないと断られてしまいます。ならば、と加賀屋グループ所有の車を総動員することにしました。大型バスからマイクロバス・乗用車まで、11台です。
ただし、ルートがわかりません。夜のうちに、金沢に通じる海側と山側、それぞれのルートに車を走らせて確認しました。海側は途中で通行不能。山側は時間がかかるけれど通れることがわかり、翌朝のルートが決まりました。
同時に、チェックアウトの段取りも決めました。建物の中は危険なため、お客さまお一人に対して加賀屋スタッフ2名が付き添い、ヘルメットをかぶって非常階段で荷物を取りに上がる。その手順をチェックリストにまとめ、グループ全施設で共有しました。
出発の朝、池の水で「最後のトイレ」を
翌2日の朝8時。まず車でお越しのお客さまから、スタッフ2名が付き添って荷物を運ぶお手伝いをしました。8〜9時ごろに車組が出発されると、今度は列車のお客さまが避難所から戻られてチェックアウト。
11時には11台のバスが出発の準備を整えました。
「でも、お客さまが心配されたのがトイレなんです。金沢まで何時間かかるか全く読めませんから」
水が止まっていて、トイレが使えない。そう思い込んでいたとき、あるスタッフが声を上げました。「売店の前に池がある。あの水をバケツで汲めばいいんじゃないか」。
すぐに実行しました。出発前に、バケツを並べて一人ひとりにトイレをお使いいただきました。安心して出発いただけるように、という思いで。
「11時15分ごろ、11台が並んで出発しました。弊社のスタッフもずらっと並んで見送ったんですが…手を振っていいのか悪いのか、わからなくて。みんな頭を下げるだけになりました。そしたら逆に、バスのドアを開けてお客さまの方が『頑張ってね』と手を振ってくださって…。それは本当にありがたかったですね」
金沢駅に到着されたのは午後2時半。3時間以上かかりました。バスが戻ってきたのは夕方6時ごろ。そこで初めて、張原さんたちはほっとされたそうです。
「発災から26時間——ようやく、お客さまを全員無事にお送りできた、と」
1ヶ月前の防災訓練が、命を救った
振り返って、張原さんはこうおっしゃいます。
「支配人が、地震のちょうど1ヶ月前、11月の末に防災訓練を実施していたんです。スタッフもその訓練をしたばかりでした。だからこそ、パニックにならずに動けたというのがあったと思います」
訓練と、2007年の経験者の存在と、数分間の最初の揺れというタイムラグ。その三つが重なって、加賀屋のお客さまとスタッフは誰一人命を落とさずに済みました。
「綺麗事ばかりではなく、玄関ではご家族を探すお客様の大声が飛び交うような場面もありました。家族が館内で思い思いにバラバラに過ごされていた時間帯。お父さんがお風呂から上がってきてもまだ家族が出てこない、って待ってるような状況もあって。でも最終的に、皆さん避難できた。それが本当に良かった」
水のない日々、そして前へ
地震後、和倉では3月末まで水が出ませんでした。温泉も止まりました。井戸水を使っている近くの銭湯でお風呂に入れた時のことを、張原さんは今でも覚えていらっしゃるそうです。
「水の有り難さを、改めて感じました。久しぶりに入れた時のほっとした感覚は今も忘れられません」
建物の安全診断には半年以上かかりました。館が複数あり、規模が大きかったためです。診断結果が出てから、建物の使用判断、修繕の費用などが日々変わる中で、検証と修正を繰り返し行う協議が続いてきました。
現在、護岸工事が国の手で着実に進んでいます。新しい加賀屋は、和倉の中心部・松乃碧があった場所に建設予定です。規模は約40室。加賀屋と松乃碧を集約した形で、お客さまがゆったりと過ごせる宿を目指しています。着工・営業再開の時期については、現在も最終的な協議が進められています。
全国から届いた「頑張ってね」
お客さまを見送ったその後、一台のトラックが横付けになりました。
「リピーターの方が、水や物資を持ってきてくださったんです。遠くから来てくださっていて。それ以降も、全国の方から本当にたくさんのご支援をいただきました」
その温かさが、スタッフの力になりました。
「逆に元気をもらった、という感じです。日頃から想定外のことを想定する準備の大切さも改めて感じましたし、いただいたご恩を、今度はお返ししていけるように、準備していかないといけないなと思っています」
「加賀屋が戻らないと」という声に
加賀屋さんが復活しないと和倉温泉は復活したと言えないという声をよく聞きますが、どう思われますかと伺いました。
「それは本当にありがたいです」張原さんは、そこに「使命感」という言葉を使いながらも、丁寧に言い足してくださいます。
「加賀屋だけが、ということではないんです。旅館業というのは、農家さんからお米を買い、漁師さんからお魚を買い、調理人が料理をして、電気も、浴衣のクリーニングも。さまざまな産業が関わって成り立っています。和倉温泉が止まっていると、地域経済全体に影響が出ます。和倉温泉全体が復活することが、地域のためにもなると思っています」
張原さんはそう、静かに語ってくださいました。
再開の日まで、そして新しい和倉へ
加賀屋グループは2024年に大阪でレストランをオープン。2026年には和倉の地でも「とと楽食堂」を新たに開きました。旅館としての本格再開はまだ先ですが、「和倉温泉の賑わいを少しでも取り戻したい」という思いで、一歩ずつ前を向いています。
「また賑わう和倉温泉を取り戻して、明日への活力を注入できる場所を必ず復活させます。新しくなった和倉温泉を、ぜひ楽しみにしていただければと思います」
張原さんの大変な日々はまだ当分続くのでしょう。それでも、希望と責任感をもって和倉で頑張っていらっしゃるのだと思います。
発災からの26時間を一緒に乗り越えたスタッフの皆さんが、もう一度一緒に「おかえりなさいませ」と迎えてくれる日を、私たちも楽しみに待ちたいと思います。
加賀屋 企業情報
現在和倉温泉の加賀屋グループの宿泊施設は全館休業中です。
2026年4月オープンの飲食店「とと楽食堂」が営業中ですので、和倉温泉へお越しの際は是非ご利用ください。
【とと楽食堂 店舗詳細】
住所 石川県七尾市和倉町ヨ63番地7
TEL 0767ー62ー1444
営業時間 8:00~16:00
ランチ 10:30~14:30(LO. 14:00)
定休日 毎週水曜日、第2,第4木曜日、不定休あり
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