命を繋ぎ心に寄り添う「円山医院」が震災で見せた医療の原点|七尾市

 能登半島地震は、建物だけでなく、人びとの暮らしそのものを大きく揺らしました。水が止まり、食事が滞り、不安の中で夜を越えなければならなかったあの日。そんな極限のなかで、目の前の命を守り、地域の暮らしを支え続けた医師がいます。石川県七尾市にある医療法人社団生生会(せいせいかい)円山(えんやま)医院の円山院長です。取材を通して見えてきたのは、災害時の的確な行動力だけではありませんでした。「その人の立場だったら、どうして欲しいか」と考え続ける、強くて優しいまなざしでした。 

極限のなかで、まず確かめたのは「命」だった

地震が起きた直後、円山先生が最初に考えたのは、とても根源的なことでした。
まず最初に、入所者や職員が生きてるかどうかから。その次に、どうやってこのまま生き続けられるか
少し荒いようにも聞こえるこの言葉に、あの日の現場の切実さが伺えます。入所者は無事か、職員は大丈夫か。それを確かめた先に、先生の頭の中ではすぐに「生き続けるために何が必要か」という問いが動き始めていたのです。 

そして発災が夕方だったため、すぐに現実的な問題が押し寄せます。夕飯をどうするか、水をどうするか、トイレをどうするか。当時入所していた方々の人数は決して少なくありませんでした。
とにかく入所者130人の食事と水を回せないといけなかった
医療の話の前にでてきたのは、まず暮らしを守る話でした。食べること、飲むこと、トイレに行くこと。そうした当たり前が崩れたとき、医療は病気だけを見ていては足りないのだと、先生の行動が教えてくれます。 

医療の前に「暮らし」を立て直す

水がない。
そのことの重さを、先生は身をもって実感されたようです。井戸水を運び、知り合いのところから大きなタンクを借りて水をもらい、とにかく必要な場所へ回していく。保存食を使いながら、その日その日の食事をつなぐ。派手さのない作業ですが、人が生きていくために欠かせないことばかりです。 

なかでも印象に残ったのは、トイレの話でした。
先生は少し笑いながら、でも本当に驚いたこととしてこう話されました。
トイレって何気に流してるけど、あれ6リッターいるもんね
水こんなに無駄遣いしとったんやと思って、ほんと
普段は気づかないことが、非常時にははっきり見えてきます。2リットルのペットボトルを何本も使って、ようやく一回分。何気なく流していた水が、どれほど大切なものだったか。何ヶ月にもわたる断水を経験して、先生と同じ様に思った方は少なくないと思います。

地域と職員を支える「家族」の絆

それでも地域の医療を止めなかった

震災直後の混乱の中で、円山医院は早い段階で外来を再開しています。
先生はそのことを、驚くほどさらりと話されました。
4日の日から外来をやりました
でも、その一言の裏に、どれほどたくさんの努力があったかは想像に難くありません。提携の薬局では、薬は棚から落ち、ぐちゃぐちゃになり、必要なものを探し出すだけでも大変だったとのこと。それでも、再開に間に合うように対応してくれたそうです。地域の人たちにとって診てもらえる場所があるという安心は、何より大きかったことでしょう。 

印象的なのは、先生が決して自分ひとりの力のように語らないことです。
どうにかこうにか皆さんやってくれました」と自然に周りへの感謝がこぼれました。震災のなかで踏ん張れたのは、医師一人の力ではなく、支えてくれた薬剤師さんや職員さんの力があったから。そういうことを、先生はとても自然な言葉で伝えてくださいます。そこにも、先生の誠実なお人柄が表れているように感じました。 

見えていたのは、病気だけではなく「孤立」

円山先生は、避難所で感染症が流行し始めたと知ると、看護師さんを連れて率先して各施設を回り、一人ひとりに声を掛けながら体調をチェックし、必要な処置をされていきました。かかりつけ医からもらった薬がなくなって困っている方がいると、薬が届くように他の医師と連携したりもされたそうです。そこで見えてきたのは、体調悪化だけではなく、人と人とのつながりが途切れてしまうことの深刻さでした。高齢者にとって、動かないこと、話さないこと、閉じこもることは、体にも心にも大きな影響を及ぼします。だからこそ、避難所では寝られればいいだけではなく、交流や安心感が生まれる場が必要だとも語られていました。 

職員もまた、守るべき「家族」だった

今回のお話で強く心に残ったエピソードがあります。
職員さんの中には、自宅が半壊し、避難所から通っていた方もいたそうです。自分自身も被災者でありながら、医療の現場を支えていた。そんな状況で心が折れてしまうのは、決して不思議なことではありません。 

そんな職員さんに対して、先生はこう声をかけたといいます。
仕事に来るのもリハビリでいいから、好きな時間に好きなだけ仕事して帰る。それでいいから
患者さんと直接関わらなくてもいい。1時間でも2時間でも、できることだけやればいい。少しずつ戻ってこられればそれでいい。その背景にある思いを、先生ははっきりこう言われました。
職員は家族だから
この短い一言に、円山院長の想いが詰まっているような気がしました。組織のトップとして職員を動かすのではなく、土台となり職員を支える。居場所を残し続ける。簡単なようでいて、なかなかできることではありません。

父から子へ、受け継がれる医師の魂

医療法人社団生生会「円山医院」

円山医院を中心とする医療法人社団生生会は、地域に根ざし、地域の医療と介護を支えてきた存在です。昭和28年に先代の円山義一さんが医院を開き、その後、息子である円山寛人現院長が加わって医療法人社団生生会として歩みを重ねてこられました。現在は、えんやま健康クリニックや介護福祉部門とも連携しながら、えんやまグループとして地域の暮らしを支えています。

また、生生会という名前にも、先代から円山院長へ受け継がれた大切な思いが込められています。取材の中で院長は、生まれた命が成長し、次の世代へとつながり、社会を形づくっていく。そんな命の営みを重ねるようにして、この名前の意味を教えて下さいました。人が生まれ、生き、命を次へ繋いでいく。それを支えるのが生生会の歩みそのもののようにも思われました。

開業当時、七尾で初めての鉄筋の高層建築物で、屋上からは七尾市街を広く見渡せたという円山病院だった建物も、能登半島地震により大きく被害を受け、残念ながら近く解体となるようです。

 

先代から受け継ぐ想い

円山院長のお人柄や、医師としての姿勢に大きく影響を与えられたと思われる、現院長のお父様であり、先代の院長円山義一さんとのエピソードもいろいろお伺いできました。

昭和28年に医院を開き、七尾市医師会長を務めるほか、文化財の調査研究や保護にも力を尽くされことから、七尾市を代表する名士の一人として知られる義一さん。けれど、その根底にあるのは、呼ばれたらすぐに助けに行くという、医師としての信念だったのかもしれません。往診を断らず、馬で山奥まで走ることもあれば、バイクや車で、かなり遠くまで躊躇無く走って行かれていたそうです。円山院長がふと「もともと父親は、往診やる人だったんで」とおっしゃったとき、幼いころから見つめてきたお父様の姿を思い出されているように感じました。
現在104歳でご健在とのことです。円山義一先生とご縁があり、懐かしく思い出される方も少なくないのではと思われます。

そんな先代から受け取った教えは、円山院長の心に深く残っているようでした。若いころ、車を頭から突っ込んで停めた院長に、義一さんは「バックで駐車して、すぐ出ていけるように停めなさい」と注意されたそうです。「電話を切ったら、もう先生が来てるぐらいでなきゃだめだ」と。患者さんのもとへ、一秒でも早く向かうためにそこまで考える。その厳しさは、きっと真剣に命に向き合ってきた人の優しさでもあったのでしょう。いま円山院長が「その人の立場だったら、どうして欲しいか」「自分の親だったら、どうしたいか」と語るとき、そこには父から子へ、長い時間をかけて受け継がれてきた強くて優しい医師としての魂が、たしかに息づいているように思えます。

「その人の立場だったら」という背骨

「仁愛・信頼・貢献」という背骨

先生が大切にしている理念は、仁愛・信頼・貢献です。
その中でも、とくに心に残ったのは信頼についてのお話でした。
患者さんに信頼されるには、ちゃんと知識と技術が無きゃだめじゃない
ただ優しいだけでは足りない。思いやりがあるだけでも足りない。本当に相手を楽にしたいなら、それを支えるだけの知識と技術が必要なのだと、先生は静かに、でもきっぱりと話されました。 

その言葉を聞きながら、私は、先生はただ気持ちが優しいだけではないのだと感じました。相手を大切に思うからこそ、きちんと学び、技術を磨き、できることを増やす。医療や介護の現場には、そういう厳しさも必要なのだと教えられました。 

「その人の立場だったら」と考え続ける医師

在宅医療や終末期のお話になったとき、先生の医師としての軸が、よりはっきり見えてきました。
判断基準は何かとお聞きしたとき、先生はこう話されました。
その人の立場だったら、どうして欲しいか。自分の親だったら、どうしたいか
さらに、
自分自身だと思って。身内、家族だと思って考える
とも。 

相手のことを患者さんとして対応するだけではなく、自分ごととして考える。しかも先生は、そこで終わりません。自分のものさしはある、でも「思い込んで押し付けてもだめやから」とも話されました。自分ならこうしてほしいと思っても、それをそのまま押しつけない。何度も途中で確かめながら、その人にとって何がいちばんいいのかを考えていく。その丁寧さがあるからこそ、先生の言葉には押しつけがましさがなく、深い安心感があります。 

震災の経験を、次の備えへ

先生は、震災を経験したからこそ、次に備えることの大切さも強く感じておられました。
歴史は繰り返されるってことだから、その歴史に学んで、次にはどうするってことを準備するのが大事
三日分では足りなかった保存食を見直す。連絡体制も組み直す。訓練や想定だけでは追いつかないこともあるけれど、それでも、やらないよりずっといい。そんな実感のこもった言葉でした。

災害は、起きてほしくはないけれど、起きないとは言い切れません。だからこそ、経験をしまい込まず、次に活かす。その姿勢こそが、震災をただ辛かった出来事で終わらせない力になるのだと思います。 

人が喜ぶのを見るのが「趣味」

取材の中で、先生に「辛かったことはありましたか」とお聞きした場面がありました。
少し間があって、返ってきたのは意外なほどあっさりした言葉でした。
ない
そして、そのあとに続いたのが、忘れられないこの一言です。
人が喜ぶのを見るの、趣味なんで
思わず、こちらまで笑ってしまいそうになるような、先生らしい言い方でした。けれど、その軽やかさの奥にあるものは、とても深いと思います。人が少しでも楽になること、安心すること、笑ってくれること。それが自分の喜びでもある。そんなふうに言える人が、この地域の医療を支えているのだと思うと、なんだか胸があたたかくなりました。 震災のあと、能登にはまだたくさんの課題があります。
それでも、こうして人を大切に見つめる医師が、この土地に根を張っていてくださること。そのこと自体が、大きな希望なのだと思います。
円山医院には、非常時の中でも失われなかった医療の原点がありました。
その原点はきっと、これからも静かに、でも確かに、地域の人たちを支え続けていくのだと思います。

医療法人社団生生会(せいせいかい) 円山(えんやま)医院  施設詳細

住所 石川県七尾市府中町68番地3

アクセス 七尾駅 徒歩15

駐車場 あり

電話 0767-52-3400

FAX   0767-52-3401

URL   https://enyama.jp

院長 円山寛人 

   循環器専門医、産業医、認知症サポート医、他

診療科目 内科

診療時間■月・火・水・金曜日  ・午前9:0012:00・午後1:305:30 

              ■木曜日 ・午前9:0012:00  ・午後 休診

             ■土曜日 ・午前9:0012:00   ・午後1:304:00

休診日  日曜日・祝・祭日


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