就任直後の震度7から2年。志賀町・稲岡町長が語る復興への歩み❘志賀町

能登半島の西側に広がる志賀町。皆さんはこの町と聞いて、どんな景色を思い浮かべるでしょうか。

まず思い出すのは、あの吸い込まれるような断崖絶壁かもしれません。松本清張さんの名作『ゼロの焦点』の舞台にもなった「能登金剛」や「ヤセの断崖」は、サスペンスドラマのクライマックスでもおなじみの場所。日本海の荒波が打ち寄せるその姿は、志賀町の力強さを象徴しているかのようです。

そして、冬の訪れとともに町を彩るのが、鮮やかなオレンジ色の「ころ柿」です。冷たい風にさらされながら、じっくりと甘みを蓄えていく柿のカーテンは、志賀町の冬の風物詩。この土地で粘り強く、丁寧にくらす人たちのあたたかさが伝わってくるような、ほっこりする風景です。

そんな、厳しくも美しい自然に囲まれたこの町に、新しいリーダーが誕生したのは、2023年12月24日。町中がクリスマスイブのお祝いムードに包まれていた日のことでした。

喜びから1週間で一転

元町議だった稲岡健太郎さんが町長選挙で初当選を果たされたその日は、志賀町の皆さんにとっても、新しい希望というクリスマスプレゼントが届いたような一日だったことでしょう。

「今日から、志賀町をもっと良くしていこう」

翌日、当選証書を手に、職員の皆さんに挨拶をされた稲岡町長。その胸の中は、やる気と責任感でいっぱいだったはずです。

その後、近隣の自治体の長や関係各所に当選の挨拶回りなどをされて、この年の仕事納めを迎えることとなります。

ところが、当選から、わずか1週間後。誰もが「おめでとう」と言い合っていた穏やかな時間が、後に「嵐の前の静けさ」だったと思い知らされることになります。

幸せを切り裂いた、真っ黒な足跡

令和6年1月1日。稲岡町長の朝は、地区の氏神様へのお参りから始まりました。志賀町では元日の早朝、厄年の方やお祝い事があった方が集まって参拝する素敵な風習があるそうです。当選したばかりの稲岡町長も、感謝と決意をもって清々しい空気の中で手を合わせました。

参拝を終えてご自宅に戻ると、里帰りしていた妹さんのご家族も一緒に、賑やかなお正月の食卓を囲みました。お食事のあとは、広い座敷に子供たちが集まって、学校の宿題の「書き初め」大会。墨の香りが漂う中、新しい年の目標を一生懸命に書く子供たちの笑顔。そこには、どこにでもある幸せなお正月の風景がありました。

午後四時すぎ。二階の自室で少しうとうとされていた町長を、突き上げるような激しい揺れが襲いました。

一階へ駆け下りた町長の目に飛び込んできたのは、墨汁が飛び散って、真っ黒に汚れてしまった座敷でした。その中を、慌てて逃げたであろう子供たちの黒い足跡が印象的だったそうです。

ついさっきまでの平和な時間が、一瞬にして墨で染まるように真っ暗になってしまった。その光景は、今思い出しても胸が締め付けられるほど、ショックなものだったでしょう。

一家の長として、まずはご家族の無事を確認した後、町長の心はすぐに「町を守るリーダー」へと切り替わりました。墨で汚れた我が家を後にして、役場に向かって飛び出しました。

記憶が飛ぶほど、必死に走り続けた毎日

普段なら十数分で着く役場までの道は、あちこちに地割れや段差ができ、見る影もない姿になっていました。何度も迂回しながら、通れる道を探して、一時間かけてようやく辿り着いた役場。そこには、すでに多くの職員さんたちが自発的に集まってくれていました。

「みんなも来てくれていた」

その姿に少しだけホッとしたものの、そこからが「町長としての本当の初仕事」の始まりでした。

今回、お話を伺う中で印象的だったのが、町長が当時のことを話すとき、一生懸命に思い出そうとされている姿でした。それは決して忘れてしまったのではなく、振り返る余裕なんて一秒もないほど、ただ目の前の命を守るために必死で、がむしゃらに走り続けてこられたからなのだと感じました。

※写真は避難所での説明会の様子です。稲岡町長よりお借りしました。

正解なんてどこにもない、真っ暗な中を進むような毎日。そんな極限状態の町長を支えたのは、それまでの人生で培ってきた直感だったそうです。

「じっくり考えている時間なんて、どこにもありませんでした。でも、最初に『これだ!』と思ったことは、あとで振り返ると正しいことが多かったんです。自分の直感を信じて動くしかありませんでした」

その直感は、決して思いつきではありません。町を、町民を守るために「今、何をすべきか」を冷静にかつ素早く判断する力。それは、町長がこれまで大切にされてきた「倫理」の学びや、人としてのあり方が、いざという時に大きな力となって現れたものだったのではないでしょうか。

「最後の一人」として、みんなから学ぶ謙虚さ

災害への対応が進む中で、国や県、他の市町とのウェブ会議も頻繁に行われました。多くの首長さんが参加する中で、志賀町の発言順はいつも一番最後だったそうです。※写真は稲岡町長よりお借りしました。

「他の方々のお話を全部聞いてから自分の話ができたので、自分だけでは思いつかなかった要望も伝えることができました。結果的に、これもすごく助かったんですよ」

そう言って、ふっと優しい笑顔を見せてくださった町長。自分の意見を押し通すのではなく、周りの言葉をしっかり聞いて、そこから良いものを取り入れていく。そんな謙虚で柔軟なリーダーシップも、混乱の中での大きな支えになったのだと感じました。

恩返しのバトン「次は支える側に!」

震災のあと、全国から寄せられた温かい支援も、町長の大きな力になりました。発災したその日のうちに東北から古い布団や衣類を、トラックで運びこんでくれた方。また、国の災害対口(たいこう)支援の仕組みにより愛知県から駆けつけて、様々なサポートをしてくれた総括支援チームの方々。特に、GADM(災害マネジメント総括支援員)として、数日後から、町長に的確なアドバイスをくれたベテランの支援員さんは、このような大災害に対して経験も知見もほとんどない町長にとって、とても心強い支えだったそうです。

「国の力の大きさ、そして人の心の温かさを、あらためて身に染みて感じました」

そんな中で、町長の心には一つの強い想いが芽生えていきました。それは「いつか、恩返しができる町にする」という願いです。

「いつまでも、助けてもらうばかりの被災地でいてはいけない。次にどこかで何かあったとき、今度は志賀町が真っ先に助けに行ける。そんな、強くて優しい町になりたいんです」

この「誰かのために」という温かで強い気持ち。それが苦しみを希望に変えていく、大切なエネルギー源になっているように思えました。

※写真は愛知県へお礼に伺った際のものをお借りしました。

「人」を育てることで描く、新しい町の景色

震災の影響もあって、町から人が離れてしまうという厳しい現実も、町長はしっかりと受け止めています。これは、能登全体が抱える問題でもあります。

「人口を増やすのは、正直とても難しいことです。でも、減っていくペースを少しでも緩められるように、そして今ここに暮らしている人たちが、少しでも笑顔でいられるように、それが、今できる精一杯だと思っています」

だからこそ、町長は「今ある暮らし」を便利にすることに全力を注いでいます。お年寄りの移動を支える「AIデマンド交通」の導入もその一つ。スマートフォンや電話一本で予約すれば、AIが最適なルートで迎えに来てくれる仕組みです。

「まだまだ改善しなきゃいけないところはあるけれど、お年寄りが『これで自由に出かけられる』と喜んでくれるようにしたいです」

そして、町長が何より大切にされているのが人づくりです。

女性が自分らしく活躍できて、若い職員の意見も届く、風通しの良い役場。それが、町の再生の土台になると信じています。そこにいるが幸せを感じられる便利な田舎の形が、町長の目にははっきりと映っているようでした。

志賀町の「今」に会いに来てください

「のど元過ぎれば忘れてしまいがちですが、防災の意識を持ち続けることが何より大切です」

最後に語ってくださったこの言葉は、私たちへの厳しい、けれど大切なメッセージでした。

災害対策から始まった、稲岡町長の物語。当選の日に思い描いていたものとは大きく違ったスタートだったことでしょう。仮復旧が完了し、本復旧も進みだし、これから本格的に復興への道を歩みだす志賀町はどのようになっていくのでしょうか。

すでに、お店の八割ほどが営業を再開しており、あの美しい断崖絶壁に沈む夕日も、冬の軒先を彩るころ柿の風景も復活しています。宿泊施設も今後増える見込みだそうです。

「ぜひ、今の志賀町に来てみてください。復興への過程も見てください」

稲岡町長の復興物語はまだ始まったばかりです。これから稲岡町長が志賀町の皆さんと共に紡ぐ物語の展開を楽しみにしながら、応援し、見続けていきたいと思いました。


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